おはようございます。
ついつい踏み込んでしまった、不妊治療、高齢出産に関するテーマ、
このテーマはあまりにプライベートなことで、
自分が信じる宗教や政党と同じぐらいいろいろな意見があってしかるべきだと思うこともあり、
避けてきたのですが、私個人の意見として書いたところ、
すばらしいご意見をたくさんいただきました。
本当にみなさま、ありがとうございます!
裏メールでも、わたし一人で拝読するのはもったいないご意見をお寄せいただきましたので、
ここでご紹介したいと思います。
名古屋にお住まいの方です。
(前略)
私35歳 父80歳です。
母とは幼い頃から離れて暮らしています(母との関係は只今ブログに連載中)
周りの友達と比べるとずいぶん早くから 父の介護をしています。
といっても 父は元気で体に問題は一切ありません。
最近でこそ 物忘れが激しくなって来たので 不安になっています。
以前は 何で私だけが・・・と悲観的に物事考えていましたが 正直最近では 冷たい言い方ですが あと父が生きるのも10年くらい 私もまだ若いので 体は動く 父の為なら 何でも出来る(最愛の父なので) 高齢者が高齢者を介護するより 私は恵まれている環境だと思い始めました。
高齢出産 高齢介護も深刻な問題かもしれませんが 若くにして子供を産んだ場合 80歳の親の面倒を60歳の子供が介護しなくてはならないという問題も別にありますよね???
私は父が高齢で ホントに良かったと思ってます。
とても温かい気持ちになれました。
すばらしいお子さんに恵まれ、ご両親はなんてお幸せなんでしょう^^
(もし、こちらのコメントの公開に問題がなければ、ぜひ御ブログアドレスをご紹介するご許可をくださいませ)
カナダ在住の方からです。
(前略)
家族計画に関しては、個人のセクシュアルオリエンテーションと同じくらいプライベートな問題だという考えなので、基本的に意見を求められない限り公の場でその是非問うのは、鶏が先か卵が先かに答えるぐらい難しいことだと思っています。
さらに日本と日本以外の場所では環境も倫理観も生活習慣も何もかもすべてが違ってくるので、違う環境の下で生活している個人同士を一つの倫理観の下で裁くのはたぶん不可能でしょう。
私自身不妊治療を受けていますが、その経験を通してもやはり同じ考えです。
どうしてもほしくて、実行可能なら、試してどうしていけないの???
もちろんその決断に伴うリスクや、それに対する姿勢の違いなどは他の方のメッセージやるみさんがおっしゃった
とおりで、良し悪しを超えてさまざまにあるでしょう。
ただ子供ひいては生命に対して日本と違うもっと単純明快で楽観的でポジティブな考え方がカナダでは(アメリカにも)根本にあるような気がします。
不妊治療を受け初めてはじめに驚いたのは、本当にたくさんのしかも20代後半と見受けられる若い人が、とても気軽に治療を受けに来ていることでした。
カナダは国民皆健康保険で、薬代と特殊な検査を除けばほぼ全てがカバーされますから、治療が複雑にならなければ費用という面では最初のハードルは低いと思います。
雇用先からの保険があれば、カバーされる範囲ももっと広くなります。
患者さんたちには妙な緊張感はなく、ちょっと健康診断に・・・・というような雰囲気で、これから大仕事をするつもりでいた私はとても驚きましたが、同時になんだか肩の荷が下りたような気になって、治療に臨む事ができました。
去年人工授精で妊娠に至りましたが、残念ながら流産しました。
35歳以上の高齢出産になる予定でしたので、出産前の検査を強く勧められて最初に超音波の検査を受けたところ、担当医から疑わしいところがあるのですぐに遺伝子学の医師に面会するように言われ説明を受けました。
子供に染色体異常がある可能性が非常に高いので、中絶しなければならない可能性があるということでした。
まさに青天の霹靂です。もちろんお医者様はどういう経過で妊娠にいたったのかはご存知でしたしとても同情的でしたが、妊娠の継続が母体の生命の危機にかかわる場合は、妊娠を継続するのは不可能ですと強くおっしゃられました。
ダウン症の場合はどうなのかリサーチをかけてないのですが、私のケースはダウン症よりも重度の複数の障害が現れ、出産後も生命の維持が難しいことがほとんどであったのも、中絶を勧められた大きな要因でした。
決断を下す前に、検査の結果に間違いがないことを確証するためにとりあえずもう一歩踏み込んだ検査をすることにしてネットでサーチしましたが、北米と日本から得た情報は、ある意味とても差がありました。
どうしようもない混乱の中決断を下せないまま時間だけが過ぎていきました。
そして検査の当日の朝、定期検査のために超音波をとったところ心音が消えていたのです。
高齢出産のリスクがわかっていても、そんなことがわが身に起こるとは起こってみるまでわからないものです。
今あのときを振り返っても、中絶する決意を下せたかどうかわかりませんが、検査の結果が確証されていたら、
私たちの意思にかかわりなく選択の余地は多分なかったでしょう。私が拒否しても、夫が受け入れたかどうかもわかりませんし。
生まれ出たのに生きていくことができない妊娠を支持することはできませんという医師の言葉は、ある意味とても非情に聞こえるかもしれませんが、生まれ出た命は生きていくためにこそ存在しているんだと、いろいろな環境にいる小さい生命を見ては日々思っていたので、私(達)自身の感情と執着に圧倒されながらも、何を選ばなくてはならないかわかっていたのも確かです。
ただそれが私の答えでも、自分自身の身を切るのは恐ろしいことです。
まさに嵐のような日々でしたが、それでもリスクをとったことを後悔はしていません。
妊娠が身体に起こすさまざまな変化も母体自身から来ていると身をもって体験した後、生命の倫理は今現在 “母体の外”に生きて存在しているものにこそ適用するもので、そのラインを超えると、多分、何の力をもってしても解決できない答えのない問いになってしまうと思うのです。
転ばぬ先の杖とはまさに名言でしょうが、転んで見るまではどんな怪我をするかはわからないのが現実ですし、怪我が治らないともいえません。
本人に覚悟ができているなら、どんな決意も本人の責任で、私はそれでいいと思います。
リスクを考慮して何かをあきらめるのも、もちろんそれでいいと思います。
でもさまざまなリスクを選んでここまで来た今、一つ確かなのは、リスクはとってみないとその“よさ”もわからないしどこにたどり着くかもわからないよ、ということです。
生命にかかわることに何を軽率な、とは真実ですが、生命の有無はある意味私たちの意志の外側にあるのですから。
人生の中で、何か大切なことを決断するのはとても勇気の要ることですが、そういうときこそうまくバランスをとってどっちに行くとしても後に後悔の残らないように、人生の転機にいる全ての人にエールを送りたいと思います。
そして将来後悔するかどうかって、自分をよく見つめれば意外とわかるものなんですよ。
ただ自分にうそをつかないようにするのは、大変なガッツが時に必要ですけれどね。
メールありがとうございました。
自分が羊水検査を受けたときの気持ちを思い出し、拝見しながら涙が止まりませんでした。
けれど、カナダという国の、リスクをとると決めた人を応援する皆健康保険はすばらしいですね!
さまざまな宗教、バックグランド、人種を受け入れる若い国カナダの柔軟性ならでは、なのかもしれません。
今日もみなさま、すばらしい1日を。
何度も繰り返すようですが、
時には、困難な状況を乗り越えるべく、
厳しい決断を下さなくてはいけないのが、人生です。
そんなとき、いつもわたしが繰り返すのがこの言葉なんです。
「人生、一瞬先はバラ色」
そう信じて今日もガッツをもって行きたいと思います!