飯テロ・・・飯ではナイですね
和菓子です
栗羊羹と焼き栗鹿の子 by 宝来屋
秋の味覚ですね~^^
なんて思ってましたが
今日の寒さは冬並じゃありませんか![]()
しかも雨・・・![]()
でも買ったばかりのこれが役に立ちました^^
暖かい![]()
雨も弾く![]()
これはこの冬に向けて大活躍しそう![]()
バッグも雨が沁み込まなくていんじゃん![]()
そして早過ぎる気もしましたが
今年の1月に編んだこのスヌードもしてみました
紺と灰色と白で配色も合ってましたね
まるで予想して編んでたかのようにぴったりでした![]()
さて
ロシアの3大文豪の中で
自分とは1番ソリが合わなくて
だからこそ読後は突っ込みドコロ満載なのが
レフ・トルストイだったりします
トルストイの2大長編
『戦争と平和』と『アンナ・カレーニナ』は
還暦まで生き延びたら
寝食を忘れて再読してみたいですね
そう言えば、『戦争と平和』は
1956年に映画化された
オードリー・ヘプバーンのを何度か観てますが・・・
BBCのドラマの
リリー・ジェームズの方は未見なんですよね
廉価版が出たら買う予定です!
最近、BBCのドラマをよく観てますが
どれも緻密な作りで凄くいんですよね~!!
長編を読むのは数ヵ月がかりで大変ですが
映画やドラマならせいぜい数日ですし
何かしながらでも観れますから
原作に忠実な作りだとありがたいですね
『アンナ・カレーニナ』はテレビでやってて
ぬこきっつぁんと観てましたが・・・
これはむしろ小説で読むより
アンナ・カレーニナの心情がわかり易かったです
予備知識なく観たぬこきっつぁんなんか
観ながら怒ってましたからね![]()
それにしても
トルストイの小説は長編に比して短編は
若い内に、しかも結婚する前に読んでれば
人生において再度読む必要もナイと思ってましたが
なんか今回、うっかり読んでしまいました
最初に『懺悔』を読んでたんですが
続けて『クロイツェル・ソナタ』を読みたくなって
読んでみたら相乗効果で愉しめましたね

トルストイとゆー人は
基本的に貴族出身でお坊ちゃんです
一般的にそういう人種は
若い時に働きもせず
親の金で公然と放蕩に耽り
身内に職を当てがってもらったら
親の決めた相手と結婚して
改心して身を固めたふりをしながら
やはり( *゚Д゚)つ[酒]と賭博と妻以外の女に耽り
懺悔のネタに尽きるコトがナイ日々を送るもの
てのが、トルストイの小説を読んでるとよくわかりますw
しかしこういう連中は
キリスト教の縛りがなかったら
まるで悪びれるコトがなく
懺悔だって、したトコロで形式だけのもので
余程の痛い目に遭ったりしナイ限り
内心、全く反省なんかしナイでしょうね
ところが稀に改悛してしまう者がいて
突如、自身の無意識の悪辣さを意識できてしまって
自分自身が許せなくなって
どうにも気持ちが収まりつかなければ
死に救いを求めたくなってしまったりします
そんな葛藤を描いたのが
トルストイの『懺悔』ですが
同じような主旨のルソーの『告白』にしても
自分はとても好きな作品です
いや、作品でなく実録だから興味深いんでしょうw

トルストイもルソーも
理想的な家庭だとか真の教育だとか述べてるワリに
自身は私生児がいたりします・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ
自分は頭がガチガチのキリスト教信者ではナイから
そこが人間らしいとか
むしろ愛らしいと思える部分なんですが
そういう風に受け止めてもらえナイのが世間だからこそ
この2人は自身の肉欲の不埒さに苦悩してしまうんですね
あ、アウグスティヌスなんかもそうですね
そうして自らの作品では
生殖行為の快楽を真っ向から否定して
その行為が諸悪の根源だと切々と説いてたりしますが
トルストイ作品の中でそれが最も顕著なのが
『クロイツェル・ソナタ』かもしれません
主人公がまさに貴族の放蕩息子で
美人を嫁にしてみたら
浮気されてしまい
妻を殺害してしまう
てのが、大まかなあらすじです
その浮気を確信するのが
妻がピアノで表題のソナタを
ヴァイオリニストと演奏するのを聴いてなのですが
それで改悛した男が過去を振り返りながら
行きずりの結婚前の若い男に
夫婦生活を全否定して
その無意味さを懇々と説くワケです
『懺悔』と続けて読んだら
『クロイツェル・ソナタ』の真意が
より、はっきりとしてきて
おかしい部分の理解が深まりましたが
自分は若い時に『クロイツェル・ソナタ』を読んで
「結婚生活には男は愛を求めナイモノなのだ」
と確信してしまったからこそ
1度、結婚に失敗しました![]()
まあそんな確信を齎したのは
トルストイだけではありませんがね![]()
今、その失敗した相手とやり直してるのは
確信が間違った思い込みだと考え直したからでなく
「結婚生活には男は愛を求めナイモノなのだ」
「そんなモノね、( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \」
そう切り返せる程に歳をとったからでしょうかね![]()
で、この曲が「クロイツェル・ソナタ」です
表題が曲名なのには一義あって
音楽とは何か、てのも命題なんですが
そこは読んでみてのお楽しみで♪
実は殺された奥さんは
殺した夫によって語られてるだけなので
妻の心理描写は一切、読者には明かされてません
なので、夫の抱いてるイメージからすると
フローベールの『ボヴァリー夫人』を彷彿とさせますが
よりアーティスティックな感性に優れていそうです
そもそも愛は
相手の求めに応じてあげるモノでなく
自分から発するモノです
それを相手に
受け止めてもらえて喜んだり
イマイチ受け止めてもらえなくて悩んだり
もしくは全く空回りして悲しんだり
一喜一憂できるのが愛してるってコトなんですよ
相手の求めに応じてあげるモノと
勘違いしてる女が一喜一憂するのは
相手からの一方的な気遣いや金銭や物質面で
自身が満足してるかどうかであって
それは自己愛でしかありません
但し、相手に対して
過分な期待はせずとも信じてはいたいですよね
裏切られるのは辛いですからね
自分の場合は
洒落が相手に応じてもらえるか
そしてお互いにそれをどれほど愉快に思えるか
そこにはつい期待をしてしまいますし
絶対に裏切らナイ返しに
信じててよかったとほくそ笑むんですがw
トルストイに限らず
キリスト教圏では聖母マリアが
無原罪の象徴として崇められ
だからこそ、その子が神の子とするキリスト起源に
やられちゃってるんでしょうね
マリアと同じく未婚なのに身篭った女を
中傷する男ほど放蕩三昧だったりしますから
キリスト教の縛りがナイ人間からすると
滑稽としか言いようがありません
ヴォルテールなんかが非難したのは
その滑稽な不寛容さなんですよね
そしてトルストイはそこに気付いてしまっても
根本にキリスト教が染み付いてて
自虐に走るしかなくなったワケですが
そういう部分が顕わなのが
トルストイの醍醐味でもあります






