怖さの構造と血の恐ろしさ

 

1 怖さの構造

 

 「怖さ」についていきなり思いついたので書いておきます。

 一口に「怖さ」と言っても色々なものがあります。例えば、心霊写真のような通常ではありえないものを見る怖さ、人に脅されたりする怖さ、その時はわからなくても後で冷静に考えるとじわっとにじみ出てくるような怖さがあります。

 

 どれも怖さである事には変わらないのですが、中でも持続する怖さは、その時はわからなくても後で冷静に考えるとじわっとにじみ出てくるような怖さであると思っています。私の中ではこの代表格は1977年に公開された野村芳太郎監督の『八つ墓村』と、稲川淳二さんが語った川治プリンスホテル火災の話と思われる話です。書籍にもなっています。

 

 ・出典:稲川怪談ライブラリー

 DVD 稲川淳二の怪怨夜話 収録「落人たちの霊」(7話/11話)より

 

 この川治プリンスホテル火災(たぶん)の際に出てきた平家の落人の墓がホテルを見下ろしているというのは、野村芳太郎監督の『八つ墓村での最後のシーンで、多治見家の生き残りである小竹さんと小梅さんが読経をしている中で、家が火に包まれていくのを尼子義孝たちが丘から見ているシーンを彷彿させるものがあります。小竹さんと小梅さんが亡くなる事で多治見家の人間は全ていなくなってしまいますので。

 

 しかし、野村芳太郎監督の『八つ墓村』で、私が大変恐ろしく感じたのは、最終の方で金田一さん(渥美清さん)が今回の事件について行った解説なのです。 結局のところ、この映画での主犯である森美也子(小川真由美さん)が、落人である尼子義孝の直系の子孫であり、構造上は義孝が美也子の体を借りて、何百年来の仇をとったという事になります。しかもどうやら美也子はそれを知らずに行い、まるでそのけじめをつける形で鍾乳洞の中で亡くなっているのです。最初からこの構図がわかっていると、単なる息の長い仇討ち話で終わってしまうのですが、最後の最後でこの事件の根底にある真の恐ろしさと悲しさが語られるところが秀逸であると思います。と同時に、人の念と血の恐ろしさを痛感させる内容であると言えます。

 

 虫の知らせとしての怖さと根底に先祖や見えざる者からの愛が感じられるのは、稲川さんが庄野真代さんから聞いたホテルニュージャパンの火災の話と福知山線事故にあらわれた謎のおばあさんの話です。1つ目は見知らぬ人が庄野さんを訪れ、このホテルに泊まってはいけない忠告し、チェックアウトした彼女が難を逃れたという話です。

 

 ・出典:稲川淳二『この世で一番怖い話』(竹書房文庫、2003年)

 

 もう1つ目は、福知山線の車両に乗っていた女性に向かってホームにやってきたおばあさんはいきなり彼女の体を掴んで、今すぐ電車から降りて携帯の電源を切りなさいと忠告し、それに従った彼女が難を逃れたという話です。

https://www.excite.co.jp/news/article/Weeklyjn_18530/

 

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2 おそらくこの世の人ではない人からの忠告と血の恐ろしさ

 

 ちなみに私も電車事故ではないのですが、関東のとある観光地(論文を書くためのフィールドワーク・寺社的なものと思ってください)にもなっているところで似たような現象に遭遇した事があります。観光地自体はバスで来る人もいて、そのまま横の道をあがってハイキングコースの方に入っていく人もいる所です。

 今から10年前の事ですが、その観光地に行こうと住宅街を歩いていると、いきなり見知らぬおじいさんが現れて、「この先の〇〇には行ってはいけないよ」と言われました。私はとりあえず「はい」と返事をしたものの、すぐにおじいさんがどこかに行ってしまったので、入口だけなら大丈夫かと思い、道の分岐点の看板の所まで行きました。そして、持ってきたペットボトルのお水を供えて帰ったのです。

 しかし、翌日、駅のエスカレーターでいきなり足に力が入らなくなり、手で手すりを掴んだものの厚手のジーンズの上から膝を怪我しました。血はあまり出ないのですが痕が残りました。ただ膝をついた記憶がないのです。

 

 因果関係はわかりませんが、実は私が入口まで行ったところは、父方の祖母の先祖に関係がある所であったので、もしかしたらあのおじいさんは先祖の誰かであったのかもしれません。というのは、私は遊びで行っていないものの、そもそも生き残り自体がレア(直接の先祖にあたる人はこの時、この場所にいなかったために生き残りました。しかし、ここにいたら責任をとって亡くなっていたと思います。また比較的、私に血縁が近い人も敵側と婚姻をした事で名は失っても血はある程度続いていきました)であったので、「何で自分たちと同じ一族なのに、お前の系統だけが残っているんだ」・「子孫の姿を見るのは嬉しいけれど、その反面悲しい」とか血縁があればあったなりに複雑な思いを抱く人もいたでしょうし、当然巻き添えを食った人もかなり多くいたはずです。当時の記録をそのまま信じるならば、半端でないレベルの地獄絵図であったと言われています。現代でも、全く関係のない人間ならば許せるけれども、家族だから許せない・友人だから許せないという、関係性が深いがゆえに許せない事もあろうかと思います。おそらくそういった感覚に近い人もいるのではないかと思いました。そして、そこで起こった事実を知らないで行ったのではなく知っていて行ったという事も大きいと思います。

 

 今は上の世界にいても、もとは人間です。私たちと同じような感情をもっていたはずです。神様ではありませんし、全員がクリアな気持ちになっているとは考えにくいのです。その点を考えられなかった自分は浅はかであったと反省しています。そう考えるとあのおじいさんの忠告は愛であったのだと思うしかありません。いずれにしても通常考えられない状況での忠告は、特に守った方がよいと思いました。