第72回菊花賞 ミスターシービー型三冠馬の相手をつとめたのは | リゲイン総合研究所~競馬番組「表」なんて実在しない~

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◆片岡勁太は実在しない「番組表」という虚像を読み解こうとするが我々は「競馬番組」の実体を解き析かす点で全く別物である。日本中央競馬会は、その名の下で施行される競馬番組の中で「何が勝っても構わないレース」の存在を許諾する事は皆無である。

「菊花賞」でミスターシービー型3冠馬の相手をつとめたのは

 1983年ビンゴカンタ    日本ダービー3着現物
 1994年ヤシマソブリン   日本ダービー3着現物
 2005年アドマイヤジャパン 日本ダービー3着同枠
  今年の「菊花賞」が上記3頭の「菊花賞」と決定的に異なる点は(国際)であり揃目開催では無い点である。
 2000年、「京都新聞杯」から「菊花賞主幹トライアル」という大役を継承した「神戸新聞杯」は春季移設しG3(特し)に成り下がった「京都新聞杯」を経てダービー馬となったアグネスフライトを差し置いて3歳夏デビューのぽっと出のフサイチソニックを1着起用し、その優先出走権を破棄し、3着馬エアシャカールの変則3冠を演出することで、稼動を始める。
 翌年、(混合)として(外)エアエミネムをマル外開放初年度の「菊花賞」3着席に送り出すなど、トライアルの機能の一部を稼動するが往年の「京都新聞杯」ほどの「鉄板ルート」には程遠い状況が続いた。
 そもそも、「秋天」の資格賞金嵩増戦として流用される立場の「神戸新聞杯」に威厳など無い訳だが、2004年、キングカメハメハが「変則2冠馬」として、これを制して終了し、翌年、(市)ディープインパクトが「真正2冠馬」として、この勝歴を「菊花賞1着席」に届けるに至ったのは翌年の「中京代替」を控えた2005年であり、これが「阪神芝2000M」戦が「菊花賞馬」の前走というルートの最終版となった。
 もどり開催の2007年にJpn表記とともに「神戸新聞杯」は芝2400M戦となり「秋天ステップ」と揶揄される身分を捨てることになったのかと思わせながらディープスカイが、これを制して空洞化する。
 それも(国際)競走に向けての経過措置の中に位置する中途半端な状況での出来事であった。
 2010年晴れて(国際)競走としての出走資格を獲得した「神戸新聞杯」は、時を同じくして(国際)化した「第77回日本ダービー(取消)」1,2着馬を逆位指名することで「菊花賞」での禁止条件を示した。
 そして(国際)化2年目、「WIN5」対象競走となった「神戸新聞杯」は「日本ダービー」1,2着馬をそのまま起用し、1着同枠馬を除斥する。
 今年の「神戸新聞杯」は、芝2400M戦となって初めて「菊花賞1着馬」へのルートを示すと共に、来年、新しい「競馬番組編成」の中から、出現するはずの「無敗の5冠馬(WIN5)」の為の王道を開拓し「1着歴」の重要性を宣言する。(以下省略)