情緒が乱れているブログ | 一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

反復性うつ病と診断されていただーさん。
闘病5年の末、2017年9月突然私を残し逝ってしまいました。

《一緒に歩いていこう》

これはだーさんと私の闘病ブログのタイトルでした。
今はだーさんの死と自分の生に向き合うブログです。


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こんばんは。

この度の豪雨被害にあわれた方々にお見舞い申し上げます。

昨日まで、3日前まで、1週間前まで、普段と変わりなく過ごしてきた人が突然いなくなってしまう悲しさ、淋しさ、苦しみ、後悔。
それは、どんな別れであっても違いはないのだろうと思います。

境界線が曖昧になってしまうと様々な感情が吹き出てしまうので線引きをするようにしていますが、それはそれで何だか薄情な気もします。

客観的に冷静に、1歩退いて受け入れる術を身に付けることは、自分を壊さないために必要な事。

寄り添う事と共依存を履き違えていた頃の自分と比べたら進歩ですが、思考のクセの矯正というか、上手なコントロールというのは難しいものですね。

若い頃の自分はなんやかんやあっても乗り越えてきた生き方上手だと思っていたのだけど、実は不器用なヤツなのかも知れません。

う~ん、ていうより年を取ると保守的になってしまうのかなぁ。

あれ。
論点の着地点が見えなくなってしまいましたね。(^^;


気候の変動や暑さで体力が追い付かなくなり始めたお年頃?ですが、何とかやっています。

昨日は久々に引率係りだったので心身ともに疲労困憊。
1日じゃ疲れが取れません。
年は取りたくないものです。

しかし、もうすぐ怒濤の1ヶ月半がやってくる。
ドーピングしながらやるっきゃないですね。

守らなきゃいけないものもないのに、私は何でこんなしてまで生きているのだろう。
時々自分の事が分からなくなります。

なんとなく惰性で生きてるだけなんですけどね。

とっちらかしついでに最近思うことを。

生きてる人は、様々な事を脳の電気信号で通信しながら考えたり行動したりしてるわけで、脳の電気信号が停止するとそれはイコール肉体の死ですよね。

で、魂ってなんなんでしょう。
魂はあの世に行くってなんなんでしょう。

生きてる時から魂ってあるのでしょうか。
ならばその魂は何処にあるの?

肉体は魂の器ならば、残った骨はなんなんでしょう。

時々考えるんです。
だーさんの遺骨を見ながら。
遺骨には何が残されているのか、、はたまた残されていないのか。

何故人はお墓を作り骨を納め手を合わせるのでしょう。
魂があるなら骨に意味はないのでは。

私のお墓の前で泣かないで下さい
そこに私はいません
眠ってなんかいません

この歌詞の意味はどういう事なのだろう。

コレ、考え始めると眠れなくなるので困ります。(^^;

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