2017年9月9日。
ネギネギは今日で丸3年。
3歳になりました。
初台と幡ヶ谷の間にあるネギネギは、駅からもちょっと遠くて、東京だけどどこそこ?ってなるようなちょっとマイナーな街。
だけど都庁がすぐ先に見えて、新宿は歩いて行けるような、都会といえば都会なんだろう。
住所で言えば、まさかの渋谷区である。
私がこの場所を独立する場所として選んだのは、
新宿や渋谷や誰もが知ってるメジャーな場所から近いんだけど、
東京でもどこだっけそこ?ってなる場所がよくて。
ちょっと下町で、その街を大事にしてる人たちが住んでいて、商店街に活気があって、昔ながらの老舗なお店も、若い人もこれから頑張ろうとしてる街。
路面一階は譲れないけど、むしろ駅からちょっとくらい遠い場所がいい。
駅チカで適当に店を選んで入ってもらうよりも、
わざわざネギネギに行く、そんな場所がいい。
ここを目指して来て欲しい。
それがなんとなくの自分のイメージだった。
「幡ヶ谷」
私が店を出そうと決めたのはこの場所だった。
一年半くらい物件をゆるく探し出し、いよいよ独立期限が迫った半年は
「そんな毎日来ても、物件出ないよ」って不動産屋に言われるくらい、毎日何件も不動産屋さんに通ってた。
決めかけた物件が一歩の差で他の人に決まったり、立地はいいけど予算オーバーすぎたり、なかなか良い物件に出会えず、独立すると公言していた期日までもう時間がなく、焦る一方で。
そんなときに鎌倉のとある神社が効くよ、と言われて、冗談半分でお参りに行った直後にポッと出てきたのが今の物件。
2014年、7月12日の出来事だった。28歳。
もともとはカレー屋さんの居抜きで、前の店は5ヶ月で潰れてた。
カレー屋さんが何年も続かず、間貸し間貸しみたいな形で、5年くらい店が落ち着かなかったらしい。
正直難しい場所だよって言われたのだけど、
私の中では、ものすごくビビビッ!!!!ってきた。
って言えばドラマチックだけど、そんなわけは全くなく、
でも、ここならできそうだな〜って、なんとなくの感覚があった。
そもそもこの物件に決められなかったら、私は決めてた日に間に合わないし、
ここでできなかったら、どこでも勝負できない気がする。
そんな気持ちに自分を持ってった。
はい!わたしここに決めました!
申し込みます!
と内見のその場で伝えたものの、そこから問題が勃発して、契約ギリギリまでもめにもめて。
不動産とも家族とももめて、だけど、やっとかっと、なんとかまとまった契約。
8月10日。
ようやくスタートラインに立てたのである。
この日にオープンすると数年前から決めていた9月9日。
物件受け渡しは8月16日。
工事期間たった3週間だった。
こんな無謀な私の勝手に決めた想いに、独立すると決めた23歳の時から棟梁をお願いすると決めていた、口は悪くても、とことん付き合ってくれた棟梁たがさん。
設計だけでなく、店ができるまで、出来てからも建築の枠を越えてサポートしてくれた顔の濃いリオさん。
本当にすべてを支え続けてくれていた初代わたしの大黒柱パートナーあやちゃん。
ネギ屋やりたいといきなり言い出す小娘の無謀な野望に、とことん試作やメニュー考案を一緒にやってくれた、料理の師匠森さん。
そしてこの工事期間中、100人にものぼる人が工事を手伝いにきてくれ、力を貸してくれた。
そうやって出来たネギネギなのだ。
店を出す前から、たくさんの人の力と支えで、お店をオープン出来た。
「東京の人は冷たい」「東京はきらい」
そんな言葉をよく聞くけれど、私はそうは思わない。
実は独立するときも、東京なのか地元福岡なのか、はたまた違う場所なのか悩んでた時期があった。
だけど、私は自分のお店を出すと決心したのはここ東京で、ギラギラしてた20代、日本のテッペンで自分がどこまで出来るのか試したかったのもあるし、
応援してずっと支えてくれてた人たちも東京にいて、まずは東京で勝負してその人たちに魅せていくことが、恩返しだと思った。
確かに家賃はべらぼうに高いし、新宿駅や渋谷スクランブルに行ったもんなら平日だろうが毎日お祭り騒ぎで人とぶつからずに歩けない。
乗換案内みないと電車になんて未だに乗れない。笑
だけどこの場所で始めたからこそ、田舎の良さも変な話すごく分かったし、東京だからこそ全国からお客さんが来てくれるような場所にもなりやすかったと思う。
一ヶ月前に足を骨折して、日常生活にたくさんの支障がでるようになったけれど、
電車に乗れば席を譲ってくれるし、エレベーターのボタン押してくれたり、ドア開けてくれてり。
通勤5分の道が最初40分かかって、手が痛くて本当にしんどかったけど、
それでも必死に歩いてると、近所の人が話しかけてくれたり、タクシーのおっちゃんが励ましてくれたり。
ここ東京でも優しさにたくさん触れている。
緊急入院で、迷惑かけた店関係の業者さんもわざわざお見舞いに来てくれたり、支払い遅れたのに、落ち着いてからでいいからね、の言葉や逆にまさかのお見舞金くれたり。
怪我をして、改めて気付く人の優しさは本当に嬉しかった。
色んな情報に溢れすぎて、人が多すぎて、自分を見失いがちな大都会、東京。
そんな中でもがいて、必死になってる人たちに刺激をもらってるのも事実。
わたしはこの街での出逢いがなければ、今のネギネギはありえないからね。
10坪という、小さな小さな箱だけど、私にとっては唯一の大事な自分の城で、子どもみたいなものだ。
あー色々あったなぁ。
涙でそ。
さ、乾杯しよ!!!!!!