母の命日は8月9日ですが
少し早く今日、三回忌を行いました。
私は長崎に思い入れも、縁もある土地で
8月9日は長崎の原爆記念日。
そして今日は広島。
大切な存在を亡くすことは寂しく悲しいですが
いつかは別れるさだめ。
この世に生まれた理でもあります。
母は家族みんなが長生きする人だと思っていたので
どうして…という想いもありますが
母が選んだことかもしれません。
2年がたちやっと私の心の元気さも取り戻せてきました。
時というのは癒しです。
昨日も母を背負う夢をみました。
母はどこか、母のようであり、娘のような存在でした。
亡くなっても、尚
何かを担っていたのかもしれません。
悲しいですが
もう母も私から羽ばたいて行くのかもしれないと
今、感じています。
母がなくなる前は
いつも、私の想いが叶っていて
私はすべてが私に味方されている気持ちでいました。
引き寄せや願望実現ではどうにもできないことがあると
絶望的な思いになったのも母の死がきっかけでした。
どうにもならないこと、私の願いや意志を超えたことが起こるのだ、あるのだと
うなだれた日々がありました。
だけど、
最近は自分の願いや意志を超えた
大きな贈り物を感じています。
母の、一個人を超えた母という存在の、大きな愛を感じています。
私が強く幸せであらねばなりません。
矛盾してるようですが、
私はその意志をもたねばならないと思っています。
私も成仏するときがきました。
即身成仏。
母の友人が胡蝶蘭を贈ってくれました。
明日も目が覚めて生きられていたらうれしい。
ときどき、目が覚めて思います。
今日も、朝が来た。
命が始まる。
