道の駅江差 に到着しました。



江差町に和人が住み着くようになったのは、1189年に源義経が衣川で自刃した後、藤原泰衡の一族がこの地に上陸したのが始まりといわれており、北海道文化の発祥の地とも呼ばれています。
江戸時代から明治にかけて “ニシン漁” で栄え、北前船での交易により、人口も3万人を超えており、「江差の五月は江戸にも無い」 と唄われました。

江差の町には、当時の繁栄を物語る、国指定重要文化財 “旧中村家住宅” を始めとして、“横山家”、“旧関川家別荘” などいくつもの豪商の住宅跡が残されています。
また、この地図の左上、不思議な形をした “かもめ島” のそばに、“開陽丸” という船舶が停泊しています。
開陽丸は幕末にオランダで建造された幕府の軍艦ですが、明治元年江差沖で暴風雨にあって座礁、沈没しました。
オランダに残っていた設計原図を基に復元され、現在は “えさし海の駅” として、海底に沈んだ開陽丸から引き揚げられた遺物、約3000点が展示されています。

道の駅は、その江差の町をちょっと抜けたあたりの海岸沿いにあります。

すぐ裏側には浜辺があり、“繁次郎浜(しげじろうはま)” といいます。
江戸時代に実在した “江差の繁次郎” という 「トンチ」 の名人に由来するもので、彼は愉快なトンチで町中に笑いを振りまいた、庶民のアイドルだったといわれています。
浜には、繁次郎の像が立っているそうです。


そして道の駅の本体がこれです。
江戸時代の鰊場の雰囲気を再現した、ヒノキ造りの切妻屋根になっています。
二つの建物がありますが、左側の大きい方がトイレで、右のちっちゃいのが道の駅なのです。


一応道の駅の登録証は掲げてあり、入り口のところに道の駅のスタンプも置いてあります。

店内は数坪、といったところでしょうか?
まるでタバコ屋さんのようなこの道の駅、失礼だけどなぜこれが道の駅なのか、不思議な気がします。

これはトイレの建物ですが、こちらの方がうんと大きいのも面白いです。


6年前に来た時は、確かここで “江差追分” の曲が流れていたように思います。
“江差追分” は日本を代表する民謡の王様と呼ばれ、「民謡は江差追分に始まって江差追分に終わる」 ともいわれます。
追分節は江戸時代の頃から信州中山道で唄われた馬子唄が元になって全国各地に広まり、江差には “舟歌” として北前船で持ち込まれたと伝えられています。
それを江差の “座頭佐之市” という人物が、独特の音調をもつ江差追分に発展させたものです。
江差では毎年9月の第三金、土、日に “江差追分全国大会” が開催され、全国から選び抜かれた唄い手が結集し、自慢ののどを競い合います。



