ニコニコ 御心配おかけ致しました。

お陰様で体調は落ち着いています、お優しいコメントをありがとうございました。



GW明けのニュースで、銀座で白昼堂々と高級時計強奪事件が起こったと知り驚き、犯人が10代との報道で浅はかな行動に信じられない気持ちと、銀座でこんな事件が起こる時代なのだわと、時の流れを感じた。

「銀座」は私にとっては、11歳からの憧れであり、聖域だった。

そんな私の独り言ち 良ければお付き合い下さいグリーンハーツ


何年かぶりに見た虹🌈

前にも書きましたが、私が小学生の頃にTVで見た銀座のクラブのママの華やかさとサンローランのオレンジ色が鮮やかなワンピースを着こなす格好良さに、その方が居る銀座に憧れを持ちました。


大学受験に失敗して勤めた新大久保の会社が、銀座のデパートと取り引きがあり、仕事で伺う時は会社の制服でしたが、ピシッとしたスリーピースが流行り、グランメゾンでは男性は上着が無いとお食事が出来なかった時代です。

その上司からも「普段でも、銀座のデパートにはGパンやスニーカーを履いていかないほうがよい」と教わりました。

その上司、夜は銀座のクラブで飲んでいたらしく、「早く20歳になれよ、そうしたら銀座のクラブに連れて行ってやるからな」と私を可愛がってくれ、クラブ以外は私の知らない世界を教えてくれました。

だけど、私はその会社を1年で辞めてしまったので、上司にクラブに連れて行って貰う事はありませんでした。



今はCHANELのビルで有名な銀座三丁目のビル。

昔はカネボウ会館と呼ばれていて、2階にサンローランやクロエのセレクトショップ、下にはリプトンのティーサロンがあり開放感のある洒落たビルでした。

そのカネボウ会館の裏のビルにあった会社に、23歳から勤めました。

その頃、夜は並木通りにあった八丁目の小さなクラブでホステスさんのアルバイトを昼間の会社には内緒で始めました。

時は、渡辺淳一氏の小説が一世風靡をし、銀座のクラブで男女が出会う小説に出てくる、外堀通りに面した日航ホテルのバーでアフターをしたり、小説の女性がリクエストするお料理を同伴の時に真似るホステスさんも居て、私も初めて同伴をして頂いたお客様から、「ナンでも食べたい物を言ってくれていいけど、鯖の味噌煮は勘弁してね(笑)」と言われたのを覚えています。


私は、美人でも可愛らしくも無いけど、銀座はそんな私でも受け入れてくれる不思議な街でした。

お客様やママから、ノムちゃんは銀座以外の街は無理よと笑われていたなぁ

昼間の会社も辞めて、可愛がって下さるお客様のお陰で暫くは(5年間位)ホステスさんとして働いていましたが、私にはむいていないのをヒシヒシ痛感し、その時付き合っていた彼の助言もあり、お酒好きなのを活かしソムリエの資格をとり、その後も御縁で10年ソムリエとして銀座で働かせて貰いました。



そのお店にいらして下さった方の中には、ノーベル賞を受賞された方や、経済界やコメンテーターとして活躍されている方、芸能界で活躍されている方達も居て、お話をさせて貰う事もありましたが、どなたも穏やかな知らない事は丁寧に教えて下さる紳士でした。

大学に行っていない私は、ホステスさん時代から銀座大学でいろんな授業を受けさせてもらい、世の中の仕組みの一部を教えて貰いました。


 


銀座は、1つの村であり七色の川が流れていると言われます。

銀座で飲み歩く事はステータスだった時代、その銀座という村の七色の川で泳ぐお客様は錦鯉


あるバーでのお話

私も懇意にさせて貰っていた方で、そのバーは年に4回その方に纏まって請求書をお送りして飲食代を振り込んで貰っていたけど、ある時にその方が突然死なさってしまいました。

バーのオーナーは「かなりのつけが残っていたんだけど、今迄可愛がっていただいて感謝の気持ちしかないからお金の事は諦めていたのに、ある日全額振り込みがご遺族からあったよ、最後まで粋で格好良い方だね」と教えてくれました。

故人がつけで付き合っていたお店には、全て同じように振り込みがあったそうです。

一緒に飲みに連れて行って頂くと、オーナーから「今日、お勧めのお酒が入りましたリキュール」と値段が裏に書いてあるコースターを渡されても値段を見る事もなく、その方は笑顔でどんなに高いお酒でも「皆にも飲ませてあげて」と、御自分はあまり呑まないウイスキーでもリクエストがあれば入れ、若いバーマンの勉強だとご馳走するのが定番でした。

最後の最期まで格好良い錦鯉は、私達に良い思い出だけと幕引きの粋な姿を残して去っていく。

銀座で働く人も飲みに来て下さるお客様も、銀座を愛し大切に思い、その想いをつぎに遺したいという粋人が集まる街でした。


私は、松坂屋がGINZASIXに変貌を遂げる頃に銀座を卒業しました。

銀座はお金持ちの集まる街の象徴と言われていますが、私が働いていた頃は、夢を持ち夢の実現の為に頑張る人が沢山いて、寝る間も惜しんで働いてそれを応援して下さる方達に支えられて、GINZADREAMを叶える人達がいました。

私は銀座に憧れるだけの娘でしたが、銀座で出会えた御縁で今の私があると思い、夜の仕事には世間の偏見もあったけれど、やはり私には銀座は特別な街だったし、銀座で働けて幸せだったと思っています。


時代は流れ、三愛ビルも生まれ変わるニュースを耳にしました。

古い沢山のビルが新しいビルに生まれ変わり、今の私には知らない事が多くなり遠く感じる街ですが、もう一度あのバーのあの席で、オーナーの作るあまり上手ではないカクテルを飲みたいと思っています。

きっと、あの頃と変わらない笑顔で迎えてくれ「ノムちゃん」と呼んでくれると、私は何故か信じているし、それが私が永遠に憧れる銀座なんだと思っています。



独り言ちにお付き合い、ありがとうございました桜