日本の雑誌が書かないダイアン・フォンファステンバーグ | だれも書かない★ニューヨーク1%未満★

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今日は、男子たちにウケがよく、しかもそれほど着こなしの難易度は高くない、万人向けのシグネチャーデザインの「ラップドレス」を作るダイアン・ファステンバーグ についてです^^




ダイアン・フォンファステンバーグの最初の夫、エゴン・ファステンバーグは、白いタイツを履いていたかどうかは別として、まさしくドイツの王子様だったの。

そう、正真正銘、プリンスの称号をもつ男だったのです。



そのプリンスの母方は、イタリア財界の重鎮で、フィアット社の総帥だった、故ジャンニ・アニエッリの従妹。

まさに、彼女が結婚した「王子様」は、当時のヨーロッパ上流女子たちならだれもがターゲットにする垂涎のお相手だったのです。




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ダイアン。おぉ~鎖骨が美しい。頬骨も高くテラコッタ肌が欧米男子の好みかも。



一方、ダイアンは、ベルギーはブラッセルの出身。

裕福とはいえ、当時のヨーロッパ上流サークルに入っていたわけではなかった。



そして、彼女はユダヤ人でもあります。


しかも、ギリシャ系の母は、あのホロコーストの生存者。

この事実が娘であるダイアンに、精神的にどんな影響を及ぼしたのだろうとつい考えちゃって、なんだか他人ごとながらすごく胸が痛むのよね。




というのは、ホロコーストのサバイバーの手首には、入館時にナンバーの焼印が押されるのです。

当然それは一生消えません。

つまり、一生、それを見るたびにあの苦しみがフラッシュバックするという人生を送らねばならないのよ。



ニューヨークに来て間もないころ、冴えないカフェに入ったら、担当になった年配のウエイトレスの手首にその焼印があり、一緒にいたユダヤ人の男友達が、その意味をそっと教えてくれました。



そのウエイトレスの表情には精彩がなく、どよんとした暗い目からは「幸せ」の微塵も感じ取れなくて、彼女が今も引きずっているだろう取り返しのつかないものを感じ、相当な衝撃を受けたものでした。





あ、話しが脱線しちゃってごめんなさい。



ダイアンは、18歳でスイスのジュネーブ大学に入学すると同時に、プリンスと知り合い、恋に落ちます。



そして妊娠。



けれど、彼女がユダヤ人だという理由で、結婚はプリンスの一族から猛反対されます。



ここで、


さいでっか~。ほな、違うお飾りの女子と結婚し、ダイアントとの子供は、(スイスなら合法)堕胎して、彼女とは愛人としてこの先はつきあうことにしよか~。



なんて姑息なことは考えなかったプリンス。




二人は、反対を押し切って結婚、22歳でニューヨークに逃避行します。


そう、まさに白馬に乗り(もとい)飛行機に乗って王子様がニューヨークに連れ去ってくれたってことよね^^


(プリンスの母の従兄であるジャンニ・アニエッリは、つきあっていたパメラ・ハリマンとは結婚せず、彼女との間の子供はスイスで堕胎させて、あっさりもっと若いプリンセス・カラッチョロと結婚しちゃうの.。対照的)



結婚6ヶ月後には(若干計算が合いませんが)長男のアレックス誕生。



パークアベニューに居を構え、ファッションビジネスを立ち上げ、二人は一躍ニューヨーク・ソーシャルシーンの若手中心人物になります。



が、3年後には離婚。



けれど、彼女のビジネスは順調で、73年にはあの有名なラップドレスを発表します。


手頃な値段で、質のいいドレスが手に入るということで、世界的な大ヒットとなります。






個人的にこのダイアンという人を初めて実際に見たのは、15年ぐらい前。


ある着席のディナーパーティに現在のご主人で,FOXなどのメディアを束ねるバリー・ディラーと来ていて、わたしが座っていたテーブルの結構そばにすわっていた。



バリーは、プリンスとは、外見的にどこにも共通点を見いだせないタイプの男。



当時すでに、見事なつるっぱげでやや重量級。見たわけじゃないけど、腰のあたりにはぷっくらマフィントップがのっかっていること間違いなしの体型。



それでも彼女は、彼とステディとしてつきあっていて、バリーってば彼女に夢中って感じでした。

脇目もふらずダイアンに視線を集中させ、「あなた、どんだけ惚れてんの~」とからかわれようがなりふりかまわないというべたべたぶり。



ちょうどそのころ、彼女の息子アレックスは、90年代を風靡したあのミラー三姉妹の末っ子、アレックスと結婚し話題になりました。



ダイアンは、息子の嫁のアレックスと一緒に会社を立ち上げ、再び70年代のラップドレスをよみがえらせたのもそのころでした。



彼女たちの事業はどんどん上り調子。



その後、風の噂で二人のアレックスは離婚したと聞いたけど、2001年に、ダイアン本人はバリーとの長年の関係を結婚という形で収めました。



このニュースを知ったとき、まったく人ごとながら、「よかったね、ダイアン」と心の中でささやいていたわたし。



なぜって、バリーはダイアンと同じユダヤ人だから。



彼なら、彼女が、ひいては彼女の母親が一生背負っていた悲しみや、やるせない怒りみたいなものをきっと魂のレベルで理解できるに違いないと思うから。



「テルアビブ」についでユダヤ人の人口が多いといわれるニューヨークに住んでいると、いまだユダヤ人たちがかかえるトラウマみたいなものの深さが理解できる気がします。



昔ちらとつきあった裕福なロンドアイランドのユダヤ人ファミリー出身の弁護士ぼくちゃんは、

父親がポルシェに乗っているのが我慢ならないと言っていた。



そしてその理由は、にっくきドイツの車だから。

彼の叔母さんがホロコーストの犠牲になっているのに、父はまったく鈍感だと。



また、ある250平米ほどの大きなアパートが売りにでてきたので見に行ったときのこと。

それは、あるおばあさんが長年一人で住んでいたアパートで、本人は数か月前に死去したとのことでした。



市場に出す前に、きれいに家を片付けるのが日本なら常識なのでしょうが、その家はおばあさんの生前のままに近い状態だったの。



晩年はアルツィハイマーで、きちんと面倒を見る人もいないまったくの一人ぼっちだった様子。

至るところで失禁していたらしく部屋中に悪臭が漂い、しかも半世紀ほど部屋のどこにも手が加えられてないようでまるでお化け屋敷のてい。



しかも、最初は窓という窓は黒い厚紙でバリケードのように覆ってあったそうな。


そのおばあさんもホロコーストのサバイバーで、アルツィハイマーが進み、脳が当時の恐怖だけを凌駕して、怯えて暮らしていたということでした。



ホロコーストのサバイバーである母をもつダイアン。


皮肉なことに彼女の最初の夫はドイツのプリンスでした。

しかも義母はそのドイツと同盟国として一緒に戦ったイタリア出身。



異なるもの、みんなが憧れるものを手にした瞬発力のある興奮の嵐が去った後、

彼女がベターハーフとして、外見やタイトルの派手さではなく、魂のレベルで痛みや喜びを共感できる同胞に着地したことに妙に納得してしまいました。






60歳過ぎて、ダイアン、ますます絶好調ですね。


ニューヨークにはこういうカッコいいマダムが多くってとても励みになります。



それではみなさま、よい週末を!!!!!!