こんにちは。
ロザフィ、フラージュ作家のtomoです。


はぁ、昨日は暑かったチーン
そんな中一時帰国のお土産を買いにフラフラと。
あんなに暑かったのに1万歩以上歩いた〜。




娘が国際部を卒業し、私の中で
今までの言語学習について、
色々と振り返りました。
誰も興味はないかと思いますが、
自分の記録用として残しておこうと思います。
興味ない方はスルーしてください。

⭐️ここまでのお話⭐️


*前提として、あくまでも自分の記録用
なので、何が良い、何が悪い、ということを
言いたいのでも、どこかの教育論や
言語学習に関する色々なことについて
良い悪いを言いたいのでもありません。
ご意見は真摯に受け止めるつもりでは
いますが、批判や心ない攻撃はおやめください。
また、プライバシーの観点から詳細省く部分も
出てきます。多少分かりづらい点もあるかも
しれませんが、ご了承ください。納得頂ける方のみ
お読みください。


犬しっぽ犬からだ犬からだ犬からだ犬からだ犬からだ犬からだ犬からだ犬からだ犬からだ犬からだ犬からだ犬あたま

子どもの言語学習を語る上で避けては通れない、
私自身の言語背景について綴っております。


父の仕事で小学5年生で渡米、
1年が経った夏に4週間のサマーキャンプへ。
ちなみに、6年生から7年生になる時の夏休みにも
4週間のサマーキャンプに行っています。
毎年来る子もいるので、前回のお友達との再会もあり、
新しいお友達も出来たし、救命講習も上級へ。
やりたいこといっぱいやって、超絶楽しかったウインク


少し英語が上達し、一生ものの友達、
自分の意見を主張することを学びました。


夏休みが終わり、6年生に進級。
クラス替えもあり、先生も変わりました。

仲の良いお友達も、アメリカ人の子や
ラテン系の子、随分増えました。
お友達のお家に遊びに行ったり、
遊びに来たり、楽しく過ごしました。


勉強も難しくなって来ていましたが、
どうにかこうにかついて行きました。
リサーチしたものをレポートにしたり、
グループ学習なども多く、その中で
クラスメイトと役割分担をしたり、
力を合わせたりすることを学びました。

小テストはお友達とテスト用紙を交換して
採点し合ったり、相互学習なども
多かったです。

この時の言語学習は、引き続き
毎日の取り出しESL授業。
そして、学校の授業とお友達との
コミュニケーション。


6年生、ここまでの自分の自伝を書く、
という英語(現地でいうところの国語)の
課題がありました。
私が書いたMy Brown Dictionaryという
文章が、先生にとても褒められました。

当時私が使っていた茶色い表紙の辞書、
その辞書の立場になって書いた文でした。
「私はtomoの茶色い辞書。毎日カバンの中に入って
一緒に学校へ行きます」的な感じの。


当時は7年生からが中学だったので、
6年生を卒業してから同じ学区の中学へ。
地域の3つの小学校が1つの中学に
集まります。当然知らない子もたくさん。
新しいお友達もたくさん出来ました。

外国人ということで、中学でのESLが
必要かどうか、試験を受けさせられましたが
必要ないということになりESLは卒業。
その他、数学や理科はhonors classという
レベル高めのクラスに配置されました。
honorsに入ったからといって、所詮
渡米3年目の英語力、数学は良いにしても
理科は難しくてチーン大変でした…


中学での言語学習は、学校の授業のみです。

とにかく、リサーチ学習やプロジェクトが
多いアメリカの学校。7年生の時は
数人グループで「国を作る」。
8年生の時はテーマを決めてリサーチ。
私は「LD(学習障害)について」。
LDのサポート団体などに電話をして、
資料などを送って頂いたりしました。

また中学では第2言語学習が始まります。
外国人にとっては第3言語ですが。
私の学校では、フランス語、ドイツ語、
ラテン語、スペイン語、だったかな。
私はフランス語を選び、2年ほど
勉強しました。


所詮、中学生程度なのでそこまで
ハイレベルな英語が出来たわけでは
ありませんが、当時学校生活を始め
現地での買い物や病院での説明などは
特に問題なく過ごすことが出来ました。


そして、父の辞令により、
4年弱過ごしたアメリカから日本へ
本帰国することとなりました。



ここまでのことで、
在米4年弱、現地校出身、
言語学習は最初2年弱のESLと
学校の授業のみ、学校の授業や宿題などは
真面目に取り組む、日本人とはあまり
行動せず現地人との交流を大切にする、
という結果として、中学2年終了時点で
現地の学生とほぼ同程度のレベルで
英語が使えるようになりました。
成績もどちらかといえば良い方でした。


小学5年生から中学2年の終わりまで、
まだ様々なことを吸収しやすい時期、
比較的良い時期に米国生活を送ることが
出来たかな、と思っています。


長いのでここからは端折りますが…
中3で本帰国、公立中学に編入。
比較的英語が強めの私立高校受験で入学、
そのまま附属の大学の英米文学科へ。
専門は英語教育、教員免許取得。
卒業後は英語科教員として英語に関わりました。
現在は旦那さんの中国駐在に帯同中、
英語からは離れ、中国語をほどほどに勉強中です。


次回はまとめ、その先は「帰国子女」であること、
それに関わるあれこれと共に、本題である
うちの子たちの言語学習について書く予定。