5カ月後の南三陸町 | Rue(るぅ)のライブ日記

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Rueの出没場所がわかるかも!?

災害ボランティアバス「ご恩返し号」で

宮城県本吉郡南三陸町に復興のお手伝いに行ってきた。


前回伺ったのが、5月末だからあれから約5カ月後の南三陸町。

復興はどのくらい進んでいるのか。

人々はどうしているのか。

行って見て確かめたいという思いで。

みなさんがわかりやすいように画像で比較してみるよ。


【5月】
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【10月】
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合同庁舎跡。
散乱していたいろいろな物は一か所にまとめられて片付いているように見える。

【5月】
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【10月】
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こちらも同じ場所。瓦礫で埋めつくされていた地面が見えるようになっていた。


【5月】
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【10月】
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防災センター跡。
鉄骨に引っ掛かっていたいろいろなものはきれいに取り除かれ、下に祭壇が設けられ、
お祈りできるようになっている。この建物は取り壊しが決まった。

【5月】
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【10月】
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瓦礫もきれいに片付いている。
片付いて、、、、

というよりも、集められ、こんな風に。

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こんな山がいくつもありました。行き場のない瓦礫たち。
瓦礫と言えども、ひとつひとつに生活の痕跡や、思い出のあるかけらたち。
このかけらたちは、どこへいけばいいのか。

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街の冠水が目立った。
堤防が壊れているからか、地盤沈下からか。
こんな感じで潮の流れをせき止めていた。

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復興の兆しを感じたのは、海。
5月は船も動いていない状態だった海に、
牡蠣の養殖が始められていた。

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船が動いていた。

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人が動き出していた!

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街が動き出していた!

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(手前の敷地が元ファミリーマートがあったとこ。奥のが仮設で新しく建てたもの)

少しずつ、ゆっくりと、復興へ歩んでいっている。


しかし一方、住民は仮設に移って、プライバシーが守られるようになったけれど、
ローンや公共料金などの督促状が着始めたり、孤独死、自殺、PTSDなど、
公には出て来にくい部分で問題がたくさんある。
まだまだ住民にとって災害は終わっていない。

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私達、災害ボランティアは、依頼を受けたことをやるだけだ。
今回は、住居の瓦礫撤去、汚泥の掻き出し、養殖いかだの重りにする土のう作りをお手伝いした。
黙々と汗まみれ泥まみれになって作業をし、今回は住民の方とお会いする機会もなくて、、、。
それでも私達が伺う事で「忘れてないよ」「味方だよ」「ひとりじゃないよ」とアピールできる。

活動が終わった後、現状を周りの人々に伝え、支援を続けて行くこと。
災害でこの街にゆかりができた。
もう知らない街ではない。
私達の街だ。

人の役に立ちたい、、、、
そんな期待もちょっとはあるけれど、
それは二の次に考えよう。

自分がやりたいから、自分がいいと思うことをやるだけだ。
チーム島原で行くと、達成感も感激もひとしおだよ。

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