「中山金杯」が守り続けたものとは~中山芝2000M戦の偏向性~ | リゲイン総合研究所~競馬番組「表」なんて実在しない~

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◆片岡勁太は実在しない「番組表」という虚像を読み解こうとするが我々は「競馬番組」の実体を解き析かす点で全く別物である。日本中央競馬会は、その名の下で施行される競馬番組の中で「何が勝っても構わないレース」の存在を許諾する事は皆無である。

 以下も、随分と前に記事にした内容と重複している部分が多々あるので恐縮だが、「中山金杯」がまだ「金杯」としか名乗っていなかった頃の昭和36(1961)年以降、現在まで採用している「芝2000M」という距離カテは中央競馬に存在する総ての競馬場に重賞が存在する「特別な距離カテゴリ」と言う認識が当研を含めた一部では常識なのだが、古馬が経験出来る「中山芝2000M」のオープンクラスの競走は、当該「中山金杯」が唯一である点で特殊とも言える。
 その状況は2008年に「エイプリルS」が中山芝2000Mを捨て去って現実化したから、未だ10年の経過を見ていないが、「オープンクラス」を「重賞」と読み替えると少なくとも「グレード制」導入時点から成立している。
 主催者は、なぜに3歳までは目指す高峰の1つとして「皐月賞」を編成し、それまでに「弥生賞」や「京成杯」、昨年からは「ホープフルS」の1着本賞金を「弥生賞」の5200万円を軽く凌ぐ6500万円に設定して(これは、つまりこの距離で「皐月賞」の次に賞金が高いという意味)施行を開始。
 これまでの競走大系に関わる基本思想を大きく変化させずに、古馬に対しては、そのコースについての巧拙を問うような事をしないのは何故なのか?
 今年の「中山金杯」には、その最高峰を制覇した第73代皐月賞馬ロゴタイプが存在するが、58.0キロの同馬が「中山金杯」で、コース適正を存分に発揮させたとして、その後に何の機能性が現存し得るのか?この特殊な重賞を1着起用されて、後にG1制覇を果したクシロキングや(父)サクラローレルが特殊戦歴馬であると言ってる訳ではない。

 「京都金杯」が芝2000Mを捨て去ってマイル戦となったのが2000年で、それまでは古馬重賞で、この「京都芝2000M」を採用している番組の唯一であった。つまり、現行の中央競馬番組の中に於ける「古馬重賞ステージ」には「京都芝2000M」は存在しない点で特殊である。しかも、クラシックでは無いがG1クラスに位置づけられる「秋華賞」以外に、この距離を採用する重賞すら存在しない。既述の中山でも同様だが、別の意味での特殊事情とされる「代替開催」による施行への影響を単純に短絡解釈している場合には、見えて来ないものが見え隠れする。一例を挙げるなら、「皐月賞」が「中山芝2000M」で施行されなかった年のピラミッド構成は、当然、変形を余儀なくされるという意味。
 極論ではなく、ここに「ホープフルS」を「第31回」とし「ラジオNIKKEI杯京都2歳S」を「第1回」とした理由が内抱されている事を意識すべきだと思う。だから、今年の「中山金杯は・・・」という類の話では無いから、蛇足レベルの話ではあるが踏まえたい。