また先日、雑誌に載っていました。
藤島信雄さんです。
今では古豪・秋田/由利工業で私のOBになります。
(以下,Wikipedia引用)
高校時代は全くの無名選手であり、日本リーグ各チームからの勧誘もなかった。
その為、日本鋼管へは集団就職で入社したが、入社前にサッカーの指導で秋田県に来ていた日本サッカー協会のスタッフの目に留まり、急遽日本ユース代表候補に選抜されたというエピソードを持つ。それを聞いた日本鋼管側が、藤島が入社すると慌ててサッカー部に入部させたという。
ワールドカップ予選,オリンピック予選,アジアカップ等,1970年代の日本を代表する名MF。豊富な運動量で攻守の要として活躍した。日本鋼管、日本代表の双方で主将を務め、国際Aマッチ64試合に出場し、7得点を挙げた。
現役引退後は日本鋼管のコーチに就任。1999年からはYKK APサッカー部(のちにJ2 カターレ富山)の監督として、日本フットボールリーグ(JFL)昇格を果たした。
今は,青森山田中学を全国3位に導いた息子の藤島崇之さんと一緒に埼玉・昌平高校サッカー部に指導にあたっているそうです。
藤島信雄 監督とは、コバルトーレ女川に移籍してきた年の1シーズンしか一緒ではありませんでした。
個人的にあまりいい関係ではありませんでした。
それは自分自身、初めて監督にトレーニング中に楯突いたからです!
あれはポゼッションのトレーニングでした。
ジェフ・リザーブズから移籍する時、関東リーグの先輩からの誘いもありましたが環境を考えて女川に来ましたが、その日のトレーニングが終わって来週からでも移籍してやる‼なんて考えていました。笑
選手としては偉大な方ですが、
あの日のトレーニングで衝突した内容は今でも絶対譲らないです!
なんて雑誌を見て、3年前の事を思い出してました。笑
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