おじいちゃん。 | 本日の空模様

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こんばんは。

 
只今、実家からの帰りの電車です。
山仲間の飲み会だという母と駅のホームで会った母の仲間のおじさまたちと別れ、一人になりました。『なに?特別ゲスト?平均年齢下げてくれるの?』なんて、いつも職場で平均年齢をあげている私は久々に珍しいことを言っていただいた。
 
しかしまぁ、埼玉のJKは制服のスカートが皆膝丈なんだなぁ。実家の近くのJKに限って言えば、膝丈スカートの下にジャージっすよ。。うちの方は冬でもみんなパンツが見えそうな丈だけど、同じ関東でもこんなに傾向が違うんだ?いったいその境目はどの辺りなのかが気になるところ。
 
さて、少し前に私が興味を示したことについて、父も母も話したくて仕方がなかった様子。堰を切ったように溢れるわ溢れるわでそをんなに覚えられないよ。

(一般人のファミリーヒストリーなんてつまらないでしょうけども。。覚書として記録させてください)
 
父は母方の祖父のことを。(私の曾祖父)
元々は吊り橋で有名な徳島の祖谷の出で、日露戦争ではかなり厳しい軍曹だったんだとか。。

戦争が終わり日本人というだけで皆が痛い目に遭う中、父の家族は満州へ渡り、鬼軍曹であったおじいさんの人柄で現地の人たちと仲良くできたお陰で無事平穏に生き延びたのだとか。満州では農業をやっており、かなり開拓したらしい。川沿いに田んぼをたくさん作ってたという幼き父の記憶。
これはたぶん、父が生まれる前。
 
 
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母は、私が小さい頃から、母の父方は武田信玄の血筋なんだと自慢げに話す。私の祖父は岡山の出で、さらに辿ると岡山城に仕える武士だったんだとか。廃藩置県により職を失った武士たちは、それぞれ事を興していったそうなのだけど、先祖である山之内家(祖父の母方)は葡萄の栽培を始めたのだそう。それが今や岡山では有名でしょと。そうなの?その山之内の祖父の母(私の曾祖母)はまたハイカラな人で、レンガを積み上げて窯を作り、パンを作っていたのだとか。しかしイーストなどない時代、ジャガイモを擂って酵母を発生させて利用していたそう。
 
母にとって父(私の祖父)はかなり自慢の人みたいだ。確かに明治の人にしてはとても背が高く(180センチありました)お洒落でハイカラなおじいちゃんだったな。絵を描くのが得意で私は小さい頃、おじいちゃんに色々描いてほしいものをリクエストした記憶がうっすらとある。
中学でバスケ部に入ると『おじいちゃんが日本で最初にバスケを始めたんだよ』とキセルをふかしながら祖父は自慢げに話してくれた。
また、よく一緒にパンを買いに行ったな。
 
祖父は建築家で、札幌のデパート(丸井今井とか五番街(?)とか三越とか)、函館のビル、また、東京タワーの土台や、香港の高層ビルの土台も手掛けたのだそう。
 
 
祖父の名を検索してみると、卒論『岡山城に就て』がその道の方には有名みたいで、関係ページがたくさん出てくる。
岡山城天守立面図を描いたのだとか。
 
 
 
ついでに、早稲田大学のバスケ部年表というのも出てきて、祖父が話してくれた通り、初代メンバーに祖父もいて第一回大会で優勝したみたいだ…すげぇや、おじいちゃん。。

 
 
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父の仕事についても尋ねた。
『いったい何をやっていたの?』と。
 
父は学生の頃から、雪の結晶で有名な中谷宇吉郎という人に憧れ、その方に携わる仕事からスタートしたんだそう。
今でいう目がテンみたいな科学番組の制作。
 
 
若かりし父の写真もあった。
仕事のことについては、父はとりあえず、ここから始めたんだというものを見せてくれて、続きはまた今度ね、となった。

 

 
また、コツコツと書き足している分厚い年表ノートもおもむろに見せてくれた。マメだ、、、。父のおじいさんの生まれた1880年から書き始めているのだそう。
 
 
 
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そして、現在の父は、学童保育のボランティアおじいさんとして、子供たちに色々教えたり遊んだりしているみたい。そういう人だったっけ?
 
10月には、市主催の『合宿通学』というのをやったそうで、もう14年目なのだとか。
三泊だか四泊だか、高学年の子供たちを対象にして公民館(農業センターという広い施設があります)を利用して60名ほど募り、親から離れ、集団生活をする。若い子から年寄りまで地域のボランティアがサポート。お風呂は近所の老人ホームへ行って借り、食事は有志の保護者のサポートを借りながら自分達で用意するみたい。なんて素晴らしい企画!
『仲間のつながりがすごくいいよ!この合宿に参加した子達がまた数年後に携わるんだよ』と、楽しそうな父。
 
タイミングよく、父が私に『これいいんじゃないかと録っておいた』と見せてきた番組、思春期の子が何故自分を抑えられずに爆発するのか、スマホを手放せない理由など興味深く以前見たわ。と、言ったけど、結局もう一度見て復習。25歳まではブレーキ機能である前頭前野が発達しきっていないから起こる思春期の困った特徴。しかしそのお陰で危険なことにもチャレンジできたり、暴走するへんとう体がすぐそばの海馬を刺激して素晴らしい記憶力を発揮するんだと、思春期は人間にとって必要なのだと結論づけている。その番組の中で、マサイ族の思春期の若者が親から離れて集団で過ごす風習が紹介されており、『合宿通学はまさにこの効果だね!』と。ふむ。

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実家はただ今改修&塗装中でありました。
 
 
玄関の巨大な松ぼっくり。

 

実家ごはん。
小豆島のオリーブ。ちょうど行ったときには時期ではなかったため、塩漬けが完成して送ってもらったのだそう。

 

私が小学生の頃、小笠原で取ってきた『ハカラメ』
まだ継続している。。すごい!
葉っぱから芽が出るんですよ、ご存じですか?

 
 
いつだったかプレゼントしたハイビスカスもまだ大事にしてくれている。

 

 

父方の祖父が1923年初版を購入したのだそう。

 

 

外壁塗装中のため車庫が使えず、近所の広場に駐車。
両親です。


 

今日はルビアンにしました。いっただきまーす。
 
ではではまたバイバイ