まずは飯テロから・・・

 

カップヌードルですが「松茸」ですってポーン

 

 

カップヌードルは糖質制限に反するので

普段は殆ど食べませんが

たまに出る変な味のを食べますw

 

 

リッチとか贅沢とか言われても

やっぱりカップヌードルなんですがwww

 

 

松茸の香りはしますが

味はチーズが濃厚過ぎて・・・

いや、マジで濃過ぎて汁が飲めませんでした><

 

チーズ味のはミルクやカレーの方が

断然美味しいと思いました^^;

 

さて
昨日の記事(リブログ元)の続きです

 

●ロシアの国文学

 

ロシアでは昨日の記事の流れとは別に
アレクサンドル・セルゲーヴィチ・プーシキンによって
国民文学が打ち立てられた

 

 

それまでのロシアにおいて
母国語でなくフランス語で書かれてた文芸は
要するに外国語を学べる階級に限定されてたのが
これで一般大衆のモノとなったワケだ

 

その背景にはデカプリスト(12月党)の乱があった
ナポレオン戦争に参加した青年貴族将校たちが
自国の後進性を痛感して
皇帝専制と農奴解放を求めて武装蜂起したモノで
そんな政権の不安定な中でこそ
精神的支柱となる作家が出現する

 

ゴーゴリ、レールモントフはプーシキンに続いた
以降ドフトエフスキー、トゥルゲーネフ、トルストイといった
写実主義作家たちが登場して世界的な文豪となった

 

プーシキンとその妻ナタリアを題材に
さいとうちほが『ブロンズの天使』なる漫画を描いてた

 

 

ナタリアは絶世の美女だったらしいが
プーシキンはその容貌からしてもそうだが
現代日本での知名度などを考えると
よく少女マンガにしてくれたものだと思う。・゚・(ノД`)・゚・。

 

もちろんあのモミアゲプーシキンのままでは
とても少女マンガにはならナイから
別人のような美男子に描かれてるるる~

 

 

しかし決闘で受けた傷で死んだとは知ってたが
こういうコトだったのか・・・。(゚д゚lll)ギャボ

 

ちょこっとだがゴーゴリとレールモントフも出てくるし
作品の一部も紹介されてて嬉しい♪

 

●Realism:写実主義

 

Realism:写実主義はロマン主義に代わって
資本主義の興隆期に登場した

 

時代の犠牲になった小市民を克明に描いたモノが多いが
サッカレーやディケンズなどイギリスの作家は
ユーモアやウィットを交えて諷刺的に表現したのに対して
フランスの作家であるスタンダールやバルザックは
人物を情熱に駆られた衝動的な行動に走らせ
差し迫る厳しい現実と真っ向勝負してるような傾向が見られる

 

 

好むと好まざるに拘らず
学生時代に誰もが1度は読破を試みた1冊であろう
スタンダールの『Le Rouge et le Noir:赤と黒』は
主人公ジュリアン・ソレルの心理描写を通して
貴族(軍服の赤に象徴される)と
僧侶(僧服の黒に象徴される)とゆー
特権階級への敵意と野心の葛藤を描きつつ
社会を痛切に批判して
近代小説の先駆けとなり

写実主義の最高傑作に挙げられる

 

 

しかし自分がスタンダールの魅力に打ちのめされたのは
『La Chartreuse de Parme:パルムの僧院』で
成り上がりのジュリアンとは正反対の主人公
お坊ちゃまファブリスの持つ危うさだった

 

てか、その正反対の2人を演じた俳優
ジェラール・フィリップに酔った・・・・・・ホゥ(*-∀-)
また『Armance:アルマンス』には
あの三島由紀夫も惹かれるほどの独特の魔力があり
これが処女小説だなんて
スタンダールも大概どうかしてるw

 

スタンダール以上にどうかしてるのはバルザックで
同じ人物があっちの作品、こっちの作品と出没し
しかもある作品には主人公で、ある作品にはチョイ役で現れ
思わぬトコロで作品に奥行きを齎し合う「人物再現法」を用いて
【人間喜劇】なる未完ながら約90篇に及ぶ
短編~長編小説群を書き上げてる

 

そんなバルザックがスタンダールの『パルムの僧院』を絶賛し
これに大感激したスタンダールは
ちょっとだけ指摘された部分に対して書き直そうと
芸術家らしからぬ素直さから一旦は推敲に取りかかる
実際には手直しは行われなかったが
その言い訳をバルザックへの手紙にしたためてる

 

 

バルザックの個人的なお気に入りは2編の性倒錯短編
『Sarrasine:サラジーヌ』と『Séraphita:セラフィタ』だが
スタンダールの『パルムの僧院』を絶賛してるコトや
【人間喜劇】の序文に登場する実在人物名などから察するに
自分と興味の対象が似通ってて好感が持てるため
基本的にどうも贔屓目である(*^^*)

 

 

●Naturalism:自然主義

 

写実主義を更に強調して
19世紀後半に台頭したのがNaturalism:自然主義で
フランスのゾラやモーパッサン
イギリスのハーディ、ノルウェーのイプセンなど
社会の矛盾を下層市民の目で直視して
そのままを客観的に表現してる

 

特におもしろいのは
地味なキャラクターながら破天荒な行動をする人物とかの
暴走してる様子が客観的に淡々と描かれてるトコロで
自然主義とゆーワリにとても不自然なのだ

 

ハーディなんかは一歩間違えば
ハーレクイン・ロマンスにありがちな恋愛になりそうだが
これが見事に逆を突いて
地道に愛を貫いても一向に報われなかったりw

 

 

モーパッサンには特に
物語の基本である「主人公は死なず」とか
そういう特権なんかなくて
主人公のハッピーエンドを期待して読み進めば
すっかり裏切られ
絶望感を噛み締めるコトになる

 

ギリシア悲劇はそうと知ってて読むし
悲劇的な演出に酔いながら
むしろ更なる悲劇を期待しながら結末を迎えるので
その救いの無さに納得が行くんだが
モーパッサンの『Une vie:女の一生』などは
ある“平凡な”救われナイ女の生涯が客観的に描かれてて
それはまるで

一切の装飾を取り払ってしまった、神の登場しナイギリシア悲劇

みたいなのだ

 

そして読み終えた時の脱力感に
何がここまでに至ったのか
思わず読み返したくなったりする

 

 

『脂肪の塊:Boule de suif』のような短編でさえ
1時間前に読み始めたのに読み返さずにはいられナイ
この読後の反芻が写実主義の魅力か?!

 

●Aestheticism:耽美主義

 

そして世紀末の社会不安と
世情懐疑の渦中のフランスにおいて
ボードレールの『悪の華』により開花したのが
耽美主義文学である

 

 

先述の総ての文学作品の主義の流れに逆らうか
あるいは無視するかのように
倫理的価値観を一切排除し
美を唯一無二の価値基準とした

 

『悪の華』は1857年に刊行された詩集で
ボードレールは当時36歳だったが
収められてるのは20代の作品が大半を占め
『悪魔の聖典』と異名を持つほどに憂愁に満ち
退廃的かつ官能的な表現が秀逸である

 

●Symbolism:象徴主義

 

ボードレールの表現形式は
伝統的な様式に囚われない象徴的なもので
Symbolism:サンボリスムに受け継がれ
マラルメやヴェルレーヌへ
そしてユイスマンス、ランボーや
ベルギーのメーテルリンクの『L'oiseau bleu:青い鳥』に至る

 

 

フランス語を解さナイので
あてずっぽうかもしれナイのだが
日本に於ける山頭火のように
わざと決まりの良い調子から外して
そのズレた感に新鮮なリズムを見い出してた???

 

フランス語を勉強したかったのは
このサンボリスムを直感的に体感したかったからだが
ドイツ語を勉強したかったのも
サンボリスムの影響を受けたワーグナーの世界観を
そのまま味わいたかったからだ

 

◆Oscar Wilde:オスカー・ワイルド

 

耽美主義の最高峰作家(詩人)が
ワイルドであると断言しても異論はナイだろう

 

アイルランドのダブリン生まれで
ロンドンからパリに移り住んで
芸術のための芸術を主張
『ドリアン・グレイの肖像:The Picture of Dorian Gray』
『サロメ:Salome』などのかなり際どい作品と共に
『幸福な王子:The Happy Prince』など
童話(・・・にしては十分際どい物語)も手掛けてる

 

『ドリアン・グレイの肖像』は
主人公の美貌の青年ドリアン・グレイの
変わらぬ耽美な日々を描き出した

 

 

そして『サロメ』は
『新約聖書』の記述から
インスピレーションを得て書かれた戯曲だが
洗礼者ヨハネ(作中ではヨカナーン)と王女サロメの
壮絶な恋愛(?)悲劇で
ヨハネの生首にキスするサロメは
オーブリー・ビアズリーに妖しく描かれた

 

 

自分の示唆するトコロの耽美主義は
単に文学運動の一派に非ず
耽美派作家ワイルドの彼岸の芸術論の
唯美主義なんである

芸術は美そのものによって存在し
他の何かのために役立つものではない

by Oscar Wilde

有用であるかナイかに拘らず
美は存在し
それを芸術と言い換えられるが
芸術は芸術として成り立ってなければ何の価値もナイ

 

つまり美徳などとゆー言葉に含まれた美ほど
不埒な美は他にありえナイんである