東洋のJA国では自分の求める音楽に出逢えない・・・のか? | world reggae reunion

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レガエの残党(カリブのJA国&東洋のJA国)

先日、某番組でなんだか聞いたことあるお店の名前だなあと漠然と思った。

そうだ、東洋のJA国には自分の求める音楽に出逢えない、と言い切ってみたものの、正しくは、逢える機会がものすごく少ない。というより、微小。微細。

 

 

品川のそのお店に足を運んだのはいつだったか。当然コロナ禍以前のことだ。

JAM大使館のかたも居た。

JAM国歌を流すシーンでなぜだか違うお国の国歌が流れた。

その手違いをどうこう言うわけではない。些末なこと、ただの記憶の断片にすぎない。

 

そのアフリカ系料理店での催し物を最後に、しばらく長い緊急事態に入り、これが「カフュー」というものかと妙に納得。

 

頭に浮かんだのは、ボブのコンクリートジャングル。

 

カリブのJA国と向き合ってきた年月の中には、ボブの歌詞に登場する言葉に触れる機会も数多くあった。

身の安全のために外出できない。

特に向こうでは夜間が厳しく制限される。

 

ラジオや音楽を聴いて時間をやり過ごすしかない。

日本では聞いたことのない鳥のさえずりが携帯電話の向こうから聞こえる。

向こうが夜ならこちらは朝。

 

ほんとうはカリブのJA国は、朝が一番美しいと思う。

なのに、上がってくる映像や曲は夜中または犯罪がらみの者が圧倒的に多かったのは、もちろんショッキングな表現の方が「売れる」「金が稼げる」「儲かる」からに他ならない。

本当に心底カリブのJA国のことを思って活動する人間は一握りだ。

 

ブームが去れば、みな、カリブのJA国を見限る。

そして自分の国へ帰る。

 

先日、カリブのJA国からの帰国者と思われる日本人とエレベーターに乗り合わせた。

タムの中には長いドレッドがしまわれているのだろう。

それだけではどこから帰ってきたのか不明なはずだが、自分にはわかった。

だが、もう一昔前の自分ではないから、声もかけず、ただ後ろ姿だけを見送った。

 

向き合いかたもその期間の長さも人それぞれだ。

 

自分の中では、ようやくこの頃スタート地点までたどり着いたかな、という心境。

ものすごい修業期間だね。

 

で、タイトルだけど、おそらく、これでよかったんだよ。

東洋のJA国では自分の求める音楽に出逢えないと思いがちなのは若さゆえの思い込みで、早く行ってたらきっと早々に逃げ帰ってしまっていたかもしれない。

 

ゆっくりと度重なる試練を味わいながら、鋼のように鍛えられていこう、これからも。

長文書いたらジャンル審査に通ったらしい。ふふふ。ほんとか?(笑)

 

 

Busy Signal & RC - Dreams Of Brighter Days (Official Video) - Prod. by Silly Walks Discotheque