経営者ってのは冷たい決断をしなきゃならない時があると思う。
情に流されて、いいよいいよって言い続けているうちに、気が付いたら周囲が死地に立っている事がありえるのだ。
度が過ぎた物事に対しては、なるべく情を入れない決断をする様にしている。
経営決断をするときの僕は、最早、普段の僕ではない。
全体にとってプラスかマイナスかでプラスを判断する機関だと思っている。
また、誰が考えても当然だと判断できることに関して判断しないほうが罪なのである。
普段、ゆるく見えても、厳しい、とてつもなく激しい一面があることをうちの連中は知っているからこそ、普段がゆるくても僕は社長たる立場で仕事をさせて貰うことが出来る。
そして、決断をするときに感じるプレッシャーやストレスには、最早、僕は鈍感になっている。
僕は哲学者でも論理学者でも心理学者でもない、経営者なのだ。
それを真に受ける程、人間が強くはないし、論理も出来ていない。
そして何よりそこを突き詰めることは大事なことじゃない。
本当はこんな事したくないんだと言っていたら一時の温かさを感じてもらうことは出来ようと思う、しかし、守るべきものは守れない。
僕が引退する時に、ゆるい組織しか出来上がっていないのだ。
また、会社で決断ができる人間は、俺しかいないのだ。
だから、俺が決めなければならない、そんな局面がある。
決めないのが罪という局面がある。
決断の積み重ねが会社の未来を切り拓いてゆくと信じている。
大事なのは決断の積み重ね。
時に人は頭を打たねば先に進めないことがあると僕は思っている。
松葉杖で歩いている老人に対して、介護する側の人間が、要求されることに全て応えてしまうと、言われてもないことを全てやってしまうと、その老人は将来立てなくなるのだ。
そんなシーンを僕は実際に何度か目にしている。
やさしさとは時に厳しいものだと思う。
しかし、否定させてもらうが、今回、ここで実は僕が優しいと言いたい訳じゃない。
今回はやはり会社のために、冷徹に判断した。
今回のことで、一言言えるならば、僕はフリーランスであり経営者だ。
全てのリスクを僕は自分で負わねばならない。
常に損は自分、得はみんなの精神で生きねばならない。
「損があればすべて自分で負うのが想い」なのである。
その覚悟なくば、フリーランスにはなれない。
常に損は自分、得はみんなの精神で居たいと思う。
この言葉は、人間として尊い様に見えるかもしれないが、僕はそれが出来ない会社は廃れると思っている。
廃れたくないからそうしているのだ。
ついて来てくれているみんなの事を思うと、僕は会社を廃れさせる訳にはいかないのだ。
僕は従業員や仲間の人生を守る100%の責任はなくても、責務を持っている。
冷徹になれる人間でなければ、今は良くても、先の1年をもを築き上げることが出来ない。
1人とみんなの天秤は成立しない。
当然だ。