今もこうしてふだんと変わらず普通に生活し仕事することが出来ているのが不思議な感じですし、もちろん有り難くもあります…
※これまで何度となく書いて来た通り、私が4才の夏に2つ違いの弟を亡くしましたし、20歳の冬には中学生の頃の親友を亡くしています…
⇒その後も40代に入ったら立て続けに3人の親友たちを亡くしました。
※また息子は8才の誕生日を迎えることなく亡くなっていますし、孫に至ってはこの世に生を受けることなく旅立ってしまいました…
⇒つまり私が当初覚悟していた50才の誕生日を無事に迎えられるのか❓どうかなんて、何の保証も確証もなかったのです❗️
☆自分自身の寿命について何の疑問も持たない人たちには分からない感覚かと思いますが、鬼滅の刃を読んだり観たりした人たちなら、鬼殺隊の隊士たちの覚悟としてバックボーンになっていることなので、それほど変な話しでもないと思いますし、そもそも仏教の教えの基本中の基本は諸行無常なので私の思い込みとも言えないことを少しはうかがえるかと思います。
まぁそう言った経験から学んだことも含めて、ずっと一期一会と言う教えを胸にこれまで生きて来ました
・人の寿命が何によって決まっているのか?は知りませんし、これだ❗️と言う確たる理由のようなものも分かりませんが、
⇒寿命そのものにも因果の道理が働いて(作用して・反映されて)いるとしたなら、前世(過去世)の私の善行が足りなかったのであれば仕方ありませんし、それでは何故9年もの余生(ロスタイム)を過ごせたのか❓と言う説明がつきません…🤔
・唯一考えられるとしたなら、過去世の徳積み(善行の貯金)が尽きる前に今の仕事に就いて、日々の小さな行いの積み重ねがそれを延ばしたのかもしれないとかかな!?
⇒もしもそうであるのなら、確かに蒔いた種が実り(余命)として還って来てくれているのだろうなと説明もつきそうですがね…
>ことの真相は分からなくても、今の仕事に専心している限り、この小さな力を必要としてくれてる人たちが居ると言うのは、とても心強くて有り難いことです☺️
※少なくともタクシーを降りる日が来るまでは、この町の人たちの頼られる1人としてこの仕事を全うしたいものです。