2016年の6月に訪ねたイラン、コーカサス、スタン系の旅を綴っています。こちらは以前書いたエピソードなのですが、この旅のここで起こったため、写真を追加し文章を見直して再掲です。
今日は、ジョージアの首都トビリシからお隣アルメニアへ移動です。本来なら飛行機で移動したいところでしたが、週に数本しかなくスケジュールに合いませんで仕方なくバス移動。
バスと言っても乗合バンです。マルシュートカといいます。これ旧ソ系はみなそう言うのでロシア語なんですかね?こちらは私の乗るマルシュートカとドライバーのおっちゃん。
出発時刻は決まっておらず、席が埋まったら出発する。つまり、席が埋まらないと出発しないのです。笑
タイミングよく最後の一人だとすぐ出ますが、誰も乗っていないと数時間待ちを覚悟しなくてはならないというすごいシステム。
トビリシからエレバンまでGoogle mapで見ると最短3時間半で行ける距離。
しかし、途中で拾う人を待ったり、
また、隣に座っていた兄さんが、あまりの道路の悪さに揺れでやられ、いきなり車の通路に吐きまして、掃除のためまた待ちます。ダンボール敷きます。笑
その他にもトイレ休憩、コーヒー休憩、
ガソリン休憩、食事休憩と、その度に数十分。まああ、とにかく進まない。笑
そんな折、今度は私が皆様を待たせる事態に。
みんなでマルシュートカを降りて、パスポートコントロールへ。私の乗るマルシュートカには、アルメニアンやジョージアン以外に、EUや南米からの観光客もいます。
ジョージアの出国スタンプを押してもらい、
橋を歩いて渡ります。
私だけ止められた。
「VISAは?」
アルメニアはアライバルVISAがもらえることを確認していたので、
「アライバルをお願いします」
と告げると、
「日本人はフリーじゃない。」「あっちの建物でVISA代を払ってきて。」
なんだ、アルメニアはフリーじゃないのか。
道路を隔てた向こう側に国境警察の建物がありました。この時は、まだ写真を撮る余裕があったんだなぁ。。
窓のあるところへ行くと、現地通貨でvisa代を請求されました。
私はアルメニア通貨もジョージア通貨も持ち合わせがなく、その旨を告げるとUS$でもOKとのこと。
パスポートを渡し、USドルの枚数を数えていたそのとき、、、
スタンプの多く押された私のパスポートをペラペラめくっていた国境警察が、あるものを見つけてしまった。
「アゼルバイジャンへは何しに行ったの?」
・・・・・
・・・
マズイ・・・これは非常にマズイ・・・
アゼルバイジャンとアルメニアは、一昨年のナゴルノ・カラバフ紛争にもあるとおり、長年の領土問題を抱えて非常に仲が悪いです。
アゼルバイジャンの入国スタンプはほんの数日前のもの。しかも当日に出国している。これホントマズイ。
そして私は促されて、その警察とともに別室へ。
あぁ、、マルシュートカのみんなが待ってるのに。。
尋問が始まります。
「アゼルバイジャンでは何をしましたか?」
「観光です。」
「アゼルバイジャンには何日、滞在しましたか?」
「一日です。」
「アゼルバイジャンではどこに泊まりましたか?」
「泊まっていません。日帰りです。」
↑
(怪しさ満載)
「そんな短時間で何をしてたの?」
「観光です。」
「アゼルバイジャンで誰と会いましたか?」
「友人はいないので、誰とも会っていません。」
「アゼルバイジャンではどこへ行ったの?」
「バクー。」
「他は?」
「バクーだけ。」
「バクーで何をしてたの?」
「(だから)観光です。(ってさっきから何度も言うとるやん!)」
「バクーで誰かに何かを渡されましたか?」
「いいえ」
「バクーで誰かと話しましたか?」
話したかって、、、道を聞いたり、レストランでワインのこと聞いたり、そりゃ誰かとは話すだろ。。
「はい。」
↑
言葉を交わしたすべての人を羅列。途中で遮られる。笑
「グルジアにはどれくらいいましたか?」
「40時間くらい。」
「観光なのに、何でどこもそんなに短い滞在?」
↑
(ますます怪しむポリス)
「日本は会社の休みが短いんです。」
↑
(そんなこと言っても理解されない。日本のサラリーマンにしか分からない。)
「アゼルバイジャンへはどうやって行きましたか?」
「飛行機で」
「誰かと一緒に?」
「いえ、一人です。」
「どこの国からアゼルバイジャンへ?」
「イランです。」
↑
(これまた怪しげに聞こえてしまう)
「イランでは何をしていたの?」
「観光です。」
「イランには何日いたの?」
「えーと、確か一週間くらい。。」
「数日前なのに、何日いたか覚えてないの?」
えーっと、シーラーズ3泊に、、マシェド、、は泊まってないのか、、エスファハーン、、、と数えていると、
「何でイランだけ、そんなに長く滞在?」
↑
(猜疑心max)
「行きたい都市が多かったので。」
「イランでは誰と一緒でしたか?」
「一人です。」
「イランで誰かと会いましたか?」
「知人はいません。」
「イランで誰かに何かを渡されましたか?」
「いいえ」
「アルメニアでは誰かと会う予定ですか?」
・・・・・
ふぅ、、もうこれ、キリがない。
このような不毛なやりとりが一体どれくらい続いたのだろう。
その間、マルシュートカで待ってる乗客たちのことが気になってしょうがなかった。
このアルメニアン・ポリスは最初から何か私のことを疑っている。
矢継ぎ早に飛ぶ質問に一つ一つ正直に応えるも、途切れることない問答は永遠に続くように思われ、
彼の質問は、私の返答を確認するというより、何か私がボロ(嘘)を出すのを待っているように感じられる。
私の返答に何か矛盾が生じたらこの人は動くかも知れない。旧ソ国の警察は容赦ない。スパイ容疑でもかけられた日には私、日本へ帰れない。
これ、、、もうアカン。
マルシュートカの人たちをこれ以上待たすわけにはいかない。。
アルメニア入国は諦めよう。。
トビリシへ戻ろう。。
そう決めて、
「あのー、、、」
彼の質問に応えず、その旨を伝えようとしたところ、
突然、マルシュートカのドライバーおっちゃん登場。
私があまりにも帰ってこないので、あちこち探し回ってくれてたらしい。
そして、おっちゃんがポリスに現地の言葉で怒鳴り気味に何か話し始め、両者で何か言い合いのような会話が続き、何を話してるんだろう?と思っていたら、なんと!
そのアルメニアン・ポリスは自席へ戻り、私のパスポートにアルメニアVISAのスタンプを押して返してくれたではないですか!
お、おっちゃん一体、何を進言してくれたの??
おっちゃんと一緒にボーダーを超えると、マルシュートカのみんなが外へ出て待ってくれていた。
みんな口々に、「大丈夫だった?」「VISAゲットよかったね」と言ってくれて私、ウルウル来ちゃいました。
たまたま同じマルシュートカに乗った、国籍も人種も目的も違う彼らは、散々待たせた(ここまでで一番待たせた)にも関わらず私を笑顔で迎えてくれたのです。
アルメニア入国を諦めかけていたこともあり、感極まってしまいました。こうやって書いてるだけでも、思い出してウルウルしてくる。
結局、私の見立てでどんなに遅くとも2PMにはホテルに到着するはずの予定は、6PM近くになっていましたけど、忘れられないバス旅になりました。