こんにちは、ロイヤル麦茶です。

今回紹介する神社は熊本県熊本市中央区宮内にあります熊本県護国神社です。

御祭神は明治維新から大東亜戦争までの間、国難に殉じた熊本県出身者や縁故のある戦没者約65,000柱。

明治2年(1869年)明治維新以来、殉国烈士の御霊を奉斎すべき勅旨を奉戴し、肥後藩主・細川韶邦公、細川護久公が花岡山に祀宇を建立し、宮部鼎蔵命をはじめ150柱を斎祀したのが始まりです。 
明治7年(1874年)3月に招魂社となり、昭和14年(1939年)4月1日に現社名へ改称。
昭和19年(1944年)熊本市黒髪町立田山麓に新たな社殿造営のために着工するも、大東亜戦争の影響により進捗せず、終戦により造営中止となってしまいました。
昭和28年(1953年)社殿造営予定地だった立田山山麓より現在地に造営敷地を変更し、翌年には御造営奉賛会を設立し、着工。
昭和32年(1957年)4月末に社殿、社務所、手水舎、鳥居、社号標が竣工されました。

 

加藤神社から熊本城公園の西側へ進むと、西南戦争籠城将校家族避難跡の石碑がありました。西南戦争の際、熊本城に籠城していた鎮台側の将校の妻子が砲弾の飛来を避ける為、空堀に天幕を張って避難したそうです。

 

先に進むと宮内神社と書かれた社号標が建っておりました。

 

しかし、そこには社殿の基礎らしきものが残っているだけでした。

 

基礎にあった沿革を見てみると、昭和2年(1927年)5月1日に熊本陸軍教導学校創立時に合祀建立されたようです。御祭神は天照大神、神武天皇、明治天皇、学校関係者の英霊が合祀されております。

 

昭和18年(1943年)に熊本陸軍予備士官学校に改変されるも昭和20年(1945年)7月30日に閉校。昭和20年8月1日に岡山県津山市に移転しましたが、終戦を迎え8月30日の学校解体時に御祭神を御奉焼したそうです。

 

宮内神社跡のそばには軍旗染血之跡と書かれた石碑がありました。

 

熊本県護国神社の前に到着しました。

 

こちらは鳥居の前にいた狛犬ですが、両方とも口を開けてますね。

 

鳥居をくぐると右手に慰霊碑がいくつかありました。

 

先に進むと左手に手水舎があります。

 

手水舎の近くには教育勅語記念碑があります。

 

参道をまっすぐ進むと熊本県護国神社の社殿があります。

 

こちらは拝殿の前にいる狛犬ですが、先ほどの狛犬と同じく両方とも口を開けております。

 

こちらは拝殿の左手前におりました神馬です。

 

拝殿の左手には境内社の新宮菓祖神社があります。

 

お菓子の神様と言い伝えられており、元は中職人町(現在の熊本市中央区新町4丁目)に祀られておりましたが、平成27年(2015年)11月22日に熊本県護国神社の境内に遷されました。
 

社殿のそばには多数の慰霊碑がありました。

 

社務所で御朱印を書いて頂きました。初穂料は500円です。

 

 

こちらは新宮菓祖神社の御朱印です。社名は新宮神社になっております。初穂料は日付の数字以外印判の為か300円とちょっと安くなっておりました。

 

 

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