猫に邪魔されナイように

コンパクトに編み物をするために

こんなのを買ってみました

 

 

でもこのイラストにあるように付けてしまうと

編んでる時にはウザいので

色々試して、こう付けるのに落ち着きました

 

 

実際に使ってみて

フツーの糸は問題なかったんですが

自分が好んで使うような変わった糸ですと

これがなかなか綺麗に切れず・・・

 

 

結局、ハサミの出番になったりしますが

フツーの糸でモバイル編み(※)するのには

優れたグッズではあります^^

持ち歩いて公園や喫茶店などで編むコト

 

ちなみにペンダントタイプのもありましたが
これだとチェーンに通して首にかけても
どちらでも好さそうだと思ってこちらにしました

 

 

さて

トルストイは『モーパッサン論』において
モーパッサンのある部分を絶賛して
ある部分に対して残念がってます

モーパッサンの『女の一生』では
善良な女が不埒な夫と放蕩息子に悩まされますが
トルストイの解釈ではこの女が
『旧約聖書』の「ヨブ記」に譬えられてるのです

 



道徳的な女が不道徳な男に踏み躙られる不幸と
その不幸が誰にも理解されナイのを
深く感動的に描いてると絶賛し
次いで書かれた『ベラミ』と以降の長編に対しては
同じように美しい純潔な魂と社会の堕落との衝突が描かれてても
作者は不道徳な登場人物の方にこそ肩入れしてるようだし
濡れ場における詳細な描写が芸術性を損なってる

として残念がってます

 



モーパッサンがなぜ
トルストイにとって残念な長編を書いてしまうのかは
以下の言にあるように
トルストイも根本的にわかってはいます

モーパッサンが出入りしていたサークルで、芸術が奉仕すべき美として昔も今も認められているのは、何よりもまず女、若い、美しい、しかも多くは裸体の女、それからその女との性的な交渉である。そう認めてきた人々の中には、単にモーパッサンの≪芸術≫上のすべての仲間、つまりが画家や彫刻家や小説家や詩人ばかりではなく、若い世代の教師たる哲学者もふくまれている。

しかし理解するコトと納得するコトは別なので
エルネスト・ルナンの『マルクス・アウレリウスについて』から
以下の言葉を批判的に引用してくるのです

キリスト教の欠陥はここにはっきりあらわれている。つまりキリスト教はもっぱら道徳的でありすぎるのだ。美は完全にしめ出されている。ところが、円満具足の哲学の眼からみると、美はうわべだけの長所、危険なもの、不都合なものであるどころではない。それは徳と同じく、神のたまものなのだ、美には徳に匹敵する価値がある。美しい女は天才や、徳の高い女と全く同じように、神の意図の一面、神の目的のひとつをあらわしている。美しい女はそのことを知っているからこそ、おのずと気位が高くなるのだ。美しい女は自分が体内に持っている無限の宝を本能的に感知する。(後略)

上記では略しましたが
この後もトルストイはルナンの美女讃歌を延々と引用して
「宝石を身に付けたり、化粧をしたり、髪型や服装に凝ったり、
女がその美しさを際立たせるようとするのは正しい行い」
と言った内容について
次のような皮肉な解釈を入れてくるんです。(゚д゚lll)ギャボ

してみれば、この若い世代の指導者{ルナン}の考えでは、ようやく、現代にいたって、パリの裁縫師や理髪師がキリスト教の犯したあやまちをただし、美のために本来の、そして最高の地位を回復してやった、という訳である

有史以来、人類は
生物としての本能が蔑ろにされた不自然な生活を強いられてて
特定の時代や地域社会でしか通じナイような
独特の価値観が存在してますが
それらはいずれも誰かが勝手に作った観念でしかなく
バックグラウンドを異にする者が
正しいか誤りかを論じるのは意味がナイモノとなってます

キリスト教が華美な女性を疎んじてるのに対して
美の表現者である芸術家や美徳の体現者である哲学者が
反感を持論で展開するのまでは構いませんが
トルストイの反論はそれを曲解してて
ましてや職人(=技能労働者)をバカにしたモノとなってて
所詮ドシア人(※)の僻みと
世の中を舐めた資産家の言い草でしかありません
お洒落なパリに憧れるド田舎者の無粋なロシア人、の略w

 

なので、どちらかと言えば
モーパッサンや同じサロンに集う人々に賛成ですが
今現在の姥(年老いた女)の自分にとっては
トルストイの見解もありに思えます

これはモーパッサンもトルストイも見落としてますが
再度、肝心な部分を引用すると

何よりもまず女、若い、美しい、しかも多くは裸体の女、それからその女との性的な交渉である。

まず生物学的見地からすれば
この主張は全く持って正しいです
生物は子孫を残すために生殖を行う必要があり
その際にはお互いに優先順位が同等でナイ性を選ばなくてはならず
またできるだけ若く(=体力があり)
そして美しい(=整ってる)相手を求めるのは
分子生物学(※)からしても正しいのです

生物をDNA単位から考察する学問

但し、人間以外の生物の場合は
性の優先順位(正確にはミトコンドリアの優位性)が高い雌に
雄を選ぶ権利があるので
雄の方こそが若さと美しさで雌に選別されるべきなんです
しかし、人間社会は変わってて
雄に若さと美しさがあるだけでは選ばれません
雌は子供を育てる環境についても考慮する必要があって
そこで若さと美しさで多少劣ってても
社会的に優位な雄を選んだりもするのです

また雄が自身を選んでもらおうと
アプローチをかける雌としてターゲットにするのも
つまり、ヒトの場合で言えば
若く美しい女にばかり男が群れをなすのも
自然の成り行きでしかありません
でも仮に、若くも美しくもナイ女しかいなければ
雄は躊躇するコトなく
そんな女にでも選んでもらおうとします

性衝動を何とかしてくれるのであれば
何でも構わナイ、てのが雄の(種蒔き)本能なので
若さと美しさで勝ると思える順に
手当たり次第に攻略を試みて
選んでもらえたらラッキーてなモノなんです

とはいえ、若さの判別は簡単ですが
美醜の基準は曖昧なんですよね
それに若いけど美しくはナイ女と若くはナイが美しい女では
どちらを選ぶべきかは微妙なトコロです
生物学的には前者をオススメします
妊娠の確率が高く
子育てをするのに十分な体力がある方が無難ですからね
でも後者も妊娠可能な限り間違ってはいません

そもそも女が若さと美しさを誇っていられるのは
本来なら僅か10年程ですから
アンチエイジングとやらで
いくら見た目だけ若作りして誤魔化したって
社会的には欺けるかもしれませんが
生物学的には無理です笑い泣き

 

それなら若くも美しくもナイ女は

男に愛されようもナイのかと思うのは早計で

社会的、生物学的な愛し方以外にも

哲学的とか、もっと素朴な情によるとか

あるいはスピリチュアル(霊的)なんて愛し方もあります

 

社会的や生物学的は

むしろ条件に適えば誰でもいんですが

それ以外の愛を育むのは
男と女・・・とある男ととある女でなくて

個対個なんだと思うワケですよ真顔

 

社会的かつ生物学的に条件が適って

お互いに合意した結婚だとしても

持続させるには条件を保ち続けるのでなく

他の要素で愛を育んでいかなければ

条件が変わったら破綻してしまい
離婚に至るのが簡単な脆さなんです滝汗

 

その脆さに気付かナイ状態を

若いとか青いって言うんですがねw