2022年、一本目は、フランソワ・ジラールの「天才ヴァイオリニストと消えた旋律」

彼の作品で、「レッドヴァイオリン」と言うのがあるんだけど、その作品が超好きで、今作も見に行きました。







今作品は、ユダヤ人、ユダヤ教、ユダヤ人がたどった悲しい歴史、その歴史に埋もれた死者一人一人、トレブリンカ収容所などなど、まあ、重いのだけれども。


ヴァイオリンの才能を見出され、マーティンと兄弟同然に育ってきたドヴィドル。
21歳の時、華々しいデビューコンサートには現れず、突然行方を眩ませてしまう。


それを探し続けるマーティン。


35年たち、やっと行方をつきとめて、再会を果たした二人。


いや、そんなに探し続けられるなんて、マーティンの根気と言うか、執念に脱帽。



やっと会えた二人だけども、やっと会えた!良かった良かった!と言う感動の再会とはならない訳で。



それには、マーティンには理解出来ない、ドヴィドルの想い。
一度は捨てたユダヤ教に、再度生きる意味を見出したドヴィドル。
でも、それは個を捨てたと言う事。
神のためのみ、祈りの為のみに、自分の演奏家としての才能を捧げる事。

子供の頃は、あんなに傲慢で謙虚さの無かったドヴィドルが、個を捨て、我を捨て、表舞台には未練無く、ひっそりと生きていく道を選んだ。


ユダヤ人迫害や、それによって命を奪われた人、また、その家族。
彼らがどんな運命を辿り、どんな事を考えたか。


新春早々、なかなか考えさせられる映画でした。


ナチスによるユダヤ人迫害で、何万人と言う人が命を奪われた訳だけれども、あまりにも単位が大きくなると、実感が湧かないものでして。


東日本大震災の時にも似たような事があり、あんまり数が多くなると、感覚が麻痺してしまうけど、ある日突然夫が死んでしまった、母親が行方不明になってしまった、そんな事が起こったら家族は大変な思いをするでしょう。死者何千人って事は、そう言う大変な思いをしている家族が何千と居るって事だよ、と、ビートたけしさんが言ってまして、はっとしましたけれども。


殺されて行った一人一人を悲しい歴史に埋もれさせてはいけない、と、一人一人の名前を歌に合わせて歌う事で忘れない、と言う事がユダヤ教で実際に行われているのかは、私は知りませんが、口伝で戒律などを伝え守って来たし、そう言う事があっても不思議ではない。


その歌の中に、自分の家族がいたら、、、


人生を変えるくらいの、ショックを受けても不思議ではないし、自分一人だけ、生き残ったら、、、ヴァイオリンの才能があったが為に生き残ったら、やはり、その才能を神に捧げようと思うのかも。


ユダヤ人は流浪の民と呼ばれたように、ドヴィドルはずっと、居場所を変えながら、個を滅し、神のため祈りの為だけに、ヴァイオリンを弾くのかも。



しかし、この監督、時間軸を描くのが凄くシビれる。どんどん話に引き込まれて行くのは、レッドヴァイオリンにも劣らない。

素晴らしい映画でした。