DON CARLO ROH | たまにはオペラ

たまにはオペラ

オペラ鑑賞と旅行の記録

6日のROH『ドン・カルロ』公演を観に、1泊2日でロンドンへ行ってきました。 バスティアニーニ・ファンを標榜しながら、実はヴェルディのオペラを実演で観るのはこれがたった二回目です。一度目は去年、ダブリンで『椿姫』。友人の親戚がタイトルロールを歌ったので、半分義理で。しかし、実演では体験していなくても、黄金時代の録音ばかり聴き慣れていたせいか、決して満足できるものでは無かったのでした。

で、感想は、やっぱりロンドンとダブリンは格が違う!

今回のイタリア語版は1989年以来の上演だと言う、コヴェントガーデンの『ドン・カルロ』を観て来ました。私の持っている1961年のバスティアニーニ参加の盤と同じ、五幕で、こちらはモデナ稿(バスティアニーニのは1884年のミラノ稿)の上演。ヴェルディが20年の歳月をかけて推敲に推敲を加えて最終的に到達したのがこの版らしいのですが、その意味ではまさにマスター・ピースの中のマスター・ピースでしょう。テーマは重いなあと毎回思うのですが、こうして実演で聴くと、やっぱりヴェルディには惹き込まれます。

圧巻だったのは、フルッチョ・フルラネットのフィリッポ2世。フィリッポの存在感、威厳、孤高さ、苦悩等々を余す所無く表現した見事なパフォーマンスでした。3時間半のドラマの中で、もっとも心に響く歌唱だったのが、静かで悲しみに満ちたチェロの伴奏で始まるElla giammi m'amo-Don Carloでした。これだけを聴きに、もう一度観ても良いと思いました(というか、年末年始にあるスカラ座公演でもう一度聴くつもりです~フィリアノーティがドン・カルロだしべーっだ!)。



嬉しい驚きだったのは、今回目当てであったポーザのキーンリーサイド。実はキーンリーサイドってモーツァルトとかリート系の歌手だと思っていたんです。 意外にも朗々とした歌いっぷりで声量も必要十分、声質も癖が無く聴き易く、滑らかでレガートも良く伸びていました。 フィリッポ2世とのデュエットでも、ベテランのフルラネットを相手に健闘。若々しく理想とドン・カルロへの愛ラブラブに燃えるメラメラポーザでした。録音の方は質が悪過ぎて、その魅力が半分も伝わらないのが残念です。しかも演技はシェークスピア俳優ばりで倒れ方も上手、私的には十分及第点です。彼はまだ、ヴェルディのレパートリーではロドリーゴとフォードしか歌った事が無いそうですが、そのうちにもっと色々と歌って欲しいと思いました。テジエ同様に、これからの動向に注目して行きたいです。一時はバスティアニーニ亡き後はろくなバリトンが居ないのかと思っていたけれど、とんでもないヒスヲタ志向でした(もちろんバスティアニーニはバスティアニーニで素晴らしいけど)。確かに、あの手のバスのような色音を持った声のバリトンは今、珍しいかもしれませんが、その代わり、ハイ・バリトン(カヴァリエ・バリトン)で良い人は結構居る事を改めて認識。





ちなみに、ヴィリャソンのドン・カルロ。 ヴィリャソンは歴代のドン・カルロ達と聴き比べてみて、特に彼が聴き劣りするとは思えません。 バスティアニーニが録音に参加した盤でドン・カルロを歌っている人達にも、『ちょっと合わないなあ~~~』と思う人もいます。それに比べれば、ロブストな印象の声のヴィリャソンは向いている方だと思います。ただ、バリトンもバスも全体的に軽量化した昨今、この声だとバリトンのキーンリーサイドとの例の二重唱でもどっちがどっちだか?と言う感もなきにしもあらず~多少バランスが悪かったかも。それと高音が最初、少し弱かったかも・・・それは後になって喉が暖まって良くなって行きました。それ以外の点では、恋の病に身を窶すこの役柄は熱血漢な彼にはぴったりでした。



今回のキャストは、いわゆる『黄金時代』からのオペラ・ファンに言わせれば、『今回のキャストの中で、ヴェルディ向きだと思えるのは、バスのフルラネット位で、後は今のご時世だからこそ、ヴェルディを歌っても認めてもらえるタイプの歌手』なのかもしれません。 しかし、完璧な人間がいないのと同じで、完璧な歌手とか完璧なヴェルディ・テノール/バリトン/ソプラノ等々は存在しないのであって、結局は時代の流れによってその基準も変わって行くものだと思います。

問題の演出ですが、私の席は天井桟敷も良い所な席だったので、舞台は半分しか見えませんでした。ですから、詳しい事は語れないのですが、背景等が現代風(スーパー・マリオみたいな壁とか)で簡素ながら、衣裳は時代考証にほぼ沿っている伝統的なもので、それほど違和感はありませんでした。振り付けも英国御得意の演劇風は比較的押さえ目立ったように思います。どうも、動きの激しいロッシーニとか、ベルカント系喜劇の舞台に慣れているので、歌う事を主眼にした舞台は新鮮でした。パッパーノの指揮は時々、歌手とテンポが合ってない部分がありもしましたが、『退屈』で無かっただけ良かったと思います。


『ドン・カルロ』と言うオペラ

夕方6時開演で、2度の休憩時間合計50分を含め、10時半終演。正味、220分間または3時間30分ですから、長いと言われていますが、10月に観る予定の『マティルデ・ディ・シャブラン』もその位の長さはありますし、帰宅後に観たベルリオーズの『トロイア人』は4時間以上です。これだけ複雑な人間模様を描く為には決して長くはないような気がします。事実、私感としてはあっという間でした。 むしろ、これを長いと感じるのは退屈な舞台だった事の証明ではないでしょうか。それを感じさせないのは、希代のオペラ作曲家ヴェルディの才と、それを上演する人々の努力の賜物です。しかしいかんせん、軽い喜劇に慣れているもので、単に高揚感に浸るだけでなく、人生について考えさせられてしまう内容はちょっと重かったかお。様々な人間の思惑、欲求、希望、苦悩、愛憎、それに政治、宗教、思想等の要素が絡み合い、一見混沌にすら見える非常に複雑なドラマを作り上げている訳ですが、最後の所はカルロ大帝の亡霊の、この一言に尽きるのではないかと思いました。

Il duolo della terra
Nel chiostro ancor t'insegue;
Del core sol la guerra
In ciel si calmerà
.


そして、翌日は出発迄の午前中が空いていたので、テート・ブリテンへ。 何故かと言うと、私の好きなラファエロ前派のエドワード・バーンージョーンズが、これまた20年の歳月をかけて描き、しかも未完のままである幻のマスター・ピースThe Sleep of Arthur in Avalonがこの1年間限定でプエルトリコから帰国展示されていたからです。バーンージョーンズは、この作品を死ぬ間際迄描き続け、特に晩年にはこの絵から片時も離れたがらなかったのだとか。女性達が持つ楽器の弦等がまだ描き込まれないままですが、壁一面を塞ぐ程の大作で、まさにマスター・ピースでした。

バーンージョーンズ