柳原白蓮の母 | 季節だより

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季節の移り変わりはグラデーション…
気が付くといつの間にか「春・夏・秋・冬」になっている。
移ろい行く中で感じたことをのんびりと書いていきます。

(記事中の写真の無断転載はご遠慮ください)

昨日、通った道に蓮の花が咲いていた。

今日また通りかかったら…

花弁が落ちて…

蓮の実がスックと立っていた。

 

蓮の花……連想……白蓮

 

白蓮…連想……柳原白蓮

 

 

柳原白蓮は…

新見豊前守正興(しんみぶぜんのかみまさおき)のだった

 

新見豊前守とは…万延元年(1860)外国奉行としてアメリカ軍艦ポーハタンに乗り込み

日米修好通商条約の批准書を交換する正使の大役を帯びて渡米した人である。

ちなみに勝海舟・福沢諭吉・ジョン万次郎が乗って有名な咸臨丸

ポーハタンの随伴艦である。

 

左から村垣範正、新見正興、小栗忠順(1860年)

「新見はこの功績により300石加増され、10月には外国奉行専任となった」

…Wikipedia

 

白蓮事件で有名な柳原白蓮とは…

「父は柳原前光(やなぎわら さきみつ)伯爵。

母は前光の妾のひとりで、

柳橋の芸妓となっていた没落士族で奥津りょう…

白蓮大正天皇の生母である柳原愛子の姪で、大正天皇の従妹にあたる…」…Wiki

 

幼妻であり男子を産んだ16才の頃

 

5年間で終わった結婚生活…

 

戻った柳原家では幽閉生活状態だったが、

 

姉がこっそり届けてくれた

 

古典や新刊の小説類を夢中になって読んだ。

 

縁談が持ち上がったため家出を決行するも彼女の強い向学心により

 

東洋英和女学校に24才で入学。

 

↑語学の天才村岡花子(赤毛のアンの翻訳者)と友達になった。

 

 

しかし楽しい女学校を卒業すると見合いさせられ…

 

白蓮28才 伊藤伝右衛門52才

 

伝右衛門は炭坑夫から九州一の炭鉱王に。

 

伝右衛門家は…妾を兼ねた女中やら、

 

誰に生ませたのかわからない子供たちが大勢いる…

 

家族関係が複雑怪奇の中、

 

彼女はあかがね御殿の名で有名な別宅で、

 

文化人・学者を招きサロン化させた。

 

短歌にも励み歌集も出版して、戯曲も発表。

そこで東京帝大法学部3年、7才年下の宮崎龍介と知り合う。

白蓮事件とは…

大正10年(1921)白蓮が伝右衛門に対して新聞に公開離縁状を発表して、

 

親族はもとより文化人も巻き込んでの一大センセーションとなった事件のこと。

 

紆余曲折を経て白蓮は龍介と結婚して一男一女を得た。

 

 

白蓮のは…

父が上級旗本の新見正興にもかかわらず…

wikiの白蓮紹介記事によると、

公家柳原前光の妾で、

柳橋の芸妓となっていた没落士族の娘だと書かれている。

 

上級武士のお嬢様からの転落…

一体何があったのであろうか…

 

新見正興は…

「文久2年(1862年)6月、側衆となり、伊勢守に叙されるが、

 

元治元年(1864年)9月に免職となる。

 

慶応2年(1866年)12月に隠居し、閑水と号する。

 

明治元年(1868年)、武蔵国下奥富村(現埼玉県狭山市下奥富)へ帰農したが、

 

しかし翌明治2年(1869年)4月病気療養のため再び東京へ行き、

 

そこで10月に病没した。享年48」…Wiki

 

側衆とは…将軍側近の重職で役高5000石

 

出世したのに若くして亡くなったのだ…

 

華やかだったのは3年半くらいである。

江戸時代は日本の殆どの財政火の車で、

 

武士自身も収入が少ない訳で…

 

磯田道史氏の「武士の家計簿」を読むと…

 

武士身分としての格式を保つために多額の支出を強いられる費用があり…

 

召使を雇う費用・親類や同僚と交際する費用・武家らしい儀礼行事をとりおこなう費用・

 

先祖、新仏を祭る費用等の圧迫が深刻であったという。

 

従って武家の家計も火の車状態で、

借金を抱えていることは普通だった。

その中で正興は病気になり

治療費も借金で賄ったであろう…

更に徳川幕府は消滅して薩長土肥による

 

新政府が始まるという追討ちが…

 

父の正興は、新時代が始まったばかりの

 

明治2年に無念の死

父のいない武士の家がどれほど悲惨になったかは推して知るべし…

 

正興は「正妻との間に娘が3人いたが、長女は北海道へ嫁ぎ、

次女・ゑつ・三女・りょうは奥津家の養女となり、

 

そこから柳橋に芸者として売られた。

 

姉妹並んで歩くと、日頃から美形に見慣れた柳橋界隈の人々も

 

振り返るほどの艶姿であったという。

 

二人とも芸で身を立て、姉のゑつは特に柳橋一の芸達といわれるほどだった」…Wiki

 

「芸者として売られた」…心が痛む。

 

姉妹は美形確かにwikiを読むと…

父親の新見正興自身、「つぶらな瞳の美男子」で、

 

ポーハタン号の士官が…新見のことを

 

「寡黙だが温和慈愛の相があり極めて親しみやすい人」

 

「平和な気質と親切な心の持ち主」

 

「非常に上品で万国共通の上流社会の特徴を偲ばせる」と日記に書き残したそうだ。

 

3人の娘たちにも受け継がれてることは想像できる。

 

 

りょうは16歳の時、伊藤博文と柳原前光が落籍を競い、

妾として前光に囲われることになる。

 

伊藤博文               柳原前光

 

柳原本邸近くの家を与えられ、明治18年(1885)18才で女児を出産したが、

これが後の柳原白蓮である。

 

女児は前光の正妻・初子に引き取られた。

 

りょうは産後病がちになり、明治21年(1888)10月7日、21才で死去…Wiki

 

伊藤博文柳原前光落籍を競った!

 

ここで私の…🌺りょうになりきっての妄想🌺…

 

ふん、伊藤博文が私を落籍するって、

名乗りを上げてるそうじゃないか。

冗談じゃないよ!

 

秀吉気取りで、目に留まった女に

手当たり次第だっていうじゃないか。

 

私を妾のひとりにするって…

本妻じゃなくて、メ・カ・ケ!

 

あ〜いやだいやだ!

身の毛がよだつ〜

 

新政府で初代内閣総理大臣になったから偉い?

それがどーしたって言うのさ、

 

元々は貧農出だよ!

 

私はね、父上がお亡くなりになるまではね、

何不自由なく育って、

外出にはお供連れだったんだよ。

 

正真正銘のお嬢様なんだ。

 

売られて芸者に身を落としても

 

上級旗本であり、お側衆にまでなった

父上の魂はしっかり私の魂になってるのさ。

 

名乗りを上げたもうひとりの柳原前光っていう

お公家さんは、新政府で活躍してるだろ、

 

妹さんは天皇さんのお局さんで、

皇太子さんの生母であらせられるし…

 

柳原さまだったら、父上も納得してくださるだろうよ。

 

伊藤と較べること自体が、ちゃんちゃら可笑しいよ。』

 

…勝手な妄想でした…失礼!🙇‍♀️

 

りょうは16才で柳原に身請けされ女児が生まれた。

 

当時の貴族社会では妾腹と言って、妾に子供が生まれると

 

即、前光の正妻・初子に引き取られた。

 

産後、病がちになり21才で死去。

 

時代の流れに翻弄された一生。

 

母親と姉がいつも一緒にいたとは言え、環境の激変の中、

 

食事も喉を通らない日々の方が多かったのではないか…

 

当時は子供を本妻に引き取られることは常識というが…

 

生きる喜びを与えられる筈の子供を取られる落胆。

 

りょうの身の上を想うと、痛ましく気の毒でならない…が…

似たような境遇の女性は星の数ほどいただろう。

その人たちにも想いを馳せたい…。

 

先日見かけた樹木…風に花がゆさゆさ揺れて、何の木?と見上げてしまった。

 

調べたら…シマトネリコとわかった。

 

ところで…戦後の白蓮は…

 

「1959(昭和34年)の皇太子明仁親王と民間人である正田美智子との結婚に際し、

 

香淳皇后、秩父宮勢津子、高松宮喜久子、

 

梨本伊都子(格が合うというだけで長女を李垠…旧大韓帝国、高宗第七皇子…と結婚させた)、

 

松平信子(梨本伊都子の妹で、娘が秩父宮勢津子)らと共に激しく反対した」…wiki

 

当時は美智子さまが平民出身ということで

皇族と元皇族の女性たちは、

こぞって皇太子との結婚に大反対したのである。

 

白蓮の書いたものによると…

最初の結婚を決める親族会議で、兄義光から、年長者のとりきめに従わぬ女は家に置けない、

そんな我儘を言うのなら平民の嫁にやってしまうぞ、と申し渡された。

「平民!それは恐ろしい名前である。

自分のよく知らない世界人である。(中略)

それほど私は愚かであった。」と彼女はのちに書く。

平民のところへやってしまうぞ、

という兄の一言は、
世間を知らない私を
縮みあがらせるのに充分でした。」とも別の所で書いている

…「女王の座をすてて恋に生きた悲愁の歌人」岩橋邦枝「人物近代女性史 女の一生④」講談社

 

波乱の人生を送った中で、自身も龍介との結婚によって

華族から除籍されて平民になったにもかかわらず…そして、

さまざまな階層の人々と交流した白蓮であっても

貴種意識から離れられなかったのだ…。

 

皇太子のご結婚に際し白蓮には両手を上げて賛成してほしかった…。

 

結局…棘はあるが甘やかで特別な香りのする貴種意識が…

明治・大正・昭和の奔流に必死に生きた

白蓮の精神的支柱だったのだ。