今年、国際G1に昇格を果たす「大阪杯」のもつ古事記については、これまで書いていないので少し書き留めておく。その創設は1957年というもので、第1回開催ハンデ芝18戦の勝ち馬ホマレイチ(1953年生)の完全な戦歴は当方の資料でも確認出来ないが29戦8勝(地方2勝含む)
同馬は、明け4歳で「春天」を目指す為に「大阪杯」に出走して勝つ訳だが、その3歳時は、秋からの成長という上がり馬キャラであった。「神戸盃2着(芝18)」から「京都特別3着(芝22)」を経て「菊花賞」というルートは所謂、当時の「王道」で、一時期の「神戸新聞杯」「京都新聞杯」にあたるもの。結果「菊花賞」を3着に負けた同馬は、そこで諦めずに師走30日の「京都記念(秋)(芝22)」にも出走して3着。当時の賞金システムは確認出来ていないが「善戦マン」の評価以下でも以上でも無い。
明け4歳初戦は早々に「日経新春杯(芝24)」を選択し2着、そこから「大阪杯」で戦歴簿に7勝目を刻んだ。結局、「第35回春天」はキタノオーの4着に敗退するが、その後、1960年には「金沢競馬」の重賞「農林大臣賞典」を2勝している。
とまぁ、これで何が解るかと言われても、そのスパンは大きいが、創設時のコンセプトを継承しているのが2007年に距離変更した「大阪城S」であるという事ぐらい解るだろう。
3月施行の芝18戦古馬OPというと、既述の「大阪城S」とある時期(96,97)の「韓国馬事会杯(中山)」、そして1988年の「マーチS(東京)」である。
「マーチS」を1着したランニングフリー(牡5)は次走の「第97回春天」で「阪神大賞典1着」からの(父)タマモクロス(牡4)の2着で穴を開けた。同枠は「阪神大賞典3着馬」。
第61回から国際G1としての歴史を刻む「大阪杯」は、要するに還暦という事になる。だから、「3枠には注意せよ!」なんて事は言わないが、「暦」重視のJRAであるから、無いとも言わない。