こんにちは、ロイヤル麦茶です。

前回につづき、今年の2月にお参りしてきました群馬県安中市の咲前神社の兼務社を紹介したいと思います。

東神社に続いて紹介する神社は群馬県安中市西上秋間の飽馬神社です。

御神祭は大日命、倭建命、豊受毘売命。

景行天皇の御宇(71年~130年)の時代に創建され、「上野国神名帳」に従三位飽馬明神と記されております。
倭建命が東征の際、馬を飽きるほど歩いてきた為、この地で止まってしまった事から「飽馬ノ神社」と称するようになり、「和名抄(和名類聚抄)」に「飽馬 安木末」と記されており、「秋間」の地名の起こりとされております。
貞和正平の乱により一時社殿が衰廃しましたが、応永2年(1395年)3月、真砂淡路守により再建され、倭建命を合祀しております。
慶長年間(1596年~1615年)には井伊兵部少輔より永銭六貫の奉納があり、明治以降も倭建命にあやかり武運長久の祈願が行われました。
明治時代に字平の鹿嶋神社を合祀しております。

秋間梅林のそばに鎮座しております。

 

東神社から歩いて飽馬神社を目指します。

 

先に進むと秋間駐在所バス停がありました。道路の反対側にあるバス停から秋間中関行きのバスに乗り、4つ先の恵宝沢バス停で下車した後、15分ほど歩くと飽馬神社に到着します。

 

しかし、秋間駐在所バス停を通るバスは日曜・祝日(最終便は土曜日も含む)運休で、この日は祝日だったのでバスを利用する事は出来ず…。

 

残念ですが、飽馬神社まで頑張って歩きます。

 

先に進むと梅の木があり、満開ではありませんが花が咲いておりました。ここから先には多くの梅の木がありました。

 

先に進むと石碑がありました。

 

こちらは幟立てで、この先にもいくつか幟立てが建っておりました。右手には道祖神と庚申塔と書かれた石碑がありましたが、写真を撮っておりませんでした。

 

先に進むと庚申塔と石像がありました。

 

飽馬神社まで上り坂が続きます。

 

こちらは住宅内にある梅です。こちらは満開でした。

 

これは蝋梅かな。

 

緩急はあるものの長い坂道が続く上、車が一台やっと通れるような細い道が続きます。飽馬神社の周辺はもう少し広い道が通っているので、遠回りになりますが飽馬神社まで車で向かう場合は、車が通りやすい道に迂回する事をお勧めします。

 

大分高い所まで上ってきました。

 

しかし、飽馬神社への道のりはまだまだ続きます。

 

上るにつれて梅の木が増えてきました。しかし、満開になっている木は意外と少ないです。

 

車さえ、自動車の免許さえあれば…と思いつつ上り続けます。

 

この辺りは安中市の秋間梅林案内図では梅林のエリアには入っておりませんが、沢山の梅の木がありました。

 

上り坂がもう少しで終わりというところでようやく鳥居と社叢が見えてきました。

 

東神社を出発してから30分以上かかりましたが、なんとか飽馬神社の前に到着しました。

 

鳥居の前にも梅の花が見られました。

 

こちらは鳥居の左手に建つ社号標です。

 

鳥居と社号標の前には北陸新幹線 秋間トンネル工事の安全祈願碑が建っておりました。秋間トンネルは飽馬神社の北から隣の軽井沢駅の手前まで続く全長8km以上続くトンネルです。

 

鳥居をくぐり、参道を進みます。

 

先に進むと右手に神楽殿があります。昭和10年(1935年)頃までは鷺宮の太々神楽を招き、春祭に奉納していたそうです。

 

飽馬神社の拝殿前に到着しました。

 

拝殿に掲げられている扁額です。「源朝臣希典謹書」と書かれておりますが、こちらは陸軍大将、乃木希典によるものです。

 

拝殿の手前には小さな水盤がありました。

 

拝殿の左手から奥へ進みます。

 

奥に進むと本殿が見えてきました。

 

本殿の左手には小さな祠が並んでおりました。

 

祠の隣にあったこちらの石碑、夫婦道祖神でしょうか…!?

 

本殿左手後方には奉納紀念の石碑がありましたが、何を奉納したのかは読めず。

 

こちらは鳥居の右手にあります社務所です。中にはどなたもいらっしゃいませんでした。

 

咲前神社で御朱印を頂いております。拝殿に掲げられていた扁額の印が入っており、梅の印も入っておりました。

 

こちらも東神社同様、期間限定の御朱印が授与されておりました。

 

この後、秋間小前バスよりバスに乗車する為、飽馬神社まで来た道を戻ります。

 

今度は下り坂になるので楽に感じますが、身体に負担が掛かるのは下りの方と言われてますね。

 

こちらは上りの際に撮影しなかった石碑類です。文字が消えてしまい、何の石碑かは分かりませんでした。

 

飽馬神社をお参りしたのは2月中旬で、まだ気温が低めだったので厚着でしたが、坂道を上ったり下ったりしたので汗びっしょりになってしまいました…。

 

ここまで来れば下り坂も終盤です。

 

坂の終点に到着しました。やはり上りより下りの方が楽で早かったです。

 

秋間小前バス停に向かう途中、左手に大きな木が立っておりました。

 

木の手前にある小さな上屋の中に石碑がありました。

 

こちらの石碑は三角の橋供養塔になります。

 

慶長15年(1610年)に磯貝伊豆守がそばに流れる久保川に石橋を架けた際に建てたもので、群馬県内で最古の橋の供養塔とされております。

 

三角の橋供養塔から先に進むと安リュウくんがおりました。安中警察署もしくは安中交通安全協会のマスコットキャラクターだと思われますが、ネットで検索しても詳細は出てきませんでした。

 

交通安全祈願の為に設置されたようですね。

 

秋間小前バス停に到着しました。往復で一時間以上歩いたのでまあまあ疲れました。

 

 

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