三浦綾子「われ弱ければ」感想 | リタイアライフのつぶやき

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65才でサラリーマン生活からリタイア。さて、これから何をしていこうか。ブログでつぶやきながら日常生活を報告。参考になれば幸いです。

三浦綾子「われ弱ければ」が映画化されるというので原作を読みました。

初代女子学院院長を務めた矢嶋楫子の波乱万丈の生涯です。

本の裏表紙には、以下の事が書かれています。
「厳しい明治の世、熊本の旧家に生まれた矢嶋かつは、酒乱の夫に再三生命の危機にさらされ、自分から離縁を言い渡す。当時の風潮に反するかつの行いに世間も身内も冷たく、三人の

を置いて単身東京へ行くことに。船旅の途中自らに「楫子」と命名し、強い意志で教師を志す楫子だったが、十歳近くも年下の妻子ある書生との恋愛、出産を経て、人の"弱さ"を痛感する。そして出会ったのがキリスト教だった。」

内容の補足です。明治時代、女性からの離縁は、赦されない事であった。酒乱で毎日、刃物で脅かされ、全身衰弱で半盲になり10年間耐えても離縁は、不道徳以上の罪となっていた。

東京へは、新政府にいる兄が病気になりその看病のため、子供を姉や妹夫婦に一時的にあずけたのでした。

兄の下で伝習所に通い教師になろうとした。一方、兄の屋敷の書生の一人である鈴木要介に恋をする。しかし、その書生は、10才年下で妻子がいた。その後、楫子は、教員免許を取り小学校の教員になった。

楫子は、何と妻子ある書生との間に女の子を産んだのでした。だが、楫子は、一人でそだてると決めた。

熊本においてきた長男治定がキリスト教徒になる。生みの母親に捨てられて人間不信になり何を信じたらいいのか悩む時にあらわれたのがキリストと楫子は理解した。ある時、宣教師で教育者のミセス・ツルー女史と会う。女学校の教師を進められる。新栄女学校の校長を探していた。あまりの熱心さに引き受ける事とする。教える科目は、何と聖書。クリスチャンでもないのに。間もなく「信じる者は救われる」という神への約束を信じて、洗礼を受けることになる。今までの罪の許しを神に委ねる。罪は、キリストが背負ってくれたという事で洗礼を受けた。

明治14年、新栄女学校から桜井女学校校長代理となった。10年間の酒乱の夫の生活、道ならぬ恋が、楫子に人間の弱さを知らしめ、ついには神の愛を知り校則全廃の決断に至らしめた。1890年桜井女学院と新栄女学院が合併し女子学院となり、楫子は、初代女子学院院長になった。婦人矯風会を組織、初代会長に就く。婦人矯風会では、禁酒喫煙、一夫一妻の建白書、公娼全廃運動、婦人の議会傍聴などを進めた。この小説で旭川に佐野文子というすばらしい社会運動家がいたことを知りました。74歳にして渡米、万国矯風会第7回大会に出席。88才でアメリカ、満州、朝鮮の旅に出る。大正14年、楫子は眠るように大往生(92才)を遂げた。

感想としては、「母」や「泥流地帯」のような涙でボロボロになろかと思いましたが、全く別でした。涙のシーンは、ありません。

あくまでも、初代女子学院院長を務めた矢嶋楫子の波乱万丈の伝記です。

明治、大正の男尊女卑の時代に女性の地位向上に一生捧げ、禁酒・喫煙運動を進めた社会運動家でもあります。しかし、矢嶋楫子には、2つの過ち(.幼いわが子を置いて家を出たこと。.妻子ある人の子を産んだこと)があり、弱い人間でした。それを克服したのがキリスト教でした。

興味深かったのは、煙草を吸っていて止めれなかったのです。理由は、酒は、酒乱になり他人に迷惑をかけるが、煙草は、人に迷惑をかけないからだという。しかし、煙草が原因てボヤを起こし、人に迷惑をかけるという事で禁煙したのでした。

小説は、全体で300ページ程で一気に読めます。熊本にこのような素晴らしい女性がいたことを初めて知りました。

最後までご覧になりありがとうございます。

 

 

 

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