【69】【知る人ぞ知る体験・逸話-その1】
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【70】【知る人ぞ知る体験・逸話-その2】
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【78】【知る人ぞ知る体験・逸話-その3】
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のつづきです。
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今回も、通称「現証の中野」こと
故・中野忠次氏(啓脩院法忠日全居士)
の逸話です。
-------【題目に呼ばれた時鮭】-------
「北の漁場」
これは昭和50年代前半の話である。
中野氏の知人に、沿岸漁業を生業とする漁師:T氏がいた。T氏の自宅は北海道・様似。
T氏は10トンにも満たない船の小規模な漁業で個人経営をしていた。
小型底引き網漁で捕れる魚は、季節や漁場によっても異なるが、カレイ、ヒラメ、イカ、ホッケ、コマイなど種類も多い。
禁漁が明けた初夏、T氏は水深60~80m付近で主にカレイ、ホッケ、コマイなどを狙う予定をしていた。やはりどこの海にも暗黙の縄張りが設定されており、漁協の準組合から正組合員になったばかりのT氏にはまだ気の知れる仲間がいなく、常に孤独な漁をしていた。
そしてまた、当時は第2次石油危機、そして200カイリ問題(排他的経済水域)が漁業にも大きな打撃を与えていた、苦しい時代であった
「出航」
港に人影が見え始めるのは、早い時で午前3時半。遅くても5時前だ。
“漁師の勘”というやつで、前日までには翌日の海の状況は大体予想がつくというが、それでも微妙な日は、焚き火しながら様子を見るという。
出港前には、前日の漁で捕った魚のうち、籠に入れて海に入れておいたものを引き上げて陸に揚げる作業がある。そして船の上。船や網の点検も手早く行う。
几帳面なT氏は、海底を引く鉤つめ部分が折れたりしてないか、網は破れてないか等々、基本を怠らない。
漁場・魚種は季節によって異なり、その日の漁場は漁協の仲間で大体確認するのが普通だが、孤独なT氏は魚の群れにどうやって当たりをつけるか、勘を自分で鍛える毎日であった。
初夏は「底曳き漁」が解禁期であり、先手必勝で一気に結果を出さねば成らない。
「船上の歌」
通常、漁に出ると船の上には自分一人。船を操るのも、網を入れるのも、選魚の作業も一人でこなす。当然、会話など無いが、煙草を吹かしていると、無線から漁の様子を尋ねる声が聞こえる。大海原の上で、唯一聞こえる人の声だ。
そして、網を入れる時、引き上げる時は、船上の歌が聞こえる。
王道は「斎太郎節(大漁唄い込み)」、「大漁節」、道産子なら「ソーラン節」だ。
「嬉しくない水揚げ」
底引き網漁は、網を引くうちに、誰かが捨てたごみや缶などが引っかかることも少なくない。魚が上がれば儲けになるが、こういう物がたくさん上がっても、かえって網が破れる被害になるだけだ。まったく出会いたくない水揚げだ。この日もT氏は〝大きなゴミ〟の大漁だ。
「中野氏との出会い」
たまの休日には、陸の箱で〝酒が入る〟。
旨い酒(大漁酒)と悲しい酒(不漁酒)があるわけだが、収穫がふるわず落ち込んでいたT氏の酒は後者だ。
この日、たまたま隣に座った中野氏。
中野氏「おぅ!あんちゃん何落ち込んでる!」
中野氏はこう語りかけた。
T氏は毎日の苦労と不漁を語り始めた。
中野氏はここで自身の体験話を交えて折伏を始めた。
中野氏「そうか、わかった。俺に任せろ!俺が祈ってやる!題目でな!」
T氏「題目ですか??」
中野氏「おぅ!題目ヨ!大丈夫だ!大漁だ!南無妙法蓮華経だ!」
T氏「仏教ですか?」
中野氏「そうだ!日蓮正宗だ!南無妙法蓮華経だ!」
自信を持って体験を語る中野氏の目は爛々と輝いており、
いわゆる、「覇気」がみなぎっていた。
この覇気に吸い込まれたT氏はすっかり中野氏に惚れ込んでいったのである。
中野氏「お前、漁をする時、漁歌を歌うだろ、何歌ってる?」
T氏「やはりソーラン節ですね。あとは佐渡おけさ。」
中野氏「そうか。普通はそうだよな。今度から歌の代わりに南無妙法蓮華経だ。南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 ってずっと唱えて漁をしなさい!俺も祈ってやるから!」
T氏「わかりました!いちかばちかやってみます!」
中野氏「そうか!やってみるか!今日の酒は俺のオゴリだ!記念日だからな!」
T氏「ありがとうございます!何かわかんないけど、自信がでてきました!」
中野氏「また会おうや!」
こうして両氏は北の路上で握手して別れた。
**【題目に呼ばれた時鮭】**
T氏はいつもと変わらず基本を怠らず、真面目に漁に出かけた。
いつもと違う事は、「歌の代わりに、南無妙法蓮華経」を実践したこと。
突然、船が大きくローリングし始めた。
「何事か?!」
絶句である。
この日の漁で網にかかったのは、50匹前後の「時鮭(トキシラズ)※」であった。当時の価格でも1匹3万円以上もする高級鮭だ。
※時鮭(トキシラズ)
春から夏にかけて捕れる鮭のため、時期が異なるという意味で「ときしらず」と呼ばれる。時鮭となるのは日本の河川で生まれたサケではなく、ロシア北部の河川で生まれたサケと考えられている。回遊中に日本の近海に現れた若い個体であり、まだ成長途中で卵巣や精巣も成熟していない。そのため、身肉に栄養素や脂が凝縮されていて、非常に美味だとされる。
しかも、100以上もの多数のライバル船が出ている沖合で、〝T氏の網だけ〟に時鮭(トキシラズ)が掛かった。
それも、暗黙の縄張りの中にあって、一番不利な漁場にいたT氏の網だけに掛かったのである。
入港後、同じ港の漁師達は驚き、その家族や友人までもが野次馬にきた。暗くなった港には、「ヨシ!俺も明日やるべ」「俺もトキ上げるぞ!」と、朝とは違った活気が満ちていった。
そして、その翌々日に起こった現証は、やはり、
〝T氏の網だけ〟に時鮭(トキシラズ)が、今度は100匹近く掛かったのである。
不思議にも他の漁師の網には一切掛からず、この珍しい現証を聞きつけたNHK局が報道として取材に現れた。実際、その日の夜のNHKニュースに流されたそうだ。
T氏はこの後、中野氏と共に苫小牧の日蓮正宗寺院へ参詣、素直に入信した。
中野氏は、
「これでね!わかっただろ!南無妙法蓮華経と祈った漁はね、その題目にね、我も我もと魚達が吸い込まれて行くんだよ!何でね、ライバルが100もいて、あんたの網にだけトキシラズがね、かかったのかとね、それだけ御本尊の力が凄いってことだよ!わかったか!」と熱く語った。
以来、T氏は「歌の代わりに、南無妙法蓮華経だ。」を仲間に広め折伏を展開、漁協仲間からは「福の神」というあだ名をつけられた。
そしてその後、陸で飲む酒は当然、
悲しい酒(不漁酒)から、旨い酒(大漁酒)に
なっていったわけだが、
ここで穫れた、美味な「鮭」もまた格別な、
〝大漁鮭〟になっていった。
Cyuji Nakano
参照過去ブログ
http://ameblo.jp/rufu-rufu/entry-11711015265.html