足の上で丸まって眠るはち

 

 

どうやったらこんなにコンパクトに収まるのか???

 

本トはこんなにでかいんですが・・・

 

 

くまは足の上で寝てるコトもありますが

たいていはキャットタワーです

 

 

あ、おはよう^^

 

 

こんな不安定なトコロで

よく寝られるな~と感心しますが

恐らく地べたより高いトコロの方が安全だって

本能的にわかってて

安心感はあるんでしょうね

 

ねこミケちゃんねこミケちゃんねこミケちゃん

 

美人は得でブスなら損

人生はそんなに単純なモノではナイが
金持ちと貧乏人ならば
金持ちにヨユーがあるのは間違いナイだろう

貧乏してる
てのは、生活についての心配がいつもあり
また生活以外の何かをしようとすると
まずお金はもちろん無いのだが
だからこそ生活費のために
働いてるのが常なので
時間も無かったりするのだ

まずそうした生活に窮してる女が
生涯の伴侶となる男として
稼ぎもナイのに金がかかる男を選ぶのは
物理的に無理だし
自身の生活や家族の生活のためには
恋愛感情より損得勘定が先立って
受身にならざるを得ナイ

それならば受身にならずに済む金持ちで
しかも女としての恵まれた容姿を持ち得てたら
理想的な男と結婚できて
幸せになれる確約となり得るのかと言えば
そんなコトもナイ

☆・・・☆・・・☆

モーパッサンの『女の一生』では
主人公の貴族の子女ジャンヌが
生活に困るようなコトがナイ家に生まれて
清く正しく美しく育ったばっかりに
金汚く女癖の悪い男の犠牲者となってしまう



恵まれた女だったはずのジャンヌは
修道院育ちで男を見る目がなく
そこにあざとくつけいった男との結婚によって
不幸に身をやつしてくのだが
どんな情況に陥ってもただ嘆くばかりで
自らは解決策を企てようともせず
次々と襲ってくる不幸を
ひたすら享受し続けるるる~

端から見て
どんなに恵まれて生まれた女だって
当人がそれに気づかなければ
やはり受身でしかなかったりするのだ

そして財産は使えば無くなるし
美貌も年月に晒されるだけで色褪せてしまう

それでもずっと働きもせず
家事一つさえもせず
またそれを当然と受け止めてるジャンヌは
それでも自分などからしたら
確かに恵まれてる環境とは思えるが
別段、羨ましくもナイ

☆・・・☆・・・☆

一方
トマス・ハーディの『遥か群衆を離れて』の
主人公の農場主の美女バスシェバは
元はそこそこ貧しく
近隣の農場の手伝いなどしてたが
その秀でた美貌ゆえの誇り高さがあったので
そこそこの金持ち男の当たり障りのナイ求婚に対して
「あなたを愛してません!」
なんて、一喝して断れるような女だった



その後、遺産相続によって
引き継いだ農場経営に成功して
若くして金持ちになったバスシェバは
更に男に対して受身ではいられなくなってしまう

そうしてずっとバスシェバの周囲には
魅力的な゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男(悪い男?)がおらず
何のときめきも抱けずにいたのだが・・・

ところが突如として現れたのが
バスシェバが不慣れなタイプの男!



それはハンサムで洒落者の軍人だったが
とうとうバスシェバは陥落される

結婚した時までは有頂天だったバスシェバだが
夫の生活態度に翻弄され
特に放浪癖と浮気に悩まされるようになる

 

☆・・・☆・・・☆

これらジャンヌとバスシェバの
恵まれてた女だったのに
結婚によって人生が破綻する物語は
一見すると酷似してるのだが
根幹が決定的に違ってる

ジャンヌは夫に対して
「幸せにしてくれるはず」と期待して結婚したが
その期待が裏切られる度に失望してるだけで
最初から最期まで夫に対して愛情の欠片もナイのだ

だから浮気をされても
夫の不実さ以上に腹立たしいのは
浮気相手が身分が低いから見下してた女中で
彼女に見くびられたコトに対してなのだ

つまりジャンヌは自分自身だけを愛してて
社会的には夫に裏切られた妻だが
実質的には夫を愛してもいなかったので
夫の裏切りについてはワリとスルーで
女中に裏切られたコトの方が
苦々しく思ってる節がある

それに比べてバスシェバは
浮気相手の女の墓に花を添えられるほどに
夫の総てを赦し
最期まで情熱的に愛し
欲し続けた

結果的に
夫に顧みられるコトは叶わなかったので
さぞや辛かったろうと思う反面
実際、幸せだったとも思えてしまうのは
だってそこには希望があるから!

名義上だけでも夫であれば
公的に愛する権利があるのだから
溢れる愛を我慢しなくても゚+.(・∀・)゚+.゚イイし
そうして愛し続ければ
いつか相手も愛してくれるコトがあるかもしれナイ
いや、ナイかもしれナイし
その可能性の方が高いのは承知の上で
でもずっと待ってても゚+.(・∀・)゚+.゚イイのだ

愛される、まで行かずとも
拒絶さえされなければほっとするし
目が合えば嬉しいし
唇を合わせれば至上の喜びで
肌を合わせたら・・・ヽ(´▽`)/
その時、赦せナイような一体何が
愛しい相手にあるのか?

無いっつp(-_-+)q

キリスト教では人の罪を神が贖うために
「赦しの秘蹟」なる儀式があるが
恋人同士が肌を合わすのは
愛する相手を「赦す」儀式でもあると思われ
そしてお互いに「赦し」合ってる状態が
きっと相思相愛なのだろう

それにしても愛されてる側の人間てのは
それだけでは不幸ではナイかもだが
愛する側の人間ほどには
実は幸せではナイような気がするのだ。(´д`;)ギャボ

極論を言えば
一方的に愛されてる側の人間てのは
相手を受け入れるか拒むかだけで
恋愛の境地には至れナイのかも。(゚д゚lll)ギャボ

とりあえず恋愛には
美貌も財産も決して有利には働かナイのは
間違いなかろうヽ(゚∀。)ノ