孫が生まれ 嬉しさ間もなく 発達障害であることがわかり 覚悟をした途端 息子夫婦は離婚 喪失感でおぼれそうな ばぁちゃんのブログです この話の発端は1月6日の何?何が起きたの?から始まっています
3月10日に引越しが終わりましたが まだ 段ボールの中で寝ていますかなりの荷物を捨てたり 売ったりしましたが それでも押し入れの中に入りきらず どうしようかと思案中です(;^ω^)先日 カンタの保育園の入園式に来るようにと 息子が言われたようで 朝からバタバタして 行っていました そういう時に限って 講師の先生が急にお休みして 代理の先生を探したり 生徒さんに時間をずらしてもらったりと 息子も必死にやっていました無事に着いて間に合ったようで なんとなく そっかぁ~と考えたいたら やっぱりカンタが見たくて 写真を1枚 送ってほしいと 息子に頼みましたすぐに 携帯に送られてきた写真は いつものように 笑顔で可愛く写っている写真でしたでも・・・やっぱりまだ だめでした どうして悲しくなっちゃうんでしょうねぇ悲しいとも少し違うんですが とにかく 胸と目が熱くなっちゃうんですよまったく いつまでも どうにもならないばぁちゃんで こまったもんです息子が帰ってきて 思い切って カンタはどんな感じだったか変わった様子はなかったか 淋しい思いをしてる様子はないかと 聞いてみました息子は 「いつも通りのカンタだったよ 何も変わってないよ 本当にあいつは ママが好きだなぁ」と言われました なんだかホッとしましたきっと 可愛がられているんだろう と思えましただいぶ気が楽になった気がしましたもう 本当にこれから先 合うことはなくなったような気もしました これでよかったんだ と 思えたような気がしますこの淋しさは 簡単にはなくならないでしょうが それでも ひと段落した気がします話しは変わりますが ピグゲームがなくなることになり 踏んだり蹴ったり と 泣きっ面にハチが 同時に来た と 息子に嘆いていたら iPadを買ってくれました形態では小さいし 操作しにくいからいやだ と私は言っていたので 大きめのiPadを買ってくれて ドラゴンクエストのモンスターパレードをダウンロードしてもらったら もう感激で まるで パソコンのようにできるので 嬉しくて 毎日やってます(;^ω^)やっているときは 落ち込むこともなく 集中できるので 息子に感謝です今回 算命学で言われていることが 現実となりましたただ 算命学では 私たち親子は今がどん底来年からは運気が上がってきますこれに乗っからないわけにはいきません精進しながらも 前に進み なんとか軌道に乗りたいと思います相談も 2回目の方が多くなってきています 算命学をきちんと伝えて 私のように失敗しないよう 私自身も心して 相談していきたいと思いますブログにきていただき ありがとうございますこれからもよろしくです
元嫁からの連絡は 自分が困ったり驚いたり 悩んだりしたときが多いようで今回 カンタを発達障害がどのくらいなのかの 検査をしたとのことで ラインがあったようでしたカンタは5月生まれで 三歳です もう4歳ですから 通常なら大体の言葉を理解し話すことが可能ですが カンタは言葉の理解も半分以下 学習能力も 言葉に関してはほとんどなく (これはやってはだめ と言っても 何回もやる) 発する言葉も 「まま」「あー」しか言いません なので 訓練に通い 少しずつ成長を促していたわけですなのに 今 なぜ どんな理由で 知能検査をしたのか 理解できませんが 案の定 重度の知恵遅れ と 判断されたようですで 「重度って言われちゃった どうしよう」と ラインが入ったそうです 息子も どうしようって言われても・・・「そうなんだ」としか返せなかった と言っていましたカンタの知らないところで 自分は重度の発達障害と烙印を押されてしまったのです訓練の先生も私も そんなことはわかっていましたし そんな検査より できるところからやっていこう!とがんばっていましたがんばったところで 何も変わらなかったのかもしれませんが でも・・・カンタを見るたびに 何も変わってないカンタがいたら 悔しいというか・・・あわれというか 不憫というか・・・後悔のような なんとも 心がかゆくなる感じになりそうで しばらくは 会いたくないなあ というのが本音です引っ越しが3月6日入居が3月10日に決まりましたこの引っ越しが落ち着いたら ピグも開放し 今まで通りの「アン」でゲームをピグ友・庭友の皆さんと楽しみたいと思います最近はリアルでの友人との付き合いがほとんどなく(子育てで会えなかった(;^ω^)) 今はひきこもりですが 引っ越し先では 散歩も行きたいと思ってます
毎日 夜寝るとき カンタがいなくなってから カンタが寝ていたほうを向いて寝れませんでした思い切ってそちら側に向いて寝てみると やはり思い出しますカンタは寝つくまで 私の首に 手を巻き付け 思いっきり自分のほうへ引き寄せるのです 私は苦しくて位置を変えると もっと引き寄せられて・・・を繰り返し あまり繰り返すと 起きてしまうので とにかく 息ができる位置を確保して カンタがぐっすり寝るまで じっと我慢していました寝てしまえば 上に乗っていた手を 下におろせますが 下の腕は残っているので いつも私は カンタに 腕枕をしてもらって 寝ていました今年の冬は 暖かいのですが 去年はとても寒く 雪も降りました 雪が積もっている日も 私はカンタの手を引いて 朝から歩いて保育園に行きましたが カンタは泣くのです 前日雪だったので ベビーカーに乗せたときも泣いたので 歩きたいのかと思ったのですが 泣いてしまいました その次の日も泣くので さすがに抱いたら ブルブルふるえていました 寒かったのです カンタは 手袋も帽子もマフラーもいやがるので コートを着せるだけで 歩かせていましたこれに懲りて 今年の冬は 膝まで隠れる ダウンのコートを買ってもらっていましたが暖かい冬ですし 何より もう二度と カンタと雪の中を歩くことはないので 暖かくして雪を楽しんで 保育園に行くことは もう できませんただただ 可愛そうなことをした と 後悔だけが残る 雪道になってしまいましたまだ あの ふるえが・・・感覚として残っているんですよね
今日は1月31日(木)です もう2月ですねぇ あっという間に1か月が経ってしまったんですが カンタがいなくなって やはり 一か月が経とうとしています昨日 息子が帰宅して 夜中に二人でまったりしているとき 息子がポツンと・・・「こんなこと言ってはよくないのかもしれないけど 楽だなぁ~ こんな風にしていたら {明日仕事でしょ?寝ないの?早く寝たら?}って すぐ言われてたし カンタがウロウロしていたら 遊んであげて カンタと嫁が寝てたら 静かにしないと って いつも気を使ってた 今は何も考えなくていいんだもんな 淋しいけど楽だぁ~~」私も最近 引っ越しのために 箱を一つずつ開けて じっくり整理ができるので「そうなんだよねぇ~ 今までできなかったこともできるし 何かに拘束されることがなくなって 楽になってるんだよねぇ~」と 複雑ではあるけれど 精神的にも肉体的にも 楽になってることは 納得してしまう 親子の会話でした当初はひどいことになってましたが 最近は親子でまったりしています2月末には 引っ越しをしようと バタバタしていますが なんとか前を向いて 歩いて行けそうになりましたご心配いただいた皆様には 心から感謝していますピグゲームは 引っ越しが終わって 落ち着くまでは 開けるのをやめようかと思っていますブログも ゆっくり書こうと思いますまだまだ 心の傷は 残っていますが いつまでもくよくよしててもしかたないですし 忘れる努力と息子の手助けを一生懸命にやっていきますご心配と励ましのお言葉を 本当にありがとうございましたm(__)mどうかこれからも よろしくお願いいたします
1月29日(火)今 テレビでは「嵐」の活動休止の話題で持ち切りですが どんなことでも 同じことがずっと続くなんてことは ないんですよね私はもしかしたら もう二度と 自分の孫を抱くことが出来ないかもしれない・・・ でも!カンタが生まれてから3年と7ヵ月 たぁ~くさん抱っこしましたとても幸せだったし 抱けないことを考えたら 感謝です今 息子と二人 まるでカンタといた時間が なかったように・・・ 嫁が来る前の時間に 当り前のように戻っていく そんな毎日ですが この5年間がなければ こんなつらい思いをしなかったとも思えますでもやっぱり カンタと過ごした時間は 必死ではありましたが 幸せな時間でした「嵐」がすごいと思えるのは 自分が 自分たちがやりたいことをやる上で 周りの人や関わりのある人達に 極力迷惑をかけないように 傷つけないようにと 細心の心配りをしていることが 伝わってくることです元嫁を責めるつもりは全くありません 元嫁の人生ですからね それは尊重しますでも・・・もし 私がやりたいことができ 誰かに影響があることだったときは 「嵐」のようにはできないかもしれませんが それにほど近い できるかぎり 迷惑をかけない 傷つけないところを考えて 行動したいなと 心から思いました心の面でも 金銭的な面でも 「嵐」は 傷つけないどころか 暖かな気持ちにさせ 損をさせないどころか 得をさせて 去ろうとしています そんな人たちが 不幸せのなるはずがない と 私は思います「嵐」の会見は 私のようなちっぽけな人間にも とてもいい影響を与えてくれました「嵐」全員が これから それぞれの道を 健康で意気揚々と歩いて行かれることを 心からお祈り申し上げます
1月25日(金) 昨日今日と何事もない日常送っているただ 夢の中は 非日常で特に今日の夢は かなり現実的で はっきりと覚えている場所はまだ 引っ越ししていない新しい家 元嫁の両親がカンタと来て 生活費のことを言うので 何とか頑張って たくさん生活費を払えるようにします と 私が必死に答えていたそのうち元嫁が カンタを預かってほしいというので 部屋に連れて行くと 泣きながら ママぁ~というので すぐ帰ってくるから ばぁちゃんと 待っていよう と言ったら「ママのほうがいい」 と はっきり言ったので びっくりして 絶句していたここで夢は終わりびっくりしたのは カンタが喋った!ということと 私じゃないのか!という嬉しいことと悲しいことが入り混じった 複雑な気持ちだったまた落ち込む自分の夢で落ち込んでるなんて どうしようもないなぁ~と 洗い物をしながら 考えていた そんな一日だった
今日は1月23日(水) 衝撃的な出来事から 18日経ちました でも 心の締めつけが 戻ってしまったような気がしています三寒四温 という言葉がありますが まるで寒くて辛い日が何回も繰り返されるように 少し良くなったと思ったら また辛くなってしまう そんな日々を送っています息子を送り出してから 起きているのが辛くて 少し横になりました 2時間で起きようと目覚ましをセットしましたが 起きれず 5時間ほど寝てしまいました昨日 息子が帰ってきて 役所での出来事を話してくれました公正証書出した後 元嫁は 一緒にご飯を食べよう と 言ってきたそうです 息子は カンタが泣いたこともあって 一緒にいるのは辛いからと 断って帰ったそうですその後 元嫁からラインが入り カンタまた 脱臼しちゃった 今 病院なんだ と 言ってきたそうです11月か12月にも 元嫁は カンタの肩を脱臼させていて その時に 引っ張らずに 逆の方向に身体を持っていく とか 手を放してしまうとか・・・と 散々言ったのですが 嫁は私の話を 聞いてなかったようです あ~ぁ あれほど言ったのに・・・ と 先行きを心配しましたが 息子と話したときに もう 考えても仕方ないし 何回脱臼させられようと ママが大好きなカンタ見守るしかないね・・・ と ため息まだ いつもの私に戻ることは できないようです三寒四温・・・ 春はまだか・・・
昨日1月21日(月)は 洋服を片付け売りに行きました45ℓの袋4個 元嫁がいらないといったカンタのおもちゃを持って ブックオフに行きました500円もらえるかなぁ~と思いながら お腹がすいたので とんかつ屋で厚切りとんかつを二人で食べました私は食べきれなくて 少し息子に助けてもらったけれど 二人ともお腹いっぱい息子は いつもここで食べたかったんだけど 元嫁にいやだと言われ 食べれなかった と・・・美味しかったね~と 満足して 結果を取りに行くと なんと!!1300円になったのです うれしかったぁ~~ 二人は とんかつが300円で食べれたことになって 大満足して帰りましたそして今日 朝11時に元嫁と待ち合わせ 公正証書を出しに行くと いつもより早く 出勤しましたこれでひとつ 前進できるね と 送り出しました息子からのライン「書面を書き終えたら なぜか カンタが泣き出した」とそのラインを見て 私も泣けましたカンタは4歳近くてもまだ 赤ちゃんのような子で 今起こっていることを感知したのだろう・・・と 思いました親が離婚すると分かり 泣いたのならば やはり 息子や私と離れることを 淋しいと思ってくれたかもしれないし これからの 大変な生活を 予知したのかもしれませんどちらにしても カンタが泣くことは とても辛い・・・ 悲しませてしまったことを カンタは許してくれるだろうか・・・
昨日1月19日(土) 元嫁が荷物を取りに来た元嫁のために 良かれと思って カンタの荷物はほとんど荷造りしておいたが 義理母は なんでこんなに荷物多いか!! と 怒っていたらしい どうすれば納得してくれるんだろうなぁ~ まぁ もう 考えなくてもいいのだから さらっと流そうカンタもいた 久しぶりカンタはすぐ 私に抱きついてくれた私は自分の心の変化に気付いたとても愛おしいカンタだが すごく落ち着いているいままでは なんとかしなくては!この子のために何をしたらいいのか!食事で足りない栄養はなんだろう?この子の将来はどうなるんだろう?小学校は健常者として入学できるのだろうか?!etc いろんな想いで育ててきて 私が!私が!と気を張りつめていたようだそれがなくなった今 とても穏やかで ふんわりとした感じだったやっと おばぁちゃんになれた気がした息子がカンタと遊ぶ トイレに行って帰ってきたら 息子が泣いていた いつも ギュッとして!と 息子が要求しないとしなかったカンタが 何も言わないのに ギュッとしてくれたそうだよっぽど嬉しかったらしい荷物が多かったため 一度家に行き荷物を降ろしてから 取りに来る間 カンタを見ててくれと頼まれたカンタはしばらく遊んでいたが そのうち 私に抱かれながら 寝てしまった布団に寝せると 今までのように 私の首に抱きついて うふふ と笑って 爆睡した私はそのままカンタと布団の中にいた緊張してるのか 寝れなかったが カンタの寝息を聞いてるだけでしあわせだったよっぽど気持ちよかったのか ことが終わって カンタにコートを着せても起きなかった元嫁にカンタを渡す 母親に抱かれて 気持ちよさそうなカンタを 見送る・・・ また 息子と二人になった・・・
1月18日(木)少しずつ 喪失感が和らいできているいままでは カンタを拒絶していたようだが それも和らいできたせいなのか 今日はカンタをよく思い出す夢の中にもカンタは出てきているなんとなく 胸の痛みがまた 大きくなった気がするそれでも今日は 洗濯を3回やった土曜日の夜に 元嫁が来るなら 少しは片付けをしとこうと はりきった 疲れた・・・今日はベランダに出れた が 外に一人で出ていく気がない 出ていけないのだ なんでなのかなぁ~~息子からラインが来た元嫁から 契約公正証書とやらがきたそうだ養育費をいくら いつまで支払えとか 大変なときは助けるようにとか そういう契約だった向こうの親は 息子の確定申告の写しや銀行通帳の写しを見て だめだこりゃ・・・と 思ったかもしれないそうなると ことは早く進みそうだ私たちは カンタが大事であるから カンタの成長のために 支払えるものは払っていきたい と思っている特に不満もなく そのまま受理することにした息子も少しずつ 心が軽くなっていくだろうそうはいっても 養育費の分が すぐに出るわけでもなく 私たちもこの高級マンションから 引っ越さなければ・・・ と思っている家賃の差額で なんとか 養育費を出さなければ・・・ こまったもんだ 貧乏とは こういうときに 悲しいなぁ~と 貧乏を実感するでも 貧乏の良さは 一丸となって前に進めることではないかと思う 助け合わなければ 生きていけないから・・・幼少の頃は裕福だった 大きな家に広い庭 お嬢さんと言われ 中学から私立学校に通い 高額食事も食べていたでも そこに 愛はなかったそれに比べたら お金はないが 愛はたっぷりある立ち直れる!早くこの傷ついた心を癒し 前に進もう!でも まだ 心 痛い・・・カンタがいないよぉーーえ~~~ん
1月17日(木) 今日は外からは何もなく カンタの荷づくりをモクモクとしていた一日だった先日お墓参りに行ったとき とても嬉しいことがあったお寺に行く前に いつも寄るお花屋さんに行ったら いつもいるおじぃちゃんではなかったので「おじぃちゃんはお元気ですか?」と声を掛けたら 「はい!先ほどまで店に居ましたが 今は家に帰ってます」「それはよかった」 「結構年なので 店は寒いから 腰が痛いと言っています」「年にはかてないですよねぇ」・・・etcお金を渡して お花を受け取ろうとしたとき 「どうぞ お財布をしまってください」と言ってくれたそして 私が車に乗って走るまで 見送ってくれた 私が軽く会釈すると お花屋さんもお辞儀をしてくれた なんか・・・嬉しかったお寺に行って お線香をいただこうと玄関に入ると ご住職がでてきてくれた 久しぶりだったので「お元気そうで・・・」というと 「いえいえ 元気ではありません」と言われた私は焦って「私もリウマチなので大変です」というと「リウマチも大変ですよね 私は脊髄性筋萎縮症(だったと思ったが…脊髄は間違いない)で いつ 歩けなくなるかわからない状態です」 と言われた 辛そうに見えた リウマチだ!辛いんだ みたいに言った私は なんだか申し訳なく思った いつもお線香代は5000円から10000円にしている 今回はたくさん出せず5000円おつりはいりません と ご住職に伝えると それはそれはと 暦とすごろくとお寺の本をくれたお礼とこれからもお願いします と ご挨拶をして お墓に行くお墓にはもう お花がいけてあった (義理)姉がきたんだろう姉は 私とも父親とも継母とも 血は繋がっていない 私と父親は親子だが 姉と継母は親子ではない しかし 普通の親子より絆の強い親子だった 継母より父は先に逝ったので 継母は私に来るはずの財産をすべて姉に渡した なので 姉は墓守が仕事なのだ と 私は思っているそして 父親の命日に お墓参りに来てることは おりこうさんである とてもよかったと思ったそして 息子とわちゃわちゃ話しながら 家路に向かっていると ふと 息子が日産に用事がある というので そのまま日産に行くことになった担当のUさん 顔色が悪い なんかあったかな? 「大変なことになっちゃったのよ」Uさんの愚痴が始まる どうやら 良かれと思ったことが裏目に出たようだ それも2回 今回の騒動もあって 風当たりがひどいらしい 私たちが離婚騒動にあることさえ 伝えることが出来ないほど 彼は病んでいた 他人の話など全く入らない 今にも崩れそうな感じだった とにかく身体だけは 大事にして!と伝え 帰った息子と話す・・・今日はいろんな人を見せてもらった 優しい人に会えた いつ歩けなくなるかわからない人に会った 仕事も家族も破綻寸前の人に会った私たちはまだ いい方なんだ・・・そうは思っても 心の傷は消えないが ここで腐っててもしかたない! 傷が癒えたら前に進もう!と思えたそして 土曜日に荷物を取りに来る元嫁のために 荷造りをする
昨日1月15日(火)に 知人と電話で話すことが出来たその人はカンタと私のことを知っている人だったので 「あんなに頑張っていたのに それは辛い」と 私の心を理解してくれた友人もピグ友も皆 私の心の痛みを 理解しようとしてくれてるし なんとか和らいであげようと 言葉をかけてくれる私はとても 幸せなんだ・・・ と 実感するカンタの周りの人たちのことを 考えることが出来てきた保育園の先生方や 訓練の先生方 すべての人たちが カンタのことを考えてくれていたOTの先生に 訓練がいけなくなったと 息子が電話で連絡したときに 先生は「やっとうまくいき始めてたのに・・・ これからだったのに・・・」と絶句されたそうです感謝ですね私も息子も先生方も・・・必死だった カンタがなんとか 健常者に近づくように それこそ 一丸となって 頑張った保育園の先生方も おばぁちゃんよく頑張ってるね と 声をかけてくれた こんなことができるようになりましたよ と 一緒に喜んでくれた 本当にありがとうございました元嫁から今日の朝 また連絡が入り 保育園は止めると連絡した と 土曜日にカンタの荷物だけ 取りに来る とのことでしたこれで ひとつのことが 解決しました が私は 保育園の先生方 訓練の先生方に もう お会いすることはできないでしょう けれど 皆様に感謝しておりますカンタと私や家族を応援してくれて 本当にありがとうございましたカンタのために 一生懸命やっていただき 心から感謝いたします暖かい思いと 別れの辛さが入り混じる 今日もまた お腹と胸が痛い・・・
昨日1月14日(月)は 私の父の命日(15日)のため お墓参りに行く よく考えたら 年末からインフルエンザになり 年始に入ってやっと動けるようになった途端のこの出来事で 一歩も外へ出ていなかったその昼過ぎ そろそろお墓参りに出かけようとしたとき 元嫁からのラインが 息子に入る内容は 確定申告の写しと息子個人の銀行の通帳の写しを 今日中に送ってほしい ということだ当日中というのも 相手のことを考えてない言葉であるが 確定申告がないと離婚できない という話も おかしな話で また私たち親子は もやもやしながら 車に乗った何を言っているのか 息子と話をしていると どうも向こうの両親が 息子は資産を隠しているのではないかと 疑っているのだろうということだったとても恥ずかしい話であるが 私がリウマチで働けなくなり 息子が中学校の教師を辞めてから お互いの貯金を切り崩して 生活してきたそして あと200万円しかなくなったとき カンタが生まれていたので その時乗っていた「ノート」では 狭くてかわいそうと思い 180万を頭金にして「セレナ」を買った 残りのお金で7・8万円くらいのベビーシートを買い あっという間に 200万は終わってしまったそれからは 元嫁と息子の稼ぎで 必死で生きてきたわけで 隠してる財産など あるわけもなく そのことは 一緒に住んでいた元嫁もわかっているはずということは 元嫁の両親が疑っている ということしか 考えられない という結論息子と二人 お墓参りに向かっている道筋で そのことを話しながら走っていたとにかく今が 一番お金のない時 どこをたたいても ホコリしか出ない 生活費を払わないなど一言も言っておらず 離婚や親権に関しても 何一つ文句を言っていないのに 弁護士を立てる!!と 言っているらしいまた どんよりとした空気になるしかし待てよ よく考えたら本当に持ってないわ 今まで生きてきた中で 最低の生活?をしてた笑っちゃう・・・貧乏のどん底だな財産として何かあげたくても何もないこれまた 笑うしかなかった今年初めての外出息子と二人でず~っと話しながらのお墓参りは 少し気持ちが腫れたような気がしたそして今日 1月15日の朝 また 元嫁からのラインが入る次の日曜日 荷物を取りに行ってもよいか ということだった今息子は テスト対策で終われている 受験の子もいる とても忙しい時 日曜日は仕事を休めない 月曜日にならないかと返信する 返答はない保育園からの着信があった元嫁は保育園にちゃんと話してないのだろうか周りに迷惑かければかけるほど 不徳を積むだけなのに せめて 保育園の先生には もう少し待ってと 連絡してあげてほしいまた どんよりとした気持ちになる息子も落ち込んだまま 仕事に行く今日も心の痛い1日になりそうだ・・・
今日は1月13日(日)喪失感が消えたわけではないが 脱力感というか 何もしていないのに「疲れた・・・」と感じている そういえば息子に 2・3日前 元嫁からラインで まだ 離婚届をだしてない と 来たそうだ どうも 元嫁家族でもめているらしい 何をもめるのかよくわからないが 生活費がどうのとか・・・ 息子は払わないなど 一言も言ってないのに 何でもめているのか 皆目見当がつかない あんなに離婚届に判を急いで押させておいて どういうことなのか?? そういえば 元嫁家族が押し掛けてきたときに こんなことを言っていた 「私たちは家族なんだ カンタにはここにいる皆の「血」が通っているのだから 皆で協力して育てるべきだ」と・・・私が一人で必死に育てているときは 一言もそんなこと言ったことがないのに 離婚となったら急に言い出していた 何でそんなっことを言い出したのか?考えられるのは・・・ 娘が離婚届を持っていたことを 義理父・母が知らないわけがないあっさり印鑑を押され カンタを押し付けられた感が出た?かもしれない 思ったより手がかかる 大変な子だとその時に気が付いた のかもしれないだから 育てられないなら 親権を渡してくれれば 責任をもって育てます!と 伝えているはず親権はやりたくない・たくさんの生活費を取りたい・なんとかカンタの面倒を見せたい この3つの事柄が向こうの両親の思いなのかもしれない元嫁が泣いているのが目に浮かぶ・・・私は「血」も大切だが「立場」も大切にして生きてきたたとえば 息子にいい人ができて(まぁ しばらくはないだろうが・・・) その人に子供がいたとき 私は息子が 父親となることを決心したら 私もその子のばぁちゃんとなり カンタの時と同じように育んでいける自信があるたとえば 私より10歳も20歳も年下の上司がいたとして 私はその人を上司と認め尊敬し 従うことをする それが部下としての立場だからだたとえば 10歳20歳年の違う友人がいたとしよう(本当にいるが・・・) 友人なんだから上下関係はそこにない 同年代と同じように話 遊びに行くことが出来る もちろん同年代とまったく同じではないにしろ 友人として成立する それは友人としての「立場」だからだ血縁はもちろん大切だ だが 私には 大事に出来る血縁は息子と娘だけ 残念ながら 親戚は私が邪魔でしかない むしろ 友人のほうが私を大切にしてくれる ようは 親権のない子はもう 自分の子供ではない という認識だ とはいえ 責任を逃れてはいけない そういうことではない親権のない親ができる範囲の責任を持つべきである と思っている これは私の考えで 誰にも押し付けられることではない冷たいようだが こういう考えは 私の生い立ちにもあるようだ 私は7歳で産みの母親と生き別れ 継母と暮らした その継母は私のことが嫌いだった それはしかたない 私の産みの親を知っていたからだ しかし・・・7歳の子にそれを押し付けてくる大人たちは 私は許せない と思っている今日は長くなってしまった が なぜかわからないが 離婚届を出してないらしい ということだ
今日は1月12日(土) カンタと会えなくなって6日が経ち 7日目を迎えたことになる最近は寝れるようになった毎日夢を見ているが 思い出したり 夢を考える余裕はなかったが 昨日あたりからどんな夢を見ているか 思い出せるようになったそう・・・カンタがかえってくる夢だ私は毎日 夢の中でカンタと会っているああ~今日もいつも通りの生活が始まるんだ と カンタの世話をしている夢どうしてなんだろう それで自分の傷を 癒しているのだろうか?現実に戻ると返って 辛いような気がするけど 夢をコントロールはできないから しかたない・・・
今日は1月11日(金)ですカンタがいなくなって 6日目が始まりました1月6日の出来事を 見える傷に例えるとカンタを抱いて 全力疾走していた時に 横からカンタを すっと取られ え?っと振り向いた矢先に 壁にぶち当たって 全身骨折した感じです激突して倒れたので その日はCTやMRIやいろんな検査があって バタバタして1日終わって ICUに入り 生死をさまよった2日目 3日目に何とか自分に起きたことを理解できるようになり 4日目から痛み止めが少し効くようになった そんな感じですねそれでも全治3か月の重傷ですね
1月6日に起きた家族の大事件から3日が過ぎたカンタのいない5日目が始まった心の傷はそう簡単に消えることはないが確実に苦しみが和らいでいくのがわかる少し食欲が出たので即席ラーメンに卵を入れて食べた吐きそうになったが こらえたそうはいっても ため息ばかりで体が動かない一応洗濯機は回す昨日1月9日(水)の息子との話でカンタや元嫁といたときの辛かった話が出た①カンタは寝てほしくても寝てくれない起きてほしくても起きてくれないカンタが夕方寝たら私も夕方に寝るカンタが朝方まで起きていれば私も朝まで起きている夜泣きもするし 寝相も悪い足で蹴飛ばされたり 私の頭の上で寝たり布団はすぐ蹴飛ばすから 気が付いたら常にタオルや布団をかける何も考えず ゆったり寝ることなんてできなかった②食べ物も食べてほしい時に食べない食べてほしいものも食べない昨日食べたものも今日は食べない何を作っていいのか・・・作る気力がなくなっていった③靴下を脱げるようになった が脱がなくていい時も脱いだズボンを途中まではけるようになった が脱がなくていい時も脱いだ④私がトイレや洗濯などでカンタから離れるとパソコンを触った なんだこれは??と思うような画面が出ている携帯を触った友人に電話掛けたり メールを送っていたそのたびに 謝った⑤届かないようにしているものに手を出したカウンターの上に置いてあった お茶入りのコップを持ち 逆さにしてお茶をこぼして遊んでいた同様に パックのジュースも飲まずにそこらじゅうにジュースをばらまいて遊んでいる⑥DVDやCDもなめまわし かんでダメにしてしまう本もビリビリに破き 大事な写真も はがきもなめて 破いてしまうカンタはたくさんあるおもちゃより 私の大事なものや 触ってほしくないもので遊ぶことを 楽しみにしていた だから私は カンタから離れることが出来なくなったカンタが保育園に行っている間にできなかった家事は どんどん溜まっていった カンタがいないときに ホッとして休みたくても 洗濯や掃除 カンタの食事は用意しなくてはいけなかった 休みが欲しかった けれど なかなか心底休むことはできなかったカンタは今年4歳になる3歳と8か月のカンタは 走ることが出来ないぴょんぴょん飛ぶことが出来ない お遊戯をすることができない 手遊びをすることが出来ない メロディを奏でることができない 言葉を発することが出来ない 「あ」と「ま」「ん」しか言えないそんなカンタをどうやって育てていこうか この子が自立できるまで私は死ねない 呪縛にも感じたこの「死ねない」から 私は解放されたしかし・・・ 逆に・・・一人で座れる時期に座れなかったカンタが座れるようになった ハイハイができるはずの時にできなかったカンタが ハイハイできるようになった 歩けるときに歩けなかったカンタが歩けるようになった 一人で歩けなかったのが手をつなげば歩けるようになった 手を離しても一人で歩けるようになった 一人で立てなかったのが 一人で立つことができるようになった 靴を脱げるようになった 靴下を脱げるようになった コップをもって飲めるようになった ストローで飲めるようになった ズボンを一人ではけるようになった 次は何を課題にしようか? 次は何ができるようになるんだろう・・・とカンタのできることを増やしていくことが生きがいになったそれが1月6日のあの出来事で すべてが夢・幻となり消えたそれと同時に 私の生きがいも消え去った・・・胸の痛みは まだ 消えることはない
今日は1月9日(水)昨日8日は 外からの発信はなくただただ 内臓の痛みと胸がよじれるのを耐えている1日だったそれでも友人が心配して電話をくれた私のことを考え 擁護してくれる言葉はなんとも心地よく 心が軽くなった気がした友人に感謝!昨日夜中11時30分過ぎ 息子がかえってくるお互い毎日話をする自分たちの心の痛みがわかるからだ私は自分が算命学の占いができるのを思い出した息子は戌亥天中殺であることは知っていたので息子の年運を見ることにした息子の年運はこうだ司禄の沖殺 司禄の持つ意味の逆転現象が起こる 金銭的災い・出費かさむ 家庭運が波乱気味 婚約解消 財産・貯金を失いやすい 積み木崩し 家庭にいざこざあり 結婚最悪 財産激減 家庭が壊れるべきして壊れた そして 元嫁もなんと 同じく司禄に沖殺がついている 天中殺も同じ ということは 元嫁も今年は動いては行けなかったのである 息子が離婚したいと言っていれば 今は待って もう一年動いてはいけない と 忠告できたけれど 元嫁は私に一言もなく 離婚を決めてしまったので 止めることはできなかった 息子と違うことは 息子は受け身であるということ 自分から環境を変えてしまった元嫁は 亥年もかなり苦しい年になる 今年の年運も息子と同じである 禄存の持つ意味の逆転現象が起こる 金銭的災い・出費かさむ 異性運 悪い 愛情のトラブル 自分の運勢を下げる人と 付き合ってしまう 父親が病気やケガをしやすい 父親高齢の場合 最悪も考えられる 金銭トラブル 絶えない 出費かさみ 入金少なくなる 愛情が 大きく崩れる 父親の健康運に 危険信号 交通事故等注意 息子は私がサポートできますが 元嫁には 身体を張って自分を守ってくれる人は いないと思ったほうがいいでしょう 自分が決めたことです 冷たいようですが 自分一人でカンタを育てていく!という覚悟が必要です もし亥年の苦しさを乗り越え 子年始めの情緒不安定を乗り切れば 子年後半からの運気上昇に乗ることが出来るかもしれません もし 元嫁の友人がこのブログを読むことがあったら 言ってあげてください 今年一年は歯を食いしばってがんばれ!と・・・
1月8日(火)朝昨日より辛くなった私たち親子それでも「塾に来てくれる子供たちの為 がんばって!」と背中をたたき 息子を送り出すまた 一人になった・・・昨日7日(月)午後10時頃息子がお風呂に入って間もなく 玄関の呼び鈴がなる嫁・カンタ・義理の両親が両手にカンタの大きな荷物を抱え家の中に入ってきた慌てて風呂場の息子に伝える息子も慌てて出てくる相手両親の話が始まる中国の方なので よくわからないところもあったが「娘の体調が悪いので 病院に行ったら とても重くこのままでは命に係わると言われた娘の体調がよくなるまで カンタの面倒は家族全員で協力してみるべきだ せめて3日でいいからカンタを預かってほしい それは家族として当たり前のこと」私はつかさず反論した「離婚と言い出したのはそちら 何の相談もなく決めておいて協力も何もない 覚悟がないのはおかしい」相手両親は この親に何を言っても駄目と思ったか息子に話しかける息子はブレなかった「私たちはカンタを見たくないとは言っていません私たちに親権をいただけるなら 責任をもって育てますそちらで親権を持つというのであれば 勿論協力しますが責任はそちらであり 私たちは口出しいたしません」相手両親もブレなかった「親権は大切なことであり そんなに簡単に答えを出すことではないもっと時間をかけて決めるべきだ」この終わりのない話がしばらく続く平行線私は入る「3日間預かったとして その後また カンタを連れていかれるそんな辛い思いを私は何回もしたくない!」その言葉を言った途端 両親が変わった「それはそうだ それは辛いことだ」え?納得した?私の気持ちを受け入れた?私は拍子抜けしたと同時に 心の中で 何かが落ちたそんな気がした それ以降 私は口を閉じた嫁家族は中国語で話し始めた私たちはただ 呆然とその光景を眺めていた嫁が泣き出す息子が訳を聞く嫁は「離婚しても協力してくれる 助けてくれるっていうから踏み切ったのに 全然協力してくれない」それを聞いた義理父は激怒していった「協力しないって言ってない!それおまえおかしい!」カンタがびっくりして泣き出す埒が明かないと感じたのか 息子は嫁と二人で外へ出た4人残された義理父が車が心配と出て行った義理母に声をかける「ねこちゃんは元気ですか?」なんてことない会話がしばらく続く誰も帰ってこない 義理母も出て行ったカンタと二人になった・・・ソファに座った私の横に カンタが座った二人ぬくもりを感じながら ただ・・・座っていたゆったりとした落ち着いた気分だった1分だったのか3分だったのか5分だったのかあっという間に皆が帰ってきた義理父が荷物を持った あ~カンタは置いていかないんだそして嫁が初めて私の顔を見て言った「おかぁちゃん 辛い思いをさせてごめんなさい本当にお世話になりました」「あら そんなこと 言えるんじゃない」私は嫁の頭を撫でてやった「私はどっちでもいいのよ」と言ったが 嫁は「いいえ カンタは私が育てます」と言い切った「そか がんばれ」私は笑顔で答えたカンタにコートを着せるカンタは外に遊びに行けるとうれしそう私がバイバイと言ってももう 目は外に向いているパパがバイバイと言っても 笑って手を振るそして 昨日より辛い今日が始まった
息子と私は ただ・・・呆然とするだけなに?なんでそうなるの?息子「俺もよくわからない」昨日1月6日(日)14時いつものように息子と嫁とカンタを送り出す日曜日息子が仕事が休みの時 3人でお出かけするのは 当り前のこと何時ごろ帰ってくる?そのころに夕飯作っておくね体調がよくないから ゆっくり遊んできてね何も疑わなかった いつものことだったしばらくして息子からラインが来る俺だけ先に帰る・・・ん?なんで? とにかく息子の帰宅を待つ息子「離婚したいらしい」私「え?なんで?」息子「俺もよくわからない」息子も急に言われたらしく 呆然としてるよく聞くと かなり嫁の両親と嫁は話を進めていたらしく保育園を転園する時期や離婚届を出す時期など もう計画していたようだこうなったらどうすることもできないね 嫁の言う通りにしよう嫁からのライン カンタの荷物と自分の荷物を取りに行くから 迎えに来てほしいあと しばらくは保育園に行かせたいから頼みたい とも言われたよくわからないが もう 別れることが決まっているのに 何もなかったように保育園の送り迎えなんて 私にはできない今から会うことさえも 私は拒絶それは受理された嫁が荷物を取りに来た 無言だった息子は離婚届を手にしていた なんと もう 持っていたのか・・・!息子「印鑑ある?」慌てて探す離婚届のカンタの親権は 嫁になっていた100均の印鑑 息子は名前を書き 印鑑を押していた息子「嫁を送ってくる」私「そか とにかく気を付けて!」離婚成立 そして私は 2度と幹太とは会えなくなったなに?何が起きたの? 私はいまだに喪失感を抱きながらそう心の中で叫んでいる