花園にある寿聖院です。

 

 

妙心寺の塔頭。霊雲派。

慶長4年(1599年)、石田三成が、妙心寺62世・伯蒲慧稜を開山として創建しました。

慶長5年、関ケ原の戦いにおいて三成は東軍・徳川家康に敗れます。三成の居城・佐和山城は陥落、三成も湖北で捕らえられ六条河原で処刑されました。三成の嫡男・重家は大坂城下にいましたが、西軍敗北を聞くと寿聖院へ逃げ込んで伯蒲慧稜のもとで剃髪、出家。法号、済院宗享。寿聖院3世となりました。創建当時は現在の4倍の寺地がありましたが、関ケ原後に縮小されたとのことです。

通常非公開。

 

 

石田三成一族菩提所碑。

尚、石田三成の墓は大徳寺塔頭・三玄院にあります。

 

 

 

寿聖院;京都市右京区花園妙心寺町44