自宅の本棚の片隅に今もひっそりと眠っている本があります。
吉本隆明著「共同幻想論」です。写真右側の本です。本棚には同著「心的現象論序説」もあります。
今から50年前に書かれた本です。当時は、学生運動が盛んで「共同幻想論」は、必読書だった
かもしれません。
しかし、自分自身、本の内容は、全く理解できなかったのです。
7月からNHK(100分de名著)(写真左側)で「共同幻想論」が始まりました。
この番組は、100分(1回25分×4=100)で1冊の本を解説していきます。
今回、新たな気持ちですこしでも理解できればいいなと思い見始めました。
放送内容は、以下の通りです。
第一回は、「焼け跡から生まれた思想」です。
何故、吉本は、国家という共同体に着目したかというと、戦争体験でした。
戦前と戦後では、価値観がすべてひっくり返るという事に直面し、生み出した概念が「関係の絶対性」です。関係の絶対性とは、独善に陥らないため他人と確認しあうことでしか正しさは成り立たない事、共同体のルールが個人を拘束し、同調圧力(多数意見に合わせるよう暗黙のうちに強制するを事)を強いてくる事です。
最終的に人間同士がつくる関係性を「共同幻想」と名付け解き明かすという事です。
第二回は、「対幻想」とは何か
吉本は国家の起源を考える上でまず「対幻想」という概念を生み出した。
エンゲルスが原始的家族形態としての集団婚から始まり私有財産と貨幣の誕生により、貧富の差が生まれそれに伴う階級対立からそれを隠蔽するために発生したのが国家であることを説明したのに対し、吉本は、集団婚ではなく親子、兄弟に感情を伴った幻想(対幻想と呼ぶ)が発生し、更に拡大して共同幻想となり国家になるとした。
その過程を古事記や遠野物語で説明し、国家の起源を感情を重視し、非合理的なもの(嫌悪、尊敬、を嫉妬等)を出発点としました。
第三回 国家形成の物語
吉本は、家族や氏族集団から国家へと形成されていく過程が「古事記」の中に子細に書き込まれているという。それを分析していくと、国家の成立は「罪の意識」「刑法の成立」といったプロセスを経ることがわかる。例えばスサノオが高天原で犯した「岩戸隠れ」は、原罪として農耕民族が引き継ぎ負い目という負債を労働という形で大和朝廷側に支払い続け搾取されることとなる。そして、「天つ罪」「国つ罪」の罪の一部を刑法により罰せられることになる。
第四回 「個人幻想」とは何か
大衆は、困難を乗り越えて生活しており、平凡だと思っているが、実は平凡を維持するのが大変であると気づくのが「裂け目」であり自立するための根拠であり、これを個人幻想の基本をなしている。「大衆の現像」とは、大衆を地味な生活者としてとらえ、人々を量的なもの、塊のようにとらえることに抵抗を示し、政治的なものを拒否したものと捉えます。生活のリズムを離れ知識人に領導された群衆は、「共同幻想」の一形態にすぎず、 無条件で正しいと信ずる集団は危険な共同性であるとしている。知識人の誘導ではなく、生活が乱されるから政治に注目するという態度を「沈黙の有意味性」と呼び、その有意性に支えられた大衆を、個人幻想あるいは自立の原型としました。
以上が概略ですが、何を言いたいのか相変わらず理解できなかったですが、原本よりは理解が進んだと思うと少しうれしい気持ちになりました。
原本と今回のNHK(100分de名著)「共同幻想論」(テキストです)を比較すると、テキストはコンパクトにまとめられてわかりやすく放送を聞くと、さらに絞って解説してくれました。
何故、難解にしているかは、吉本用語である「関係の絶対性」、「沈黙の有意味性」、「逆立」「大衆の現像」等が理解を困難にしています。
吉本が当時受け入れられたのは、学生等が当時の既成左翼に満足できなかったのがあります。
やはり、原理・原則に固執するマルクス主義より日本の神話や遠野物語などを用いて独自の国家論を展開した吉本は、斬新でした。
ただ難解であったためどれだけ理解されていたのかは解かりません。一断片を捉えて良いと思っていたかもしれません。
何故、吉本に惹かれたのか当時の風潮がそうさせたかもしれません。
最後までご覧になりありがとうございます。
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