嘔吐恐怖症患者の悲鳴 -STOP! EMETOPHOBIA-
嘔吐恐怖症の克服法を模索しながら、みんなで支え合ってこう。

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自分用記録2019年7月13日深夜

こんな方はいないと思うが、

私の事情を理解したい方は、6月初めの記事から読み返すことをお勧めする。しかしそんな事はあなたの時間を無駄にするだけだ。

あなた自身の問題を、音声入力する時間に当てた方がよっぽどあなたのためになる。





今日も音声入力。自分記録用である。

そのため他人に配慮しない書き方、入力変換ミス、独断と偏見、支離滅裂な文章など多々ありますがどうかお許しいただきたい。

今日は苦しいことが割とたくさんあった。さっきなんて、洗面所で歯磨きをしているときに、私がちょうどパニックを起こすような特定の周波数の音が聞こえて即座に台所へ移った。

これだからHSP気質は生きるのはとても辛い。

私の本心は、「お前らが生き残るために繊細で敏感な遺伝子を持って生きているのだから私を敬え」だ。

人間の心は本当に腹黒い。いや私だけか。



今日はあの人と同じような現象が違う人にも起こった。いや、起こりそうになった。

だから直前で慌てて頓服を飲み、気をそらすように慌ててシャワーを浴びて気分転換をした。

あまりなぜなぜなぜどうしてどうしてと考え根詰めすぎるとかえって何も見えなくなりわからなくなる。

金のなる木に気づかず、真面目に写真の数だけ数え、見出しには

「もうここで数えるのをやめてください、この新聞にはもうxx枚の写真が載っています。答えはこれです」

と書いてあっても生徒たちが気がつかなかった心理実験のように、1つのものに囚われ考え続けても何も良い事は思い浮かばない。

本当にその答えを望むのであれば、私は金のなる木を見つけなければならない。

そのためには薬を飲んで、全てを忘れ、リラックスしていることが重要だと知っている。植木理恵先生とだいごに感謝だ。




私には憧れの人が本当にたくさんいるのだと気づかされる。

その憧れの人たちにいちいち反応していちいち苦しくなっていては私の身がもたない。

それは前回の記事でも書いたかもしれない。もう本当に私の精神は持たない。



きっかけはアプリゲームだった。

その時私が感じたもの、それは、

私はこの人のことが大好きだ。
私はこの人のことを尊敬している。
私はこの人のプロ意識に感動している。
私はこの人の技術をすばらしいと思う。
私はこの人は凄いと思う。

私はその才能にドキドキする、興奮する。
そしてそのスキルに嫉妬する。

しかしこの人は10何年も前から活躍している。
私はこの人よりも年上だ。
その10年以上の空白の時間が辛い。

私には何もなく彼には地位と成功があった。
私と彼の間には大きな隔たりがある。
私と彼とは住む世界が違う。

このような感じだ。

例の憧れの人に関しても全く同じような感覚を抱いてノートにも同じようなことを書いた。

恋とかときめきとかそういったものではなくて、感動とか興奮とか、その人自身の凄さというかカリスマ性というか「プロ」というか。

恋とか愛だとかそういったものとはそういった類のものとは次元が違う。私はなぜかそういった人に苦しみを覚えてしまうようだ。

そう、「プロ」。

今これを吹き込んでいて気づいたのだが、このプロと言う言葉に私は強く反応するものがある。

プロ。

そうだ、プロだ。私の謎を解くキーワードはプロだ。私はプロになりたかったのか?

いや、プロに嫉妬しているのだ。私が何かのプロになる努力をさせてくれなかった精神疾患の、ただ苦しいだけの時間を悔やみ憎み悲しみ、

プロになれた人の時間に嫉妬しているのだ。

プロになれた人の健康な精神状況と、プロになる「努力をできる」精神状況と、プロになれるような「努力が出来る時間」があったことに嫉妬しているのだ。

このような言い方はとても傲慢だが、と言うよりも短所として聞いていただきたいのだが、私は真面目で努力家で完璧主義者だ。

だから努力ができる時間と言うのは本当に羨ましくてたまらない。努力ができる時間と言うのは私にとって嫉妬以外の何物でもない。

自己顕示欲、承認欲求、完璧主義、強迫観念、強迫性障害、同一化。

また根詰め始めると見えるものも見えなくなってくるので今日はこの辺でまとめておく。

今日はたくさん気づかせてもらった。その代償はかなり大きかったが。




と言うわけで、今私はアプリゲームができない状況にいる。今日はひたすらDSのプーペガールをやっていた。

おしゃれは好きだから着せ替えは悪くない。

しかし中古で買ったゲームだったので、データを引き継いでやっていたのと、もう何年も前のソフトだからか、コンテストが開催されておらず、お金がたまらない。

だから新しい洋服が買えなくてつまらない。ただ着せ替えているだけでは、あまり面白くは無い。

やはりオンラインの課金制の育成ゲームを始めてしまうと、買い切りのゲームでは物足りない。しかし私はそれで我慢するしかないのだ。

今は。




本当に人間の欲求と言うものにはキリがないと思わされる。

あれが達成できてもまだこれ。これが達成できてもまだあれ。まだまだ。

人間というのはそういう生き物なのだと痛感する。

だから育成ゲームの課金制と言うのは廃れないのだろう。人間が人間である限り、成長し続けたいと言う思いはずっと持ち続けるのだから。

よい商売を思いついたものだ。




朝から自分用記録2019年7月12日

今朝も引き続き自分用入力。

そのため他人に配慮しない書き方、入力ミス、誤字脱字、独断と偏見などありますがご了承ください。

さっき夢で私がさんざん言ってきた人ではない憧れの人に会った。

とても嬉しくてその余韻がまだ消えない。

その人は夢の中でもすごいオーラを放っていて、私はその方が体調が悪いと言っていたので懸命に助けようとしたのだけれども、その方は大丈夫だと言ってひとりで病院へ行った。

私は何とかしてその方を助けようとした。でもその方が自分でなんとかした。

いまだにその余韻が残っている。



昨日私は久しぶりに、というか結構頻繁にやっているのだが男装をした。

私は性同一性障害でもないし男装家でもないのだけれども(マツコデラックスの女装かのように)

でも気づいたことが1つだけある。

私は女で、とても女らしく、好きになるのも男性。

だけども大好きな男性だからこそとても好きな男性だからこそ、その男性になりたいのだ。

とてもときめいてとても美しくてかっこよくて力強くて、そんなかっこいい男性に自分がなりたいのだ。

それはコスプレをしている時のような感覚と同じなのかもしれない。



かなりの間メディアから離れていて、少しずつ自己顕示欲や承認欲求に関して緩和されてきた部分もあるらしい。

このまま私が承認欲求や自己顕示欲を抑え続けていてもいつか爆発することになるだろう。

先日キティーちゃんからのLINEで、あなたは今年は何活をしたい?と言うLINEが来ていた。昨日開けた。

そして昨日私は農業の活動と書いて農活と返事をした。どうも音声入力だと能活になってしまうらしい。

メディアから離れて生活することに心の安らぎを感じはじめた私は、家庭菜園でもしたいなーと思っていた。

しかし家にそんなスペースは無いからどうしようかと悩んでいたところだ。

けれども人間にはそもそもこのような欲求はむしろ必要なものであり、

昨日書いたマズローの5段階欲求のようにこの3番と4番の欲求が満たされない限り5番にはいけない。

詳しくは前前回記事を参照。

なので私は自己顕示欲も承認欲求も少しは出すべきであろう。

もう少しもう少しもう少しだけ本当にもう少しだけ、

きっと時が解決してくれる。




私は自己顕示欲と承認欲求と完璧主義と強迫観念(強迫性障害)にとらわれすぎていたが、根本的なことを忘れていた。

マインドフルネスだ。

そう私はマインドフルネス瞑想してこうなったと言う形は変わらない。少なくともマインドフルネス瞑想が関係していると言う事実は変わらない。

マインドフルネス瞑想で鬱になってしまった人が入院して寛解したと言う事例もあるようだ。

何事も時が解決してくれる。

だからあまり無理に自己顕示欲をそして承認欲求を抑えつけるべきではないのかもしれない。

そのような欲求が人間にとってものすごく重要で必要なものであると言うことをこのSNS社会が示しているように。



朝からこのように音声入力で吹き込むと言うのもなかなか珍しいものだ。

それも憧れの人に夢の中で逢えたからであろう。その方が私にとても優しくしてくれて、私がさんざん言ってきたあの方の仕事仲間でもあった。

この夢が、この問題が解決されることを暗示していると願いたい。




さてこれからは少しずつ復活していくために軽作業に入る。といっても大切な人助けだ。

真摯に取り組めるように集中しなければ。




【2019/07/13 12:25 
自己顕示欲に耐えられなくて画像削除】


まだヅラっぽが残っているから、というか届いたままの状態で被ったからかなり不自然だ。

今日か明日あたりにハサミを入れてボリュームをなくしていこう。

前回セットしたものは分け目が透けてはげてしまったので、

今回はカットした際アートネイチャーのように植毛して何とかならないだろうか。なんでも工夫と試行錯誤だ。






眠れない方へオススメのアプリ



たまには普通に書いてみようかなー。

普通にっていうか、自分には何人もキャラクターっているよね。その場で使い分ける人格みたいなやつ。それってネットだと顕著だよね。

↑は健常者でも普通にあるものです。



ということでいつものようにいってみよー。

て、アレ?
いつもって何だっけ(笑)



寝れない人、落ち着かない人にすごくオススメのアプリ。

んーと、ベタな自然ヒーリング系ではありません。

PlayerGearでーす。

耳コピとかで使うアプリらしいんだけど。

私、オルゴールがすごい好きで、オルゴールで寝たいなぁってずっと思って何枚かオルゴール系のCD借りてみたんだけど、

いやー、速い速い(笑)

寝れないわ!!

癒されないわ!!




と、ずっとやきもきしていて。

英会話用で、倍速再生のアプリは沢山あるのに、スロー再生アプリって全然いいのないの。

けど、見つけたんだよ〜(泣)

是非みなさまにもやっていただきたい!


開いた画面はこんな感じ。



ここではお約束の2倍速に設定されてます。

オルゴールを選ぶためにムービーマークをポチっとな。



上から2番目のMy Videoでアーティストを選ぶことができます。

私は面倒だからオルゴールは全部「オルゴール」ってアーティストにしてまとめちゃってます。

選んだら



速度は、曲にもよるけど大体0.5〜0.7が深い眠りへと誘ってくれます。

でも0.7ボタンないから(設定出来るんだけどいちいち指でカーソルすんのめんどい私は)0.5で変更するをポチッとな。




左のノイズマークから、音程を維持しないに設定。維持すると音が汚い。
うーん、曲によるか。



↑これが最初ので



↑これが私が設定した後。



うーんと、このアプリは途中で消えないらしく、永遠とリピートしてくれるようなので電池気にしてください。

あと何度かリピートしてるうちに音がズレてきて不協和音になることがあります。

そんなときは一時停止してまた再生し直せば、一瞬で元どおり。

まあ、すやすやの時は気づかないし、不快だーと思う時はそもそも寝れてないんだけどね(笑)

ちょっと眠い…なんか音汚くなってきた…

と思ったら、知らない間に目覚まし止めてたみたいな感じで、一時停止して、また再生し直せばばっちぐー。



せっかくの癒しのオルゴールが早すぎて癒されないことに不満を持っていた私にとっては奇跡のようなアプリです。

ちなみに一曲再生しか出来ず、プレイリストは作れないようです。

曲を変えるたびに広告を見なきゃいけないので、お気に入りの一曲を永遠と聴きましょう。

今日私はジブリコレクションの「やさしさに包まれたなら」でしたドキドキ



自分記録用 2019年7月11日 昼

今日も昼間から音声入力。

自分記録用であるため、他人に配慮しない書き方、誤字脱字、独断と偏見、変換ミス等、多々ありますがご了承ください。



やはり音声入力にしてからアクセス数が格段に下がった。

まあ特にこれからは人に見せるようなブログを書くわけでもないしどうでもいいようなことなのだが。

自己顕示欲と承認欲求の強い人たちにとって私のブログはつまらないはずだ。



今日は朝起きてから具合が悪かった。なんだか胸のあたりがざわざわしてモヤモヤして苦しかった。

私はそのモヤモヤのせいかお腹いっぱいに食べてしまったので、その時に飲むべき薬が飲めず(その薬がたくさん水を飲まないと飲めない薬だったため)噛んで食べられる薬を飲んで横になっていた。

どうしてもモヤモヤしてたまらなかった私は、あることに気づいた。

携帯の中に私を刺激するような写真や音楽が入っていること。

私はそれらに気づいてすぐに消そうと思った。消すと言うよりかパソコンには残し携帯からは消すと言うことだ。そして急いで同期をした。

2次元型のスクリーンショットや集めてきた画像、それ専用に作ったアルバムなど、いくつもいくつも携帯から消した。2次元型の音楽も全部消した。



2次元ではなくてもかっこいいと思って残していた人たちの写真は全部消した。パソコンの方からも根こそぎ全部消した。

本当は時系列を後から振り返るのに便利だから、その写真は残しておくべきだったなと今は後悔しているけれども、目が当てられなかったから仕方がない。

大体の時期は前後の写真を見ればわかるから、そして検索すればすぐにまた出てくる写真だからそこは諦めるしかないかな。



上のように、私は3次元でも憧れている大好きな人がいる。

例の人の件で私が錯乱しているときに、その人のおかげで例の人に関するストレスを緩和させることができた。

しかし最近あらゆるメディアから距離を置いている私にとって、目につくところにあった彼の写真集が私の胸を締め付けた。

まだ開封していない届いたばかりの状態で保存してあった雑誌も、捨ててはいないけれど今はこのいつも座っている角度から見えない位置に配置した。



私はジャニーズにあまり興味がなくてよかったと思った。

これほどジャニーさんに関してテレビでやっているのを見て、私がジャニーズが好きだったらどうなっていたのだろうか。怖い。



昨日クリニックだった。

クリニックで、自分で分析した私の状態を主治医に伝えると主治医は「たいしたもんだ」と笑って大変感心していた。

今の私にとって唯一それが私の自己肯定感になっている。

やはり私は精神疾患を抱えながらも精神病の研究をしてきた人たちのように生きるべきなのだろうか。

そうやって自己肯定感を上げていけるのならばそれが1番いいのかもしれない。なんて今思った。




私の今のキーワードそれは、自己顕示欲、承認欲求、完璧主義、脅迫観念、強迫性障害、そして同一性。

私は先生に同一性と言う言葉は私が勝手に作って使っている言葉だけれども、それを伝えた上で私の状況を話した。

そして先生はそれに関して理解をしてくれ、たいしたもんだと大変感心された。とてもうれしかった。




そして先生はぽろっと、同一性障害かぁと言った。

それがどうしても気になってネットで調べてみたが、同一性障害には性同一性障害と解離性同一性障害があり、どちらも私には当てはまらないと思った。

私は男の人が好きだし自分は女でありたい。何人もの人格がいるわけでもない。自分が乖離しているように感じたこともない。

私が自殺を図ろうとするときに離人感はいつも感じるので、その感じはなんとなくわかる。




どうしてもこの状況だけは

自己顕示欲と承認欲求と完璧主義と脅迫観念についてそして、それと同一性について私は謎を解くことができない。

その私が大好きな人の写真集を先ほど見て、どうして私はそのように同一性と言う感覚を持ったのだろうかと問いながら国宝級のその美しい顔を見ていたのだが…

私は以前「私がその人になってしまう」と言う表現をした。しかしそれもなぜかしっくりこない。

その人になると言う感覚では無いのかもしれない。とても不思議な感覚だ。




今私の目の前に人間の欲求について書かれたテキストがある。

【マズローの欲求段階説】

これは①が1番下で⑤に向かってピラミッド型になっている。

⑤自己実現欲求
さらに自分を価値あるものに高めたいと言う欲求

④自尊欲求
自分を高めていこうとする欲求

③愛情・所属の欲求
誰かに認められたい尊敬されたいと言う欲求

②安全の欲求
安心できる生活空間や命の保証を求める欲求

①生理的欲求
生命を維持したいと言う欲求




③の愛情所属の欲求と④の自尊欲求は何が違うのだろうか。

私は今明らかに③の愛情所属の欲求に苦しめられているわけだが…



とゆうか今思ったのだが、この社会自体が③の愛情所属の欲求(誰かに認められたい尊敬されたいと言う欲求(つまりSNS社会))で止まっているのではないだろうか。

その上の④自尊欲求(自分を高めていこうとする欲求)そして⑤自己実現欲求(さらに自分を価値あるものに高めたいと言う欲求)それを成功させている人は果たしているのだろうか?

私は別に心理学の専門家でもないし心理カウンセラーでもないし精神科医でもないから詳しくはわからないが、

私はいつもこのマズローの欲求段階説のピラミッドを見るたびに何か違和感を感じる。



続2019/07/08の記録

今回も引き続き自分用の記録である。
音声入力のため漢字変換のミスなどはお許しいただきたい。 

そしてこんな私のどうしようもない記録を読んでくださっている方々に感謝を申し上げたい。本当にどうもありがとうございます。



今日は、というか昨日は、昼間も吹き込んだ。

結局のところ、私がどうしたかと言うと、彼らに返事をした。とても怖かったし手も震えたし心臓もバクバク言って正直かなりしんどかった。



なぜだろう、母にモヤモヤしていることを相談したら何故かスッキリして、見てしまおうかと言う気持ちになり、いい加減スッキリしようと思ったのだ。

本当はその時ドラマを見ていた。でも途中で同一化が苦しくなって見るのをやめてしまったのだ。その代わりにぽかんと時間が空いてしまい、変な言い方、魔がさしたと言うところか。

日本語がおかしいのはどうかお許しいただきたい。



私はもやもやに勝てなかったのか、それともモヤモヤに勝とうとしたのか。私もそれはよくわからないが私は2週間ぶりに彼について関わった人々に連絡をとることができた。




1番びっくりしたのは、私が1番最初に見捨てられたと思っていた方から私を心配するメールが来ていたことだ。それは5日も前のことだ。

本人も精神疾患を抱えているため私は私の問題でその方の具合を悪くさせてしまったのだと思った。そしてその方はそんな私に愛想をつかして消えていったのだと私は勝手に思い込んでいた。

実際のところ、本当にそうだと思う。その方の気持ちを不快にさせてしまったこと、その方の病状を悪くさせてしまったこと、それは明らかに私のせいである。

しかし私はその方が消えたことを、見捨てられた、と思っていた本気で。もう二度と連絡が来る事はないと思っていた。だから本当に驚いた。

世の中、捨てたものではないと思った。



その代わり、親身に相談に乗ってくれていた人は、私がバツイチであると返事をした私のメールに返信をしていなかった。それも10日以上前のことである。

正直その人からの返事が1番怖かった。なぜなら私を1番刺激したメールだったからだ。

その人からの言葉はもう一切聞いたくはなかった。だから私の返事の書き方がきつかったのかもしれない。それを察したその人が返事をしなかった、それだけなのかもしれない。

つまり私がその人を利用したように、その人は私を出会い目的として見ていたのだ。

もしくは最初から、その人が私と連絡を取り合うにふさわしくない人間だと言うことも見抜けないほどに私は追い込まれていたのかもしれない。

私は最初からその人について嫌な感じがしていた。上から目線で自分のことをすごいとアピール。それこそ自己顕示欲と承認欲求の塊の人であった。

しかし当時の私にとってはそんな人も本当に大切な存在であった。




私はこの件について何人もの人と関わりいろんな方向から助けてもらい、

2週間ほど経った今、消えた人もいるし、消えなかった人もいるし、

いやそれはまだわからない。私が今日返事をしただけで、私のその返事に返事をくれるとは限らない。

しかしそんな人たちの中にも、おそらく返事を返してくれる人消えていく人、いろいろな人がいるのであろう。



だから、だいごが言うように、人を見抜く力は必要なのだと本当に思った。

しかしそれはだいごのように痛みを感じにくい人間ができることなのであろう。



私のように寂しがり屋で一人ぼっちで孤独で虚しくて、アドラー心理学の嫌われる勇気なんてありえないと思っているそんな人々にとっては、

人を見抜く力を身に付けても、こいつ嫌だなぁ関わりたくないな関わるべきではないなと思っていても、関わらずにはいられない、そんな状況が続くのであろう。

人は理屈だけでは生きれない動物なのだ。




私は今日彼らのメールを見て返事をして、また逆に返事をしなかった人もいて、本当に勉強になった。たくさんの気づきがあった。

このパンドラの箱を開けるのに2週間もかかってしまったが、返事が来ようとこなかろうと開けたことによって私は見る世界が変わったことに違いは無い。

このままモヤモヤしたままパンドラの箱開けないでいることも正しかったのかもしれない。どんな道を選んでもきっと正しかったのだ。

箱を開けたのは弱さからだったのか、強さからだったのか。

そもそも箱を開けることに弱いも強いもなかったのだろうか。



話はそれるが、ここのところ音声入力をしているのは、あまりにも記録をしたいことがたくさんありすぎて、しかし私がブログを書くとなると2時間を超えてしまう。

本当は手でノートに書いたほうがいいし、最悪指で文字入力をした方が良い。

しかし今の私にとってはこの音声入力が1番であり、手でノートに書き続ける事は私の強迫観念を助長させることにつながってしまった。

実際のところ、手でノートに書いていた時は1ヵ月に2〜3冊のペースでノートが消費されていった。

だからといって私がブログを書き始めると止まらなくなりあっという間に2時間3時間が経ってしまう。やはり自分ルールと言うものは必要であると感じた。

誰がなんと言おうとそれがいかに正しいとしても、自分がそれが本当に自分に合っていると思う事が1番正しいのであろう。私はいまそう思えて仕方がないのだ。



私は昼間書き忘れたことがある。

私は朝からパニクってしまったのだが、私には幻覚に近い妄想を思っていることを認めなければならない。そう思った。

強迫性障害の潔癖症もそうである。

実際の菌は今は梅雨の時期であるから20として、私の妄想の菌が80なのだろう。だから消毒液はほとんど私の妄想に効いていることになる。私はそれを認めなければならない。

私は心のどこかで、幻覚や妄想と言うことに何か偏見のようなものを持っていたのだと思う。



しかし思い返してみれば私が重い症状になった時、それが統合失調症のような、誰かに狙われているとか殺されるとか、そういうものではなかったとしても、

幻覚のようにありえないほどの恐怖に襲われてパニックになってどうしようもなくなる時がある。

私はもうそれを認めるべきなのかもしれない。認めてしまえばもっと楽になるのかもしれない。

認めてしまえばもっと私に向いた薬があるのかもしれない。それを処方してもらえるのかもしれない。




私は内科の医者にもっと太れと言われている。

私の痩せすぎは病名がついているほどだ。少し位太る薬を飲んだっていいのかもしれない。それで私の心が楽になるのであればなおのことである。

音声入力にもかかわらずこんなに時間がかかってしまった。どうやら私には吐き出し切れないほどの思いがたくさん溜まっているようだ。


封印とぶった斬り

今回も自分記録用である。
入力ミス変換ミス等はご了承ください。

今日は朝からパニくった。かなりきつかった。
空きっ腹で精神安定剤と頓服と朝の薬を飲んで逆にテンションが上がってしまった位だ。こんな時間に音声入力すると言うこと自体が異例である。

今は4月5月6月の件に関してかなり落ち着いている。ほとんどメディアから離れ、たまにドラマを見る位だ。ただその代わりに、ずっとスマホのアプリのゲームをやっているから、目が疲れて疲れて仕方がない。

そしてそうやって前回の件に関して楽になっているのだが、楽になってきたからこそ辛いと言うものがある。

お世話になった人たち話を聞いてくれた人たち相談に乗ってくれた人たちにそろそろありがとうとそしてごめんなさいと言うべきかと真剣に思うようになった。

だがやっと落ち着いてきたこのタイミングでそれをして果たしていいのだろうか?

実は先ほどずっと目についていた(いや、しかし隠してはいた)あの人関連の雑誌や本屋ゲームやCDやDVDを中位の箱に詰めて封印した。今日の日付と中身についてマッキーで書いて。

その作業はなかなかきついものがあった。前のように胸が締め付けられたりとか心臓が痛くなったりとかそういう苦しさは全くなかったのだが、もやもやもやもやずっと心の中が落ち着かなくて、何か何かが気持ちが悪くて、

触ってしまったこと、見ないように見ないようにと神経を使ってしまったこと、やはり直面してしまったと言うことなのだろうか?

今はもう目に入るところにその雑誌たちは無い。そのことに関してはスッキリしている。

ところがこのすっきりしている感じ、それに甘んじて、1果たしてお世話になった人々にありがとうと伝えるためにアプリを本当に開くべきなのだろうか?

きっと私の中の答えは決まっている。むしろアプリを消したい位だ。

私の良心が許さないだとか、私はいつもそんなことを言っているが本当は人を利用したから利用されると言う脅迫観念に取り付かれているだけなのだ。怖いのだ。ただそれだけなのだ。

だからスピリチュアルだの引き寄せの法則なの鏡の法則なの、うだうだうだうだと言っているわけだ。

そしてその件に関しても、私はただ自尊感情が低すぎて、自己肯定感が低すぎて、自分を愛せなすぎて、

どんなにどんなに良い人間になろうとどんなに良いものを引き寄せようと頑張っても、私の根本が変わらなければ何も変わらせることができない、そう気づいたら逆に心が楽になった。

太力が抜けたのだ。もう自分の力ではどうすることもできないのだから。

もう自分の心の中では決まっていることなのに、とてもモヤモヤモヤモヤしてこの気持ちが晴れる事はなく、また精神安定剤を飲む。

甘いものばかりを食べて、本当は飲むと辛いから飲まないでいる炭酸飲料を飲んだりしている。

これは安定してきたからこその悩みであり、それは恵まれたものであり、回復してきた証でもある。

私は要は、大失恋したようなものなのだ、大きな大きな存在に。

だから彼に関するもの全て彼に関する人物全て、彼の周りのもの全て関わったもの全て、彼のことを話した人たち全て私は今触れることが怖くてたまらない。

また戻ってしまいそうで怖いのだ。

本当は全てぶった切るべきなのだ。

これは私の自己中心的なこじつけなのだろうが、今本当にありがとうとごめんなさいを言おうとしている人たちにとって、私ができる最善の気持ちというか親切というか

そういった類の気持ちは、やはり私が彼らに一切触れないことだろう。

これは恋愛ととてもよく似ている。泥沼の恋愛になる前に、共依存になる前に、勇気を出してぶった切る。その行動によく似ている。

どうしてもどうしても依存してしまうゲーム、どうしてもどうしても連絡を取りたくなってしまう人たち、それらを健全に断ち切るために、携帯を母に預けるのととてもよく似ている。

入院するときに看護師に預けるシステムにもよく似ている。近くにあると依存してしまう。

私は入院したことにでもしておこうか。

とても卑怯な手だが、本当にそうなっていたのかもしれない。もう少しで、本当にそうなっていたかもしれない。

ここまで言っても私は感謝とごめんなさいを伝えたい。

もう連絡を断ってから何日経っているかわからない。そんな奴からまたメールが来たら相手も振り回されるだけだろう。

相手ももしかしたら私に見捨てられた不安に駆られてそれを克服したばかりなのかもしれない。

そんな時に私からメールが来たらどうなるか。彼らは苦しむに違いない。

どうすればこのもやもやから解放されるのか?

本当に辛かった2週間位前は、やることがやるべきことがはっきりとしていた。ぶった切ることに何の抵抗もなかったし、それが私にとって心の平安をもたらすと私はわかっていたからだ。

しかしこの中途半端な状況ではどうだろうか。

少し手を伸ばせば彼らに触れてしまいそうだ。簡単に連絡できてしまいそうだ。簡単に彼らを不幸にさせてしまいそうだ。振り回してしまいそうだ。泥沼の地獄に突き落としてしまいそうだ。




自分記録用 2019/07/07

今回も自分の記録用である
音声入力のため漢字変換にミスがあるがお許しいただきたい。

7月5日は散々であった。

散々といっても今回の件のように激しく強迫性障害に苦しんだり自己顕示欲や承認欲求に苦しんだりと言うことでは無い。

熱中症になった。

倒れはしなかったが吐き気に襲われた。やばいやばいと思いながらも我慢してしまった。なぜなら

私はその時眼科にいたのだ。

どうしてもコンタクトをしたくてもちろん普通のコンタクトもそうだがカラコンもしたくてドライアイの目薬をもらっていた。

そして葉月ルーペのようなものはメガネの上からかけづらいので、コンタクトをして作業ができたらどれだけ楽かと思いずっとコンタクトが欲しかった。

まぁそんなことはどうでも良いとして

私は眼科に行った時、着いたときにはもう熱中症だった。青いでも青いでもクーラーに当たっても一向に体の熱が冷めることがなく

私は熱中症のような症状に襲われると、パニック発作を引き起こす。

私はパニック発作を起こしながらも、必死で眼科の視力検査や眼圧の検査などを受けていた。

少し耐えれも楽になるだろうと。

しかしだんだんどんどん気分が悪くなる一方。堪え兼ねて母にLINEを送る。

それとほぼ同時にナウゼリンを飲んだ。

しかしナウゼリンはなかなか聞いてはくれない。

私は今までずっと自己顕示欲や承認欲求や強迫性障害や完璧主義の症状で苦しんでいたが、やはり私は生粋の重度の嘔吐恐怖症なのだと思い知らされた。

オート恐怖が蘇るたびに私は思う

どうしてすぐに効く薬がないのか。

どうして吐き気度目には即効性がないのか。どうして点滴のようにすぐに聞かせる方法がこの世に出回っていないのか?

私はそれをいつもいつも思っている。

私の嘔吐恐怖症は、私の嘔吐恐怖は、いつも私のベースにあり、カウンターストレスが吐き気に対する恐怖を覆い隠してくれているのだ。

今回のカウンターストレスは紛れもなくあの人だった。

私が相談していた人に私は言われたことがある。

彼女に嫉妬していたんだね。

当たり前である。

しかし私はその言葉に全くピンとこなかった。なぜなら嫉妬している相手は女性と言うよりも結婚相手と言うよりも何よりも

彼のその存在そのものだったからだ。

私は彼の何に嫉妬していたのだろうか?彼の結婚相手よりも嫉妬していたもの、それは一体何だったのだろうか。

才能

としか言うことができない。

私は同一化と言う言葉を一般的な、というか専門的な意味で使っているわけではない。

自分で感じたことを言っているだけで、それが同一化と言う言葉で表現されただけだ。

きっと私は彼の才能そのものと同一化してしまったのだろう。

そのプロセスはよくわからないが、私がその同一化の対象と同一化できないと私は発狂する。

例えばこんなふうに。

どうして私は彼のようにできないのだ?
どうして私は彼のように有名では無いのだ?
どうして私は彼のように人気では無いのだ
どうして私は彼のような才能がないのだ
どうして私は彼では無いのだ

要は私が彼になってしまうのだ。

早くそのプロセスやシステムを解明したいところだが、今はまだそのレベルには至っていない。まだ頭の中は混乱したままだ。




今日は山pに少し同一化の兆候が見られたのでインハンド見ないようにした。

続きが気になったけれどここで無理をしたらまた同じことの繰り返し。

今回私が狂ってしまったのは偶然あの人だっただけで、他にもいろんな対象があることに気づいた。

男女問わず、私がなりたくてもなれないものなりたくてもなれない人、

憧れれば憧れるほどその思いは強くなり出る症状は強烈なものとなる。

不安で不安で仕方がない怖くて怖くてたまらない

この世の中に私が魅力的だと思う人はたくさんいる。いちいちその一人ひとりに反応してその人になれないからと発狂していたら私の精神は1年も持たないだろう。



さっき歯磨きをしていて思った。

私のお父さんははが悪い。だけど歯医者には行かない。

そんなお父さんの歯ブラシを見つめていて思った。私の父も私の母も私より30年も生きている。30年も多く生きている。

私はこれから父や母のように30年も生きていく自信などない。自信がないと言うよりか生きていくことが怖い重い重すぎる。

これから私が健康でこの先私の人生が30年あると思うと憂鬱で憂鬱で仕方がなくなる。この表現は苦しいとしか言い表しようがない。

何度も何度も自殺を繰り返してはいても実際に死のうとすると本能が死にたくないと言い死ぬ事はしない。

私は太く短く行きたいと思っているがそう思えば思うほど神は許してはくれないだろう。

神と言う存在が本当にいるのならばと言う話が前提だが。

私は最近思う。神はいる。しかし神は何もしない。良いこともしない悪いこともしないただそこにいる。そして究極に行ってしまえば、それはいないと同じことである。

私たちが神と言っているものは、ただ起きている事象に過ぎず、もし本当に神がいるとするのならば、その神はただ起こる事象そのものである。

神はせんべいを食べながら横になってテレビを見ているおばさんと同じだ。

と私は最近思うのだ。




私はシンクロニシティーについてどうしても納得がいかない。筋が通らないではないか。それを人は引き寄せの法則だとか集合的無意識だとか言って理由をつけようとしているのだろうが。

冷蔵庫の中にさくらんぼが入っていた時がある。そのさくらんぼは古くなっていてかびてしまっていた。

そして同じ段に入れてあったチーズもチーズのではない明らかに変なカビが生えていた。

そして母と私はそれをすぐに捨てた。

(余談だがそれを後に調べたときにYahoo!知恵袋か何かで同じ様に相談している人がいて、答えはこうだった。

チーズはかびている。お前はバカか。

そんな答えがベストアンサーになっているこの世の中は死んでいると私は思った。何が情報社会だ。この情報の社会の中に正解はないと痛感した瞬間だった。

カビにもいろいろな種類があり、食べられるもの、食べられないもの、良性のもの、悪性のもの、チーズば元々カビているからといってすべてのカビが食べられると思っているのならばそのベストアンサーを与えられた人は食べてお腹を壊すが良い。

と言う私の答えも情報社会の中から得たものだった。恐ろしいとしか言いようがない。)

しかしそのちょうどそのタイミングで、テレビで食中毒についてやっていた。

梅雨だし当たり前のことなのだろうが、あまりにもタイミングが素晴らしすぎて私たちは興奮した。

結局のところ、シンクロニシティーとかスピリチュアルなこととか、ロマンがあって魅力的なのだ。しかしどうしてそんなどうでもいいことがシンクロニシティーとして起こるのか。

本当にどうでもいいことが起きているような気がする。正夢も見たところでどうにかなるものでもないし、

黄金のコガネムシが窓にぶつかってきたとしてもそれが何の意味があるのか。集合的無意識と言うものシンクロニシティーと言う共時性と言うもの、

いったいそれらに何の意味があると言うのだ?

私が本当に心から大好きだったあの人。まぁ結局のところは本当にあの人が好きだったのではなくて私の自己肯定感を高めたい欲求が暴走しただけだったようだが

つまり私の目的は私の自己肯定感を高め私が自分自身を愛することだったのだが。

そんな事は簡単では無い。自助会を見ればわかるではないか。

今にも死にそうな人たちが懸命に命をつないでいる。手と手をつなぎあって誰の言葉にも否定も肯定もせずただ黙々と話を聞き拍手をし

世界にはそうやって生きている人がたくさんいるのだ。

話がそれてしまったが、仮に私がそのような自己肯定感について問題を持っていなかったとしても

どうして世の女性たちが熱狂するアイドルやアーティストたちの夢の中や日常の中に強い思いを抱いている1人の女性の存在がなぜ彼らに伝わらない?

こんな意味もない共時性とやらに振り回されて生きるのは時間の無駄だ。

私はあんなに苦しんでいたのに、

もしシンクロニシティーと言うものがあるのだとしたら彼の中に私の存在がどんな形であれ表現されて欲しかった。

そしてこういったものは、時が経ち忘れた頃にやってくる。時が経ち解決しどうでもよくなった頃にその憧れの人と一緒に仕事をしたり、そうしてそのことに何も思わない。

私たちはただ何も考えずに目の前のことを受け止めていくしかないのだろうか。

もし私がこれから30年の命があるとしたらずっと嘔吐恐怖症を抱えながらずっとパーソナリティー障害の苦しい症状を抱えながら生きていくのだろうか。

耐えられない。そして死ねもしない。

しかしどうしても生きたいと思った時、突然車にひかれたり通り魔にあって包丁で刺されたり癌になって倒れたりしてぽっくりいってしまうものだ。

四捨五入して私はアラフォー。

これから先は死へのカウントダウンの方が意識が向くだろう。

そのいつ終わるかもわからない人生の中で私は何をするべきなのだろうか?

せっかくだから私のように苦しんでる人にとって役に立つ情報を残したい。

しかし私はそんなにできた人間ではないのだ。






自分用記録 7日目の決意

今日はちょっと時間ないから音声で吹き込み

久しぶりにドラマを見た。

どれぐらいぶりか覚えてもいない

途中で具合が悪くなったらすぐにやめるように思っていたんだけど最後まで見れた。

いったいどのぐらいの間私はメディアの娯楽から離れていたのだろうか

私がドラマを見ていない間ドラマ立ちをしている間ずっと夢に芸能人が出続けていた。。

毎日毎日。

それはきっと私の自己顕示欲と承認欲求の表れだ。表れと言うよりか放出と言うべきか私の中から自己顕示欲が夢を通して抜け出て言っているようなそんな感覚

今日見たのはインハンド久しぶりすぎて全巻前回の内容を覚えていなかったけどすぐに思い出して楽しむことができた。



だいぶ自分の弱点や病気や障害のことを理解できるようになってきた。ノートにまとめて自分が今どのような状況なのか少しだけ客観的に見れるようになってきた。

そこにはいくつものキーワードがある。

自己顕示欲
承認欲求
完璧主義
強迫観念、強迫性障害
自己肯定感の欠如

まだ私はそれらを天道線で結びつけることができていないが

私の主人はこの症状に関して、赤ちゃん帰りだと言った。

赤ちゃん帰りとは親身に話を聞くことによってかえって当人がわがままになってしまうこと。

それは全てにおいて。

今回の私のように、彼と付き合えないのなら死にたい、と言うような限定的なものではなく全てにおいて赤ちゃんのようになってしまう。

しかし家に帰って赤ちゃん帰りについて調べてみると全く違う症状だと思った

やはり自分のことは自分が1番よくわかっているようだ。

今は今現在は別にスピリチュアルでもいいではないかと言う気分になっている。

それが何故かと言うと、私の自己肯定感はどうすることもできないからだ。低すぎるのだ。全くないのだ。

そんな状態で引き寄せの法則やら鏡の法則やらそんなことを気に病んでいても何も変わらないどころか…

だからそんな事はいちいち気にしないようにしようと今は思った。それでいいんではないか。

だってどうすることもできないのだから、悪あがきするより別のことをやっていたほうがずっといい。時間の無駄だ。

私が以前だいごのニコ生を登録していた時、自己肯定感を上げるためのテクニックを実践していた。

だがそれはうまくいかなかったようだ。きっと私のやり方が悪かった、もしくは、私の障害や病気に合わないやり方だったのかもしれない。特に強迫性障害。

だいごの提唱する自己肯定感を高める方法と言うのは健常者向けに言われているものであって、いわゆる治療ではない。

今はマインドフルネスや瞑想と言う物の代わりに、自立訓練法を真面目にやっている。

音声入力だと自律訓練方と言う言葉がうまく変換されないようだ。

写真に戻って。




今思えばコスプレと言うのは自己顕示欲と承認欲求そして完璧主義の塊のようなものだ。

今はもうすでにアニメや声優ゲームといった類のものはトラウマでしかない

いつかは帰ってこれると信じて雑誌だけは残してあるが、ゲームは行ってしまおうかと思っている。

だが、私の変化は目まぐるしいものであり、いつそのゲームが私にとって必要になるのかそれは明日なのか1週間後なのかそれとも1年後なのかわからないが、

せっかく手元にあるかつて宝だったものを今手放すと言うのはどんなものかと悶々としている。



今の私にはとても引っかかる言葉がある。

同一化

今考えればコスプレも同一化と言えるのではないだろうか。

そのキャラクターになりきってその世界観に入り込んで

私にはそれと同じことが3次元のレベルで起きてしまったのだと思う。憧れの人うらやましいなと思う人、私がなりたいような人、キラキラ輝いている人、感動する人、興奮する人、心がドキドキする人、恋とかそういったものを超えてワクワクドキドキするもの、

そういった感動

その感動に対して私は同一化をしてしまうのではないだろうか。もちろん恋愛も同じだ。

私にはなりたいと思う憧れの女優さんやモデルがいる。その人の真似をして、その人になりたいと思い、

それはこの世の女子ほとんどが思い、やっていることだと思う。

しかし私の場合は彼女が私になってしまう。彼女が私になれない場合、私は狂う。

きっと私はいないのだ。

きっと私はいないのだ。

きっと誰かになっていないと私と言う存在はいないのではないだろうか。私の肉体が何かの精神を求めてさまよっているような気がする。



今日のところはそういった感じか。

たくさんありすぎて時間の感覚がわからない。いつからどんな症状でどんなふうに対処してどうやってここまで来たのかどうやって苦しんでどうやって立ち直ってどんなふうにここまできたのかそして今何に苦しんでいるのか。

ノートを取るのも割とエネルギーが入ったりして、今は楽な時間を楽なように楽しめるように心がけている。

今回の件が少し落ち着いてくると、私は今回の件の核となるお金やお母さんとの関係について苦しくなった。

私はこの苦しみの根源はお金だった。

お母さんといざこざがあったのも原因はお金だ。

今はそのお金に対して私のこれからの仕事に対してできることをできるときにやれるだけやればいいと思っている。

とにかく今は今を生きたい。

例えばとても頭が痛くなったとする。

頭が痛くてとても痛くて苦しんでいるときは苦しむことしかできない。

しかし頭が痛くなくなってきたら、あーやっと楽になってきたやっと動けるようになってきた、

そうやって、わざわざ頭が痛くなったときのことなど思い出す事はないだろう。それと同じことだ。

とてもお腹が痛くなって、痛くて痛くてどうしようもなくて、でもトイレに行って下痢をしてスッキリして、あー楽になったと思ったりした時

楽になったことに幸せを感じて、わざわざお腹が痛くなったときのことを思い出したりはしないだろう。

それと同じことだ。



今私は本当にひどいやつだと思っている。

結局返事をしなければならないと思っている人たちに対して私は返事をしていない。

しかしそれが私ができる精一杯の愛情である。

ときには心を鬼にして自分の罪を背負いながらも前に進まなければならない時があることを知った。そしていつかそれは私の身にも降りかかってくることだろう。

きっと私は誰かに利用され

その先はあまり考えたくない。




今私がとても聞きたい曲がある。というか今の私にとても響く曲がある。

自己顕示欲と承認欲求の塊であるYouTubeはもう見ることができないが、

アメブロで貼り付ける位なら大丈夫かもしれない。自分のアカウントでは検索できない。

新しい別のアカウントもあるのだが、結局それでもYouTube自体が自己顕示欲と承認欲求によってできているシステムだから

私の障害や病気を刺激してしまう

こんな日が来るとは思ってもいなかったが私の本質に築けて良かったと思っている。

漢字の変換に関しては後々修正することにする。しないかもしれない。面倒くさがりな私。

私は本当にひどい奴だ。

でもこれが私の最善の生き方なのだ。










そして、次の曲はとてもむかつくのだが、1つのフレーズが私の心に突き刺さる。

上から目線でわかったように言うな、と思うのだが、どうしても好きなのだ。不思議な曲だ。










今は育成ゲームで暇をつぶしている。

昨日潰すと言うのはとても聞こえが悪いのだが、メディア断ちをしている私にとってはとても重要な時間である。

メディアを立つと言う事は、ほとんどのもの奪うと言うことに気づいた。

唯一の救いはスマホのアプリゲームである。

もちろん承認欲求や自己顕示欲を刺激しないようなオフラインのものである。

これから私の男性依存症はどうなってしまうのか、2次元でもう生きられないのか、3次元の見捨てられ不安に戻ってしまうのか、

令和元年になって私は2次元周年を迎えるはずだったのに、とんでもないことになってしまった。

しかしそれはあなたの自分の始まりであると信じたい。


確かに、7日目の決意である。

これは自分用のメモであるので、とても硬い書き方になってしまった。

私のノートはいつもこのような感じだ。





鏡の法則の鏡を粉々に破りたい



あー、

あっちの方はかなり楽になってきたのに

引き寄せの法則やら鏡の法則やら

したらされる

的な考えがヤバイ強迫観念

強迫性障害ヤバイ。




返事してないんだ。

もうバッサリ切っちゃった方が自分のメンタルのためになる。そう思ったんだ。

共依存した泥沼の彼氏と、見捨てられ不安で吐きそうになりながら別れるように。

バッサリと。

あ、今回胸が痛むだけで吐き気はないです。





だから、バッサリって結構勇気いるし、依存や共依存しちゃう私にはかなりのミッションなんだけど、

しかもそれは自分の中ではとってもすごい技術で主治医に褒められるほどなんだけど、

鏡の法則





でーたーよー

でーたーよー

スピリチュアル

引き寄せの法則ノイローゼ

鏡の法則ノイローゼ

スピリチュアル強迫性障害

スピリチュアル強迫観念

スピリチュアルノイローゼ





頭痛い…




しかも少し検索してたら、わりと好きだった心屋仁之助さんもカルトとか?

私マジバカじゃん…

混乱法だよね、弱みに付け込んだ。




親には口が裂けても言えないけど、神社の賽銭箱に一万円札いれてくるミッションを真面目にやって何も効果がなかった時点で何故気付かない…



もう、15年近くスピリチュアル生活やってたから脱スピ案外難しいね。




あっちの方はかなり理由分かってきて

自己顕示欲と承認欲求と完璧主義。

それに加えてマインドフルネスで集中力高めちゃったもんだから。

押さえつけてた自己顕示欲、承認欲求が、

完璧になれない!!

誰も承認してくれない!!

誰も私を見てくれない!!

って、

どっかーんしちゃったらしい。





今分かってるのはそんなところ。

なので自己顕示欲と承認欲求を刺激するものからはもう少し避けていようと思います。

避け続けてもたぶん承認欲求抑え込みすぎてどっかーんしちゃうから。

私のラインのプロフ…(笑)

今アイコンもないし背景もないし名前もない(笑)

てか、空欄は出来なかったからせめてもの「。」にしといた。

わたしは。です。

アイコン今まで自分の顔とかだったもんなー、自己顕示欲ヤバすぎ。

今回の件で、私の病気の核が見えて良かったと思ってます。

今まで気づいてるようで気づいてなくて、

なんで私はネットダメなんだろ?苦手なんだろ?なんでツイッター嫌いなんだろう?

その疑問は全部解けた。

自己顕示欲、承認欲求、完璧主義。

そんで、↑が出来る人への嫉妬。↑で成功してる人への嫉妬。

いや〜〜スッキリしたわ。

でも暇。




あとまたお金の方が苦しくなってきた。

何かが落ち着くと何かがまた出てくる、やんなっちゃうなー。

なんか自分が精神疾患で、心理学者になった人いたよね。

フロイトだっけ?森田もだっけ?よく分かんないけど、私もいっそそうなろうかしら。

そうでも思わないとやってらんないわ。




植木先生言ってるじゃん


外界からのシャットアウトなう。

しばらく。







かなり症状は落ち着いている。

特にメディア。
テレビ、雑誌、ネット、いろいろ。

私の自己顕示欲と承認欲求を刺激するものに触れないのが一番いい。

予約販売で注文してた雑誌が来たんだけど、忘れた頃にやってきた的なアレで、梱包開封しないまま保管。

いちおう保管。

雑誌も全部捨てちゃってもいいかなー、って思ったけど、いちおう保管。

いつか見れる事を願って。





自己顕示欲も承認欲求もセットで誰でも持ってる人間の基本的な欲求らしいし、

私はそれがパーソナリティー障害で少し強くなってるだけで。

私も人間だったらしい。




ブログやってる人は自分のブログ見て欲しくて(自己顕示欲)、いいねとコメント欲しくて(承認欲求)

そのブログ見ていいねしたりコメントする人は、その行為が自己顕示欲と承認欲求だったり。

とか。

とか。

とか。






やった!






私人間だった!






お父さんのテレビは聞こえてきちゃうけど、お父さん見るのってラフな刑事ドラマだったり

あとはニュースでエンタメとかは恐怖だからいつも逃げるけど、

今日はトランプトランプトランプトランプだから救われている。

トランプ、ありがとう。

こんなにトランプに感謝したことないな。





大丈夫、大統領とか総理大臣になろうと思ったことはないから自己顕示欲も承認欲求も何も刺激されない(笑)

帝一の國借りて焼いたのまだ見てないけど、まあいつか見れますように、と願いながら。

菅田くん〜






陸上もありがとう、何にも思わない。
選手になろうとも思わない。

でもフィギュアだけはダメで、本当ダメで、羽生くん見て「なぜ私はこうなれないんだー!」って毎度発狂するからもう見ない。

写真なら大丈夫になってきた。

試合は見ない。







そう、だから結構買い物は行ってるけどメディア的な接触はなるべく避けてる。

そして落ち着いている。

ただ、ふとした瞬間に悲しさとか襲われて、頓服飲んで寝たりとかはたまにある。。




ずーっと相談のってもらってた人たち、変な刺激を受けてしまうから本当は触れたくない…

なんて自己中なんだ

なんて奴だ!

小峠?





ちゃんと返事しないと、マナー、礼儀、してもらったんだからして返す、

そう思ってはいるんだけど、今は刺激受けたくないんだよなぁ…

どうしよう。





返事見ないようにして事情だけ伝える?

んー…

なんて奴だ!




そういうの考えてると、あー、引き寄せの法則ー、ってスピリチュアルに引き込まれてしまうのです。

なぜ私がこんなにスピリチュアルを嫌悪して、否定して、脱スピしているかというと。

ん?

これ、たぶん書いたことなかったかも!?






まず、スピリチュアルで救われたことがなかったこと。

スピリチュアルで、特に引き寄せの法則で、強迫観念や強迫性障害が悪化して、ノイローゼになってしまったこと。

結構なんか色々振り回されて、混乱して苦しくなって未遂したこと。

よく覚えてない。




要は

〜してくれたのに〜しないから〜な状況になっちゃう、あーどうしようどうしよう。




ってノイローゼになって苦しくなるからです。

しかも救われたことがない上に悪化して未遂するという本末転倒な悲劇…






もう、強迫性障害の人は引き寄せの法則なんて知っちゃダメ!

占いもやっちゃダメ!





だから

なんだっけ




そう、どうしよう返事。

心理学では、「助けさせてあげる」ことが「相手を幸せにする」っていうのが有名なんだけど

これ本当、心理系の人はみんな言ってる。

それ信じてここはあえて距離を置いてしまう?助けさせてあげた?んー…

いいのかなコレで。。

あの心屋仁之助さんもコレは推しなんだよね。





しかし…



なんて奴だ!



私の心の中の小峠が引き寄せの法則の遣いになって叫ぶ。



溺れた女の人をとっさに助けた男が、その女の人のこと好きになるらしい。

それを認知的不協和っていうんだって。

溺れてる人を助けた、それだけじゃ脳は納得しないみたい。

じゃあ溺れてる人がオスだったら、おっさんズラブになっちゃうのかい?

溺れた方はとんでもない展開だな(笑)






私はひどい奴だ…

散々利用しといて、都合悪くなったら連絡なし?

耐えられない、私の良心が耐えられないよー。。

されて嫌なことはしたくない。




んああああああ




どうすればいい…

うん、ちゃんと、向き合ってみようかな、





だああああああ




やっぱムリだけどモヤモヤする(泣)




少し時間置けばいいかな…





相手は何も悪くないのにな、

私がすごく相談するから、私が知ってると思って私が知らない事言ってきてしまうのは全然悪い事じゃないし…悪気もないし…

きっと苦しくなったら、また私は都合のいいように相談するんだろうな。

どうしたらいいんだろうね。





切り捨てたら切り捨てられる…

あー、引き寄せの法則ー

ノイローゼはじまるー

助けてー

DaiGoー

植木理恵先生ー

眉村神谷さんー

心屋仁之助さんー




心理学の人ー

ふつうのひとー

たーすーけーてー




この世にスピリチュアルなんてありません




と誰か言ってくれー






え、私ってこんなこと書きたかったの?

ただ外界からシャットアウトしてて、つまんねえって書きたかったんじゃなかったの?

いや〜



暇。




マッタリしすぎてる癒し系育成ゲームとか、逆にドリフトでガンガン飛ばしまくってクラッシュしまくったり、





最近はVRとARでお星様見てるよ(笑)

ちょっと奮発しちゃった。






38ページ





12ページ




DaiGoも植木先生もちゃんと言ってくれてるのに、いつまで小峠は引き寄せの使者なのだ!

私の中の小峠が心理学の先生になるのを待つ。




なんて日だ。




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