40年後に何を思う・・・
ちょっとした野暮用のため、
昨日の夜、ノルマンディの実家に顔を出した。
ディナーの最中、私のブログの話になったのだが、
パスカルが、「うちは、全然物を捨てない・・・ って話題を書いてた。」と言えば、
ママが笑いながら、「じゃぁ、ローズ、これを見せてあげるわ。」と持ってきたものに、
この家のあっぱれさを感じたわけで・・・。
結婚をする前の約8か月間、パスカルとは遠距離恋愛だった。
その間のパスカルの楽しみといえば、
月に1回ほど、私から送られてくるお菓子セットという名の小包。
ポッキーが大好きなパスカルのために、
新製品が出ては、ポッキーをフランスに送っていた。
おそらく50以上のポッキーたちが、パスカル家の人々の胃に収まっただろう。
これは当時送ってあげたうちの一部
で、本題に戻るのだが、
「ローズに見せてあげるわ。」とママが隣の部屋から持ってきたものたち・・・。
そう、食べ終わったポッキーたちの箱たち!!
以下、ママの一言。
これは、日本⇔フランスで離れ離れだったときの思い出たちでしょ。
40年経って、おじいちゃん・おばあちゃんになったとき、
「あのときは離れていて淋しかったけど、今は一緒で嬉しいね。」って
当時のことを思い出せたら素敵じゃない。
パスカルを想って、わざわざローズが送ってくれたものたちを、
食べ終わったからといって捨てたりなんかしないわ。
いやぁ、その気持ちは嬉しいですが、これだけで終わりませんから。
この家の人々・・・、箱だけじゃございませぬ。
食べ終わった内部の袋まで、
私たちの思い出のためにとっておいて下さっております。
あっぱれ
ピザと私のストーリー
昨日の夜は、久々に手作りピザを食す。
手作りピザには、いろいろな思い出がある。
初めて作ってくれたのが、ワーホリ滞在中の2007年9月。 (関連記事はこちら)
このときは、いわゆる恋愛期の絶頂で、すべてが楽しかった。
ピザを自分で作っちゃうことに、えらく感心をしたのを覚えている。
そして、2回目は、2008年3月。
ワーホリからの帰国直前。ノルマンディでの最後の晩餐がピザだった。
当分パスカルの手料理が食べられないなぁ・・・とちょっとセンチな気分だった。
そして、3回目は、2008年11月。結婚式の3日前。
母と、結婚の保証人になってくれた寛子 、そしてパスカルと一緒に・・・。
独身最後のピザである。
シーフード、トマト&オリーブ、4種のチーズ、マルゲリータの4つの味を楽しんだ。
そして、4回目の昨日。
恋愛期 ~ 遠距離手前 ~ 結婚3日前 ・・・という歴史を経て、
人妻になってからの初めてのピザ。
まずは、チーズをたんまり。
・・・とはいえ、その内容はとってもしょぼしょぼ。
なにせ、6月のエンゲル係数が異常に高かったため、現在、食費の調整中。
冷蔵庫に残っていたチーズとトマト1個とズッキーニ only の貧相なピザ。
ズッキーニが案外当たりだった。
コレステロールがいっぱいです。
だけど、今は、パスカルが隣にいてくれるから、
具的にはちょっとさみしくても、楽しく嬉しく美味しく食べられる。
な~~んてね。
なんにせよ、コレステロールには要注意です。(笑)
補助席の特権
パリでは、メトロ構内や列車内にて、
アコーディオンやギターを演奏してお金をもらっているミュージシャンをよく目にする。
RATP : パリ地下鉄公団では、
定期的に、ミュージシャンたちを募集していて、そのキャスティングに合格すると、
ある一定期間、メトロ構内での演奏を許可されるようになるのだ。
演奏することでのチップ、そしてCDを売ることで収入を得ている
しかし、認められているのは、地下鉄構内だけであり、
許可書があっても、列車の中での演奏は「違法」にあたるらしいのだが、
許可書を持たずして、且つ列車内で演奏をする人は多々いるわけで・・・。
そこで、サックスの演奏が始まれば、音量がうるさくて耳が痛くなるし、
そこで、私を見つめながらギターなんぞ演奏されれば、非常にこそばゆいし、
そこで、アカペラで歌いだされても、どこを見ていいかわからなくなる。
ついでに、上から目線で、
ミュージシャンに注文できることがあるとするなら、
アコーディオンの音質から、短調的な曲が ”いい感じ” とはいえ、
朝から、哀愁漂う曲を演奏されると、なんだか気分がどんより・・・。
観光客にはウケがいいかもしれないが、在住者の希望としては、
朝ぐらいはせめて、明るい曲を演奏してほしいと願う。
それはともかく、先日、またもや補助席に座っていたら、
あるおじさんが乗り込んできて、手すりにカーテンを引き始める。
何が始まるかと思いきや・・・、
人形劇みたいのが始まった。
この続きは、こちらでどうぞ。
今日ばかりは、補助席に座った特権だ。