といっても多くないですけれど、
マイストーリー読んでくださってありがとうございます。
お陰様で癒えてます。

友達もLINEくれて、友佳子という名前は『よい友達ができますように』という想いもこもってるらしいので、
恵まれてることですわ。
それでね、ゆかこちゃんが人事異動になってドラゴンボール始まるくだり書きたいんですけど
先に最初の就職のこと書きます。
ていうのも、多分そのドラゴンボールよりも、人からしたら家業倒産の時の方が辛かろうよ…と思っていただけるかと思うんですが
先に書いた理想の会社に入るまでは
世間とは世知辛れぇところだなぁと思っていたので
仕事や、生きることは辛いもんだという洗脳があったので
それが、当たり前なのだと思ってたんです。
しかし、なぜか仕事はいつも評価はされてた。
それは、
打ちのめされながらも
巻いてやるというね、
気合いが
我を救ったのかなと思う。
その気合いをもっと大きな意志のもと喜びに。
本当の愛をあらわしていこうと思います。
私が新卒で入社したインテリアメーカー。
インテリアメーカーだからお洒落だと思ったら大間違い。
時代だったのか、
私変なのかなと自覚したのが
入社式の時。
黒のレザー調のスーツ上下に網タイツ履いて行った。
うちの母も、世間や常識を気にする割に、娘絶賛なとこもあるんで
「ゆかちゃんイイ!いってらっしゃい!!」
と、見送ってくれたの覚えてます。笑
まぁ、入社式では見事に他の女子は綺麗な春色のスーツやリクルートスーツでしたね。
あれ?
研修ではネイルを見られて
「あんた、こんなもんは仕事にいらん。」と一蹴。
サテン生地のジャケット着ていったら
「おまえ、パーティーでも行くんか!?」
と、なかなかお洒落なツッコミ。
なぜか、当時はしんどい方を選んだら得をするというマインドだったので
営業職の配属を希望して
設計事務所やゼネコンを回る部署に就きました。
で、同じ部署の女性の先輩が綺麗で仕事ができて、面倒見がよくてラッキーでした。
最初の同行のとき
先輩はメープルシロップ好きな人で
「もうメープルシロップのお風呂に浸かりたい。」
と言ってたのと
その先輩が面接の時、どんな人になりたいかを聞かれて
「幸せなお婆ちゃんになりたいです。」と答えたというのを聞いて
この先輩でよかったわー、と思ったものです。
ただ、営業マンたるもんは、こういうものだと学ばせて頂きもしまして、
私はコーヒーは苦手だったんですけど
1日5件くらい回って
まぁまぁ出てくるんですね、
先輩には
お客様に出された飲み物は残すでない!
と、教えられたので
もう、最後の方は一気飲みですね。
知らぬ間にコーヒー好きになりましたけど。
先輩は社内恋愛をしていて
私が入社して半年も経たないくらいで
社内結婚で退職されました。
「タツミちゃんは、要領いいから大丈夫!
」という言葉をしっかりね、胸に灯して

」という言葉をしっかりね、胸に灯して同期のフナビキという男の子といつも、
朝礼終わっては
喫茶店で待ち合わせてモーニングして
さっ、行きますかと
設計事務所を回って、仲良くなれたとこは結構ゆっくり遊ばせてもらって
帰って日報書いて
自己採点するところがあって
92点とか、今日はちょっとサボったから85点かなぁ…とか、書いてたら
ある時課長に
「自己採点でそんな細かく書いてるのタツミぐらいだぞっ」って、言われて
聞いたらみんな80点とか70点とかそういう単位だと。笑
そんなに残業もなかったし
この頃の苦痛は、朝礼の時の2週間に1回、回ってくる当番で、みんなの前で小話をすること?
天気ネタ、交通ネタ、政治ネタ禁止。

もう当番の日は、朝から吐きそうなくらい何を言おうと考えてた。
死ぬほど緊張するのを隠すので、ポーカーフェイス。
そんなこんなで、最初の一年は順調。
なぜか、新人賞まで受賞して、順調だった矢先の人事異動。
これ、パターンかい!?
っていう。
っていう。魔の部署、特需開発部というのがあって
そこの人たちみんな、顔死んでたんです。笑
そこの部長に呼ばれて
おまえならいける!と言われ
断る選択はないんですか?と聞くと
そんなもんはあらへんがな。
と、言われて。
地獄の沙汰。

