甘えの構造


「どうしてできないの!!」

女性の金切り声にキョーコはビクっと身をすくませた。

「お母さん、ごめんなさい。今度はがんばるから。」
半泣きの、小学生くらいだろうか、か細い女の子の声が続く。



撮影の合間、蓮と休憩所にいた時のことだった。

隣のスタジオで撮っている別のドラマか映画の子役らしい。
芝居がうまくできなくて、付き添いの母親に厳しく咎められているようだった。


----ああ。
叱られたのは自分じゃなかったと、知らずに身構えてしまっていた体から力が抜ける。


自分も小さい頃から母によくああして叱られていた。
自分の努力がたりなかったせいか、期待に応えられず、母を失望させた。
いつしか普通に話しかけることさえ疎んじられているようで、とうとう接し方がわからなくなってしまった。

自分の思考に陥っていたキョーコの耳に、その声はふっと入ってきた。



「大丈夫。あなたならできるから。よく考えて演ってごらん。」
見ると、先ほど怒鳴っていた母親が娘をしっかりと抱きしめ、魔法の言葉をささやいている。
娘は涙の跡の残る顔で、うんうんとうなずきながら、母親に甘えている。



その光景に、先ほどよりも強く衝撃を受ける。

――私はあんな風に抱きしめられ励まされたことはなかった。

絶望的な気分になって、目をそらすようにうつむいた。


カインである蓮は、そんなキョーコをずっと見つめていた。
キョーコは一言も発することはなかったが、雪花ではありえない表情の変化と、子供の頃のキョーコとの思い出から、ほぼ正確にキョーコの心の動きを読みとっていた。



黙ったまま頭を撫でてやると、キョーコがはっとして顔をあげる。いつの間にか雪花が抜けていたと、気付いてうろたえるキョーコに柔らかく微笑んで、そのまま頭を撫で続ける。
やっと雪花の表情にもどったキョーコが甘えるように蓮に身を寄せた。


「兄さん、大好き。」
ささやかれた雪花らしい言葉に、一瞬蓮の手が止まる。



――抱きしめたい。

周りに誰もいなければ、包み込むようにこの腕に閉じこめて、好きなだけ甘えさせてやりたい。



「兄さん? もうスタジオに戻らないと。」
雪花であるキョーコはあっさりと立ち上がった。もう先ほどの不安定な表情はうかがえない。
蓮も立ち上がると、並んでスタジオを目指す。



「帰りに何かセツの欲しいものを買っていこう。」
「・・・ありがと、兄さん。大好き。」



キョーコの嬉しそうな笑顔に、蓮は純粋に思った。
この仕事の間だけでも、かりそめの姿ではあるけれど、キョーコの唯一の家族でありたい。
無条件の愛情を与えられる喜びを味わってもらいたい。



――いつかは「兄さん」じゃなくて、「俺」に向けて「大好き」って言わせたいんだけど。
それまでは、キョーコの傍にいて親しい先輩という立場ででも寄り添っていけたら・・・。



スタジオの扉を開ける瞬間、ゆるんだ頬を引き締めて蓮はすっとカインの顔に戻った。
そのため、半歩下がって付いてきていたキョーコにも他の誰にも、カインの極上の甘い笑みは見られることはなかった。

☆☆☆☆☆

タイトルに困って、こんな感じに。

長男が心理学部に入る時の必読書だったなあ。

私は読んでないけど。