Dakhaquadi村の子どもたちと

Dakhaquadi村の子どもたちと

今もしあなたの手元に300万円あったら何に使いたいと思うだろうか?旅行したい?欲しいものを思いっきり買いたい?それとも貯めておきたい・・・?28歳の若き青年が、Room to Readに300万円を寄付し、ネパールに学校を建てた。窪田剛さん。
高校を卒業して大学へ進学し、休みを利用しては世界中を旅していた彼は、大学卒業後、ベンチャー企業へ就職し、現在は投資会社を経営・・・と聞くと、今ど きの“ありがちな順風満帆な青年像”が浮かんでくる。だが、窪田さんの教育へ対する想いの根底には特別なものがあるのだ。


村じゅうの人々が集まった

村じゅうの人々が集まった

快適な空間で勉強も楽しく

快適な空間で勉強も楽しく

寄贈プレート前で

寄贈プレート前で

窪田さんは9歳の時に交通事故で父親を亡くしている。母子家庭で育った彼は、自分が大学に行けるとは思っていなかった。女手ひとつで家族を養ってくれる母親の背中を見て育ち、「高校を卒業したら公務員になろう」と思っていたという。
だが、窪田さんの教育への門戸は閉ざされてはいなかった。母親が内緒で一生懸命貯めてくれていたお金と交通遺児基金のおかげで、大学に進学。在学中は社会学を専攻し、充実した学生生活を送った。休みを利用しては、ヨーロッパやアメリカ、アジアをバックパックひとつで旅した。カンボジアを訪れていた時に 9.11が起き、足止めを食らったことで、現地のある青年と出会った。働きながら独学で勉強しているという青年を通して、学校がない、教育を受ける機会が ないために、多くの才能が埋もれているという現実を目の当たりにした。かつての自分自身と青年が重なって見えた。「いつかここに学校を建てる」そう心に決めた。
大学卒業後、窪田さんはベンチャー企業に就職。営業から経理など一通りのことを経験した後にアメリカに渡った。帰国後、友人と投資関係の会社を設立したが、その間、学生の頃のカンボジアでの決心はいつも胸の中にあり、さまざまなNGOやNPOの団体を調べては説明会に足を運んだ。でも「何 か違うと感じていました」と窪田さんは話す。高層ビルの一室で豪勢に行われる説明会や、立派にしつらえられた資料は逆に窪田さんを不安にさせた。「ピンと来なかった。職員の方たちが自分たちのしていることをよく理解していないと感じることもありました」

2009年夏、窪田さんはハネムー ン先のハワイ島にいた。妻が以前たまたま見ていたテレビ番組で紹介されていたジョン・ウッドの本『マイクロソフトでは出会えなかった天職~僕はこうして社 会企業家になった』を読んだ。読み進めるうちに、「これだ!」とひらめいた。共感する箇所がいくつもあった。ハワイから戻ったある日の社内ミーティング で、「いつか途上国に学校を建てたい」と話すと、仲間から返ってきた言葉はシンプルなものだった。「今建てればいいじゃん」
途上国に学校を建て るため、今寄付をしたいと妻に意を決して打ち明けると彼女からはすんなりOKが出た。窪田さんの長年の夢と信念を心から理解していたのだ。そこから行動に 移すまでに時間はかからなかった。「20代で学校を建てる奴なんかそういない。だから、かっこいいなと思ったんです」と窪田さんは謙遜して笑う。

寄付先をRoom to Readに決定。その理由として「運営コストをできるだけ最小限に抑え、集められた資金の90%以上を途上国の子どもたちへの教育プログラムのために活用 しているところや、使途が透明であること」を挙げる。ボランティアのメンバーが全員無償で活動していることにも感銘を受けた。
そうして2010年春、ネパールに学校が完成した。同年10月に母と妻、そして仕事仲間とともに現地を訪れた。カトマンズからインドの国境、道なき道を10時間近くかけて 移動した末にたどり着いたのはピュータン地区のDakhaquadi村にある学校だった。壁が泥モルタルと石、床はむき出しの土、屋根はトタンであったた め、天候によって授業ができなくなることも日常茶飯事だった施設だ。
窪田さんが現地入りした日、村じゅうの人々が集まり、祭りのように盛大に、 温かく窪田さんを迎えてくれた。学校を建てるのはこれが最後じゃないからと、比較的冷静にとらえていたが、実際に自分の寄付で建った学校を見て心を打たれ た。「思ったより感動しました。でも、僕より先に母と妻に感涙されてしまったので、自分はあまり泣けなかったんですよ(笑)」

窪田さん の寄付で新しく甦った二階建ての学校には4つの教室があり、そのうち1つは図書室として使われている。風通しも良く、自然光が注ぎ込み、壁は漆喰でペンキ 塗りされている。この整備された環境で、子どもたちも先生たちも、天候を気にすることなく、勉強を楽しんでいる。
学校の寄贈プレートには窪田さんと並び、お母様の名前が刻まれている。惜しみない支援をしてくれた母。窪田さんの教育への深い想いの原点はここにある。

「人を笑顔にしたいという人は多い。でも、自分がまず笑顔じゃないと他人を笑顔にするなんてできないと思うんです。自分がまず安定していること、スキルが あることが大前提。自分にしっかりとした土台がなければ空回りしたり、口先だけになったり、“いいことやってる風な自分”に酔ってしまったり。だからこ そ、まずは自分がしっかりしないといけないと思っています」

「チャンスはすべての人に平等であってほしい。日本に生まれたからラッ キーで、他の国に生まれたがために教育を受ける機会が得られないなんてことはあってほしくない。そのベースラインを少しでも同じにしたい。」そんな願いを 込めて、「目の前のことに一生懸命注力しながら、この活動を一生かけて続けていきたい。たくさん無理することはできないけど、“ちょっと無理する”ならで きるから」と笑う。

「教育は、すべての大元になる。教育があれば、この世はもっとよくなる。教育があれば、病気、戦争といったこの世の問題も、解決へ向かうかもしれない。長い時間をかけて世代から世代へとつなげていくのが教育。100年生きられないから、自分がこの世を去った後に残る子 どもたちに、よりよい未来を託したい。これからを担う子どもたちひとりひとりの才能が自由に開いていくように光を当てる手助けになれば」と目を輝かせる。
遥かなあたたかい眼差しを持つ窪田さんの活動はこれからも続いていく。

(取材・文:濱田裕美)