苦境に陥った時、大多数の人間は翻弄する。問題の解決方法を模索したり、時にはあてもないままひたすら行動を起こす。愚かな訳ではなく、単にそれが人間の性質なんだろう。

 

ところが、私たち人間の祖先は、子孫である私たちより賢かった。最も簡単に苦境を乗り越える方法を知っていた。

 

今日は、彼らがいかにして苦境を乗り越えたかについての話である。

 

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ここでいう「私たち人間の祖先」とは、2億5千年前の姿である。当然のことながら、当時は人間というより、まだ「海の中の微生物」だった。私たち人間はそれらの微生物が進化して現在の姿になった。

 

彼らが乗り越えた「苦境」とは、2億5千年前に起きた地球への隕石落下である。日本の本州より大きな隕石が地球に落下したことで、地表が10キロの深さで捲れあがり、地球の表面は熱気温に覆われた。海水が蒸発し、1分間に4センチの速さで海面が下がり始めた。その結果、地球上の海水は全て姿を消した。むき出しになった海底の表面に残された海塩が固まり、塩の結晶が形成された。

 

それから2億5千年後、つまり現在だが、金の採掘現場で塩の結晶の化石が発見された。大学の研究チームが内部を調査したところ、結晶の中に大量の微生物の死骸が発見された。

 

研究チームはそれらの微生物の死骸を取り出し、栄養分を補給し続けてみたところ、驚くことに4ヶ月後に微生物が生き返り、活動を始めたのだ。

 

 

微生物は、死んではいなかった。休眠していたのだ。海水が蒸発して塩の結晶の中に閉じ込められてしまい、なんとも「生きにくい」環境になってしまった。そこで彼らは、いつの日か、次にまた「生きやすい」環境に戻る日まで活動を中止することにしたらしい。

 

塩の結晶の中に彼らと共に閉じ込められた僅かな海水を飲みながら命を繋いだ。下手に動き回ると体力を消耗するし、喉が渇いて海水を飲み尽くしてしまうかもしれない。動いたって、つまり自分がどんなに頑張っても、環境が変わらない限りは何も変化しない。それなら完全に休眠して体力を温存する。

 

 

「動かない」

「何もしない」

「じっとしている」

「センサーを常にオンにして、環境が変化したと同時に生命活動を再開する」

 

 

私たちの祖先は「下手に動かない」ことで苦境を乗り越えた。私たち人間には確実にそれらの微生物のDNAが受け継がれている。彼らがそうやって苦境を乗り越えられたのなら、私たち人間も同じ方法で苦境を乗り越えられるのではないだろうか?

 

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実はここ最近、以前に比べてブログ記事を書く頻度が落ちている。このブログ自体を始めたのが昨年の12月中頃だから、あと1ヶ月で1年になる。そもそも飽き性なので若干飽きた感はあるが(正直に言って)、頻度が落ちた理由は私の心境の変化が一番の原因だと思う。

 

以前は「主人の死」「彼がいない人生」を全く受け入れることができなかった。嘆き悲しみ、ぶつけどころのないフラストレーションを抱えて悶々と生きていた。色々話したくても訴訟を起こしたことに起因して、結果的に守秘義務に同意したので公には何も話せない立場に自身を置いてしまった。それがまたフラストレーションを増やす原因になり、悪循環だった。

 

ところが、以前に比べると最近は若干だが、諦めがついてきた。まだ受け入れることはできていない。愛する人の死だ。しかも殺された。きっと私は一生受け入れない。でも、彼なしで生きていくことに対して少し諦める気持ちが湧いてきた。ブログを書いたことで気持ちの整理ができたからかもしれない。

 

諦めがついてくると、最近では「Productive member of the society - 社会に対して貢献・生産的な役割をしている社会の一員」として生きていない自分自身だけど「それでもいいかなあ」と思えて来る。

 

 

毎日、起きて、洗濯する日はして、天気が良ければ用事もないのに街までフラフラ出かけてランチして、雨なら外出せずにカウチポテトで読書したり映画を観たりして、4時から風呂に入り、5時から夕食を食べて、10時には眠くて起きていられないから寝る。

 

たまに姉とお出かけする。車だから普段行けない場所に行けて新鮮な気分になる。私を超える変人は貴重な存在だ。たまに母と家か近所のカフェでランチする。百貨店に遊びに行くこともある。たまに日曜日の朝活サークルに顔を出して、こんな小難しい人間だけど「おー!今日は来たか!」と皆が喜んでくれて嬉しくなる。

 

たまに珍しく真面目に料理する。スーパーマーケットの特売日に見切り商品ワゴンで見つけた野菜でヴィーガン料理を作る。綺麗に盛り付けて、皿の周りも飾って、写真を撮ってインスタにアップする。自己満足の世界を楽しむ。カボチャのオレンジ色が映えそうな茶色のお皿を見つけると迷わず買う。

 

 

今の私は、働いて収入を得ていない。

働く喜びも感じていない。

友達と言える深い付き合いの友達もいない。

叶えたい夢もない。

将来に希望も持てない。

生きる理由もわからない。

 

 

だけど、心の奥底に、情熱の炎の種火がくすぶっているのを、肌で感じる。

 

塩の結晶に中に閉じ込められた微生物が、一緒に閉じ込められた僅かな海水の存在を感じていたように・・・

 

 

いつの日か、またいつの日か、私が私らしくありながら、「生きやすい」環境に世界が変わる時に、私は活動を再開するのかもしれない。そう、私の祖先がそうしたように。

 

じゃあ、それまでは活動停止だ。下手に動いて体力を消耗しないように、何もしない。休眠しよう。

 

でも、もし、もう二度と私にとって「生きやすい」環境に世界が変わらなかったらどうする?それはそれで、仕方がない。休眠状態で死んでいくのも悪くないんだ。きっと。

 

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漠然と、そんな風に考えていたから最近はブログ記事を書く頻度が落ちたんだと思う。そう思っていた矢先に、たまたまYouTubeで「祖先が生き延びた」くだりが出て来るサイエンス番組を観たので「おっ!やはり!」と思ってしまった。

 

凄いねえ。何もしない言い訳をこれほど論理的にもっともらしく書ける私は、洞察力が鋭いか、あるいは天性の詐欺師だね。

 

 

最後に突然だけど、夫への愛は永遠に続くと思うんだ。「生きやすい」環境っていうのは別に再婚とかって意味じゃない。死んでもなお貫き通す一途な愛、みたいなものがあってもいいと思うんだ。別に一途な愛に憧れてはいない。単に、好きすぎるだけなの、彼のことが。目出度いね、私は。