5月。
まさかこの時は広島とファイナルやるなんて、キングスブースターも広島のブースターも誰も思ってなかったのでは?w
そのまままた親父のアパートに宿泊。とにかく面会できるとこ探さなきゃと探したのが病院ではなく介護施設で。現地見に行ったり。で、面会できない病院で外から親父の様子見たら、もう入った時とは別人で寝たきりになってて。2週間、様子見れなかったので、何がどうなったのかはわからずですが、長くはないと言われてて、ガクッと来る時期がたまたまこの2週間だったのか、どうだったのかはわかりません。
キングスのクォーターファイナル、飛行機やホテルおさえてたのに、キングスも地区優勝を逃し、チケットもキャンセル、返金はわずかでお金を溝に捨てる結果にw そんなブースターさん多かったと思います。
で、ホームに移そうと思ったら、ホームのかかりつけ医に、ダメダメ、ホームになんか移してもダメよ、もう持たないよ、と。で、急遽そちらのかかりつけ医のほうに入院させてもらうことに。でも、結果オーライで、ここはいつでも面会できるようになって、ちょうど妹もその病院に入るタイミングから、山口に行ってくれて、お袋と妹が毎日病院に行ってくれる体制に。けど、親父はもうほとんど喋れず、痛そうで。モルヒネで朦朧としてることも多くて。
そこからは毎週末山口まで通いました。病院に行きながら葬儀屋さんを探したり。
なんせ、遠隔だから本当にいろいろ参りました。お袋と妹が行ってくれて良かった。
キングスはシーズン終盤、四連敗とか、地区優勝逃すとかダメダメでしたが、CSに入ってからはいつものキングスでした。いや、東京も千葉も凄かった。勝てると思わなかったw
親父のほうは面会時間は長くはとれないので、結局時間ももてあまして、みんなで周防大島ドライブして、すっかり昔と変わって若い力が島に良い影響与えてるなーってのを目の当たりにしたり、新しいお店を開拓したり。
柳井や周防大島は、昔のイメージがあって「田舎だなー」って思ってたけど、自分も小豆島に住むようになったこととか、実際に柳井や周防大島自体が変化してることもあいまって、かなり印象が変わりました。
それから、親戚のおばちゃんもゆっくり喋ることとかドライブすることなんてなかなかなかったけど、そんな時間が持てて良かったなーと。特にお袋は自分の姉と一ヶ月半くらい毎日顔を合わせて、そんなこと50年以上なかったでしょう。
それもこれも親父のおかげかな。
親父は自分は意図してないんだけど、結果としてめちゃくちゃ周囲のためになってることって、ホントに多かったです。不思議と。
最後の家族写真。
キングスのCSで、親父のアパートで一人観戦するのに妹が作ってくれたピザ。
あ、妹の誕生日もあったな。
親父のアパートからチャリもって帰ってきて整備したり。親父、チャリ乗れなかったらしいんですよ。けど、70歳過ぎて、車もないし、不便だから挑戦したんでしょうね。何度もコケたとはよく聞いてて、ハンドルも曲がりまくってました。
で、東京時代に一番濃く仕事をした方の退任の報。
キングスはファイナルへ進出決定。
その翌日に親父がもう危ないと聞いて山口までまた走って。その夜親父は逝きました。最後はとにかく痛そうだったし、ちょっとホッとしました。親父はあまり家にいなかった人なので、なかなか家族が集まることも少ない家族でしたが、最期はお袋と僕と妹で、息を引き取るところをしっかり看取りました。
退任された方にダメ元でメール送ってたら、親父が亡くなった翌日に連絡来て、13年ぶりくらいですかね。
親戚からもいろいろ連絡もらって、夜はみんなで寿司食いに行って、葬儀は呼ぶ人もいないので直葬って形にして、わずかな身内と僕らで火葬場で見送りました。
そこから現実問題、アパートの撤収作業があって、大量にゴミ捨てしたり、使えるものは奈良の妹の家に運んだりしてたら、たまたまキングスがファイナルで1勝1敗となり、しかも自分がいた場所は奈良だったので、3戦目、横浜行けるぞ、と。
親父も、世話になった方の退任も、キングスも、いろんなものが終わった5月となりました。
終わりは始まり。
また新しくフェーズが、始まるのかなーと思います。
年末に親父連れて打ちっぱなしに行ったのが今回の闘病の始まりで、退院や転院のタイミングも、僕がにどでまにならないように?かはわかりませんが、北九州の友人たちとのゴルフの翌日が退院だったり、転院だったりしてて、実は納骨までゴルフの一日違いの日を予定してるので、これは親父が大好きだったゴルフを頑張れよ!って言ってるんだなって勝手に思って、ゴルフは頑張っていこうと思います。
なかなかその性格、性質から、周囲から人がいなくなってしまって、結果、親父が楽しくなさそうなのが、僕もずっと嫌だったのかなーと思うんですが、それがかわいそうだからとばーちゃんが早めに連れにきてくれたのかなーと、そんなふうにも思ったり、いやいやもっと何かできたんじゃないかと思ってみたり、最期もうちょいやさしくすりゃ良かったかなーとか、いやいや、まぁまぁやったのかなーとか、そのへんの感情はまだよくわからないです。
ただ、僕が見てても親父が楽しそうな時期は間違いなくあったので、その時、その場を作ってくださった皆様には感謝しかないです。たくさん迷惑かけたり、嫌なこといったりする親父でしたが、親父にとっての楽しい時間を作ってくださってありがとうございました!
という、いろんなことが同時に起きた5月でした。
太い太い5月でした。
では。