『幻の旅路』大湾節子のブログ -4ページ目

1 『幻の旅路』より バルセロナでバイオリニストに出会う

2023.04.08

旅=出会い=長年の友情

大昔、旅先で出会った人々との友情が、何十年も経ったいまでも続いています。

1978年、ローマの町角で出会ったフランス人のジャン・ピエール。
Jean-Pierre Ronssin
『幻の旅路』に毎回登場しています。
いまは映画人(映画監督、作家、脚本家、俳優)として大活躍しています。

1981年、フランスのブロア城で案内を買って出てくれたドミニク。
いまは大学教授です。
このふたりにやっと『幻の旅路』を送ることができました。
やれやれ。

ベニスに行く列車の中で出会ったスイスのエリザベスの家族にも今回1冊送りました。
スイスのラングナウのホテルの女主人、
フランスのディンニュのホテルの子供たち、
スイスの駅前ホテルで出会ったシロにもすでに『幻の旅路』を送っています。

このエピソードの最後に登場する日本人バイオリニストにも本を送りました。
彼女の演奏の感想を(6)に載せました。(2023/04/25)

このエピソードの主人公マークに連絡が取れました。
彼も1冊欲しいと言ってきたので、目が治り次第、送るつもりです。(2023/05/06)

『幻の旅路』ご希望の方には、世界中の皆さんに郵送いたします。
メッセージ欄でご連絡ください。


私のもう一方の目の手術(緑内障と白内障)は5月1日を予定しています。
それまで何とか仮のメガネでブログを書いています。

*This blog is originally posted on 2012-05-24.
*コンピューターの画面を大きくしてお読みください。
(1−6まで続いています)
*YouTubeはフルスクリーンでご覧ください。





1981年11月15日 
バルセロナ

『バイオリンとの出会い』

町を歩き回り過ぎて足が痛くなり、ホテルに帰って休んでいると、何ということだろう。
どこからか美しいバイオリンの音色が聞こえてきた。
まるで砂漠の中でオアシスを見つけたみたいに、ひどく興奮してしまう。

どこからこんな澄みきった泉のような音楽が流れてくるのだろうと、窓を開けて顔を出してみる。
外からではない。
上の階だろうか? 
それとも下の階だろうかと、バスルームに行ってみると、どうもそちらの方から聞こえてくる。
シャワーの横についている小窓を開けてみる。
隣の部屋かららしい。

バルセロナの通りでも、何人かギターを抱えた辻音楽師を見かけた。
乾燥して垢抜けない町には、ギターのかすれた音色がぴったりだが、楽器ケースの中を覗いて見たら、数えるほどしか小銭が入っていなかった。

今朝はデパートの前で珍しくバイオリンを弾いている若者がいた。
地面にテープレコーダーを置いて、誰でも知っているクラシックの主旋律の部分をテープに合わせて弾いていたが、バイオリンの音は大分割れていた。
それでもバイオリンの音に飢えていたところだったので、人の輪の一番前に行って聞いていた。

しかしいま流れてくるバイオリンの音色は、今朝道端で聞いた辻音楽師のそれとは全く違う。
もっと専門的で、本格的なクラシック音楽なのだ。
一体誰が弾いているのだろう。

じつは、私がこんなにバイオリンにこだわるのは理由がある。
もうずっと昔のことだが、バイオリンの音色に魅せられて、親に無理に頼んでレッスンを受け始めた。

自分も簡単に素晴しい音が出せるのかと思ったが、そんなに容易く上達できなかった。
練習不足に才能不足、数年後には色々口実をもうけて止めてしまった。
それでもバイオリンの曲を聴くのは大好きだ。

そんなわけで、こんな思いもかけない所でバイオリンの美しい音色を耳にして、まるで初恋の人に何十年振りかにばったり出会った気がした。

私はすっかり感激してしまい、曲が終わる度にパチパチとバスルームの小窓から手を押し出して、姿の見えない演奏者に拍手を送った。

私一人のために開かれた『特別演奏会』はそれから大分続いた。
殆ど知らない曲ばかりだったが、素晴しい演奏だということだけは分かった。
最後の曲が終わって、私は手が痛くなるほど拍手した。
名も知らぬ名演奏者に、姿の見えない聴衆からの感激の拍手が届いただろか?

1981 11月16日 
バルセロナ

『バルセロナでバイオリニストと出会う』
 
ホテル・コロンは小さなホテルだから、何日か泊まっていると、ウエーターとすっかり顔馴染みになって、席に着いた途端、何も言わなくても濃いコーヒーとクリームをテーブルに運んで来てくれる。
スペインのパンはバサバサして美味しくないと思いながらも、私は出された物は全部頂く主義だからバターやジャムをたっぷりつけてみんな平らげてしまう。
 
ふとカウンターの方を見ると、黒縁の眼鏡をかけた背の高い頭のはげ上がった男性が、スツールに半分腰掛けてコーヒーを飲んでいる。
ちょっと気難しい取っつきにくい印象を与える。

カウンターからさらに視線を落とすと、彼のスツールの足元に黒いバイオリンのケースが置かれている。
昨日の演奏者はどうもこの男性だったらしい。
思い切って声をかけてみる。

「貴方でしょ、昨日部屋でバイオリンを弾いていたのは」
と尋ねると、彼は一瞬硬い表情になって、
「聞こえましたか」
と逆に聞いてきた。
私がうるさかったと文句でも言うのかと思ったらしい。

慌てて、
「とても楽しませてもらいましたよ」
と付け加えると、急に彼の顔がほころんで、白い歯を見せて嬉しそうな表情に変わった。
「聴き手がいたなんて知らなかったなあ。
それなら音階なんて練習しないで、もっといい曲を弾けばよかったですね」

「とんでもない。
とても素晴しかったですよ。
隣の部屋から拍手をしたけれど、聞こえましたか」
「いいえ。
それは聞こえなかったですよ」
「残念でしたね。
手が痛くなるほど拍手したのに」
と、実際話をしてみたら、外見と違ってとても気さくで話しやすい。

「バルセロナで演奏するのですか」
と聞いてみると、彼は西ドイツ南部マンハイムのオーケストラのメンバーで、彼らと一緒にスペイン各地を演奏して回っているのだという。

今晩はバルセロナの音楽堂でコンサートがあるので、これからリハーサルに出かけるという。
「当日でも切符買えますか。
今晩は何の曲を演奏するのですか」

すっかり興奮して矢継(やつ)ぎばやに質問すると、彼は少したじろいて、
「演目は今日これからリハーサルをして、その時に分かるんです。
調べておきますよ」
と、のんきに答える。

コンサートは夜の八時から始まるが、自分たちは早目に音楽堂に入る。
よかったら一緒に行こうと誘ってくれた。
彼の名前はマーク。
すっかり嬉しくなって、じゃあ、夕方会いましょうと約束する。

第4章 1981年、第4回の旅 P281-283より





 

他の動画もお楽しみください。
https://www.youtube.com/@setsukoowan4777/videos


*お詫び
2022年7月に2回目の緑内障のレーザー手術を受けました。

12月に今度は本格的な緑内障と白内障の手術(右目)を受けました。
手術後、視力がひどく変わってしまい、読み書きが難しくなりました。

左目も近いうちに手術をします。
そんな訳で当分の間、目の治療のために、コメントをいただいてもすぐにお返事が書けないと思いますが、どうぞよろしくご理解ください。

2 『幻の旅路』より バルセロナでバイオリニストに出会う 





1981年11月16日 
バルセロナ

『コンサートに出かける』

ホテルに戻ると、マークから私宛にメッセージが残されていた。
小さな紙切れに今晩演奏する曲目が四、五曲ずらずらと書かれてあった。
私の知らない難しそうな曲ばかりだ。

約束の時間に隣の部屋へいくと、彼は今朝のラフなスタイルとは一変して、頭には黒い山高帽(やまたかぼう)をかぶり、長いタキシードを着て、いまにも指先から白い鳩がバタバタと飛び出してきそうな、まるで魔術師のような服装で現れた。
 
道々、彼の友だちを紹介される。
ロシアのレニングラードから家族を残して一人で亡命して来たマイケルというバイオリンを弾く青年だ。
痩せた体やしかめ面は彼の悲しい過去をそのまま物語っているようだ。

マイケルは英語は全く喋れないので、彼と話すにはマークの通訳がいる。
マークの英語がとても上手いので、どこで習ったか聞いたら、
「僕はれっきとしたアメリカ人だよ」。
道理で英語が上手なわけだ。

でも彼の英語は硬くてドイツ人が話すようだ。
顔付きまでドイツ人に似てきている。

それでも考え方だけは全然変わっていないらしく、彼のドイツ人評は手厳しい。
ドイツ人ほど心を開かず感情を表に出さない国民はいないという。
彼らが何を思っているのかさっぱり分からない。
楽団に入って二年にもなるが、メンバーの家に夕食に招かれたことなど一度もない、と、こんなふうにオープンに自分の意見を言うところなど、彼はやっぱりアメリカ人だ。
 
音楽堂に着くと、マークが切符売り場はどこか聞いてくれる。
なかにいた切符売りの男性とちょっと話していたがすぐに戻ってきて、今晩の切符は全部前売りで、当日券は一枚もないという。

ワー残念、何とかならないかしら。
マークがまた先ほどの男性と交渉に戻っていった。

今度は前よりずっと熱の入った話し方をしている。
「Mon Amigo・・・America・・・Solo・・・
(アメリカからの友だちでね。そうたった一人だけですよ)」
その部分だけしか分からないが、相手をしていた男性もマークの熱意に負けたらしい。
マークが私の方を振り返り、ニコニコして右の親指をピンと立てて見せた。

「中々うんと言わなかったが、特別な友達だと無理に頼んだら、やっとO・Kがでたよ」
と得意顔で無料でいいという切符を手渡してくれた。
しかもバルコニーの席だという。

「じゃあ、演奏会が終わったら、ここで待っていてね」と、彼は舞台裏に消えていった。何てラッキーなんだろうと、すっかり嬉しくなって足取りさえ軽くなる。
ところが入口に来た途端、一瞬足がすくんでしまった。

二階のバルコニー席に続く階段は分厚い深紅の絨毯が敷かれ、階段の手すり、そして柱という柱には意匠を凝らした彫刻が施されている。
垢抜けないバルセロナの町からは到底想像もつかない豪華絢爛な劇場が目の前に現れたのだ。

U字型の二階のバルコニー席に出てみると、美しいロマン的な絵画や彫刻で飾られた天井や柱、それに劇場の四方の壁が一望できた。

帝政(ていせい)ロシア時代を彷彿させるような荘重(そうちょう)な音楽堂で、思わず感嘆の声と溜め息が出てしまう。

(この劇場はリセウ大劇場という世界的に有名な劇場で、25年も後になってそのことを知って、改めて感激してしまった。)  
 
私の席は只の切符というからどんな末席と思いきや、何と前から二番目のボックス・シート。
ここからだと第一バイオリン奏者が真正面に見える。
飛びきりいい席で、かわぬ夢がついにかなったかと興奮しないでいられない。

席について少し落ち着いてくると、今度は周囲の客の姿が気になってきた。
見ると、隣の女性も、またその隣も皆黒いロングドレスを着ている。
手には毛皮のコートを抱え、高価なアクセサリーで身を飾っている。
男性もフォーマルな背広姿、どの客もきちんとしたシックな身だしなみをしている。

それにひきかえ、今晩の私ときたら色あせたとっくりのセーターに友人からもらった着古したジャケット、それに貰い物のお古のスカート、靴はいままで石畳をさんざん歩き回って底のすりへった白茶けた茶色のブーツ。
どう見ても、この場にそぐわない。
余りのみすぼらしい旅姿に身の縮まる思いだ。

さらにこの劇場を見回して驚いたのは、客層の良さである。
品のいい顔付きの人たちばかりで、開演前のざわめきが全くない。

ひどく場違いの所に来てしまったようだと、しばらくの間落ち着かなかったが、そのうち周りのこともそれほど気にならなくなってきた。
折角のコンサート、つまらないことは気にしないで、今晩は大いに楽しむことにしよう。
 
幕が上がり、演奏者が現れる。
この楽団の中に二人も知った人がいると思うと、何だか誇らしい。
マークは私の席のちょうど斜め真下、背を向けて座っている。
彼の楽器がよく見える。

いよいよ音合わせが始まる。
期待と興奮で胸が一杯になる。
夢心地というのは正にこんなことを言うのだろう。

宮殿のような音楽堂でしばらく音楽を聴いていたら、自分もロシアの貴婦人のように胸が大きく開いた胸の盛り上がりが見える黒いロングドレスを着て、特等席に座っているような気がしてきた。
素晴らしい演奏にすっかり引き込まれ、我を忘れて音楽に聴き入ってしまう。
 
今晩演奏された曲はみんな初めて聴いた曲ばかりだったが、コンサートは素晴しいの一言だった。
大満足である。

観客の拍手に応えて、演奏者が全員起立してお辞儀をしている。
楽団の中で一番背の高いマークはそれだけでも目立つのに、お辞儀をし終わったら長い首をぐるりと回し、二階のバルコニー席の方に向けて私の姿を捜し始めた。
目が合って笑っている。
アンコールに応えて、メンバーはもう一曲演奏する。

幕が降りてコンサートの余韻が残るなか、他の聴衆と一緒にぞろぞろと出口に向かう。
階段を降りながら、同じボックスに座っていた女性と言葉を交わす。
「素晴しいコンサートでしたね」。
知的な上品な女性で、バルセロナに住んでいてチェロをやっているという。
 
劇場の入口で待っていると、マークがまだ興奮が覚めやらぬ顔で出てきた。
「素晴しかったわよ」
と改めてお礼を言うと、
「今晩はメンバーの息が合ってすごく調子が良かった」
と、彼も最高に御機嫌である。

今日はこれでおしまいかと思ったら、マークが突然思いがけないことを言い出した。
これから、昨日町で会ったスペインのおじさんとお茶を飲むことになっている。
マイケルも一緒だから行こうと誘われる。

明日は朝早くバルセロナを発つ予定にしている。
ホテルに帰ったら、すぐ床に就くつもりでいた。
決めかねていると、
「おじさんがね、夜のバルセロナの町を案内してくれるというんだよ」
と、マークがしきりに勧める。
行かなかったら一生後悔するだろう。
OK私も行くわと返事をする。

第4章 1981年、第4回の旅 P284-288より



 

3 『幻の旅路』より バルセロナでバイオリニストに出会う





1981年10月16日 
バルセロナ

『四人で夜のバルセロナの町を歩く』

マイクとマイケルは、堅苦しい黒のタキシードを着替えて二人ともすり切れたジーパン姿で現れた。
どう見ても、先ほどまで豪華絢爛な音楽堂で高尚なクラシック音楽を演奏していた人と同一人物とは考えられない。

ロビーに降りていくと、美しいシェパード犬を連れた男が待っていた。
歳は五十をちょっと出たくらいか、中肉中背でモスグリーンのジャンパーを着て、ハンティング帽をかぶっている。
一応見苦しくない程度の格好はしているが、このホテルでは場違いの人のように映る。

優しい目をした男性で、物腰がとても穏やかである。何をしている人だろう。
ビジネスマンのタイプではないし、先ほどの音楽堂で見かけた着飾った紳士淑女のグループに属すような人間でもない。

「こちらがポコおじさん。
いまは病気をしていて何も仕事はしていない。
時々友人のガソリン・スタンドを手伝うくらいだ。それからこれがリンダ」。
リンダは犬の名前。

マークの簡単な紹介が終わると、おじさんは、
「じゃあ、行きましょうか」
と、いままで行儀よく横に座っていたリンダを立たせて、四人の先頭を切って歩き始めた。
 
大聖堂の横の細い路地を右に左にと何回も曲がり、その度に道の角でおじさんが立ち止まって色々と説明をしてくれる。
といっても説明し終わるのに大分時間がかかる。
まずポコおじさんがマークにスペイン語で説明し、それからマークが私に英語に訳してくれる。
その後マイケルにはドイツ語に訳してあげないといけない。

ただ聞くだけの二人は楽だが、三か国語も即座に訳さないといけないマークは身ぶり手振りで大忙し、久しぶりの英語に度忘れしていらいらしている。

マークにどうしてポコおじさんと友達になったのか聞いてみたら、音楽が縁だという。
昨日バロセロナの通りでマイケルと一緒に辻音楽師のギターに耳を傾けていたら、たまたま二人の横にポコおじさんも立ち止まって聴いていた。
そして、こういう時によくスリに遇うから気をつけなさいと、わざわざ注意をしてくれたという。
 
袋小路のような裏通りを歩き回っていたら、12時近くになっていた。
この辺りはこの時間帯一人では絶対歩けない所だ。
一軒だけ酒場のような店が開いていたので、そこに入る。

席に着いた途端、
「これは僕が出すからね」
と、どう見てもお金がありそうに見えないポコおじさんが最初の注文をする。

しばらくしたら、バーベキューの肉と硬いパンが串にさされた料理が運ばれてきた。
「これはこの土地特産の焼肉料理だよ」
と、彼はみんなにおごることができたのがいかにも嬉しそうだ。

「じゃあ、次は僕のおごりだ。
今日はとてもいい日だったからね。」
と、マークが財布を出す。

『四人で語り明かす』

私こそ今日はとてもついていた。
朝食の時に、マークに思い切って声をかけたのがきっかけで、素晴しい演奏会に行けた。

そしてもっと素晴しいことは、ほんの数時間前まではお互いに全く見知らぬ赤の他人だった人たちと、いまこうしてテーブルの上の小さなろうそくを囲んで、ごく自然に顔を突き合わせて話していることだ。

まるで1981年11月16日、午後11時45分にスペインのバルセロナのこの小さな酒場に私たち四人が集まることが何十年も前から約束されていたかのように。
 
若はげの陽気なマークはまだ二十四歳、アメリカ出身。
コロンビアのオーケストラに数年所属した後、西ドイツのマンハイムの楽団に移ってきた。

マイケルは大きな鷹のような鋭い目を持っていて、絵筆(えふで)を持たせたら、大きなキャンバスにゴッホかムンク(1863—1944 ノールウェー人)のような、怒りをぶつけた強烈な抽象的(ちゅうしょうてき)油絵を描きそうな青年だ。

西ドイツに来る前は、レニングラードの地下のアパートから一歩も出たことがなかったという35歳のロシア人。

それにポコおじさん。
彼がこの土地にいることは当然なのだが、だからといって私と一緒のテーブルに座っていること自体、不思議なことだ。

彼は一体どんな過去を持っている人なのだろう。
美しい毛並みの犬を横に座らせ、にこやかに話をする。
若い頃にはパリにも行ったことがあると言っていたから、きっと育ちがいい人なのだろう。

そもそも私自身も、この四人の会合に参加するために遠い日本から十二年も前に飛び立ってきたかのようだ。
 
今年バルセロナに来た理由は、昨年友だちになったスペインのビジネスマンたちに会うためだった。
今朝マークに会ったホテルは、一ヶ月ほど前スイスで出会った元教授夫妻が紹介してくれた所だ。

数日前のスケジュールを慌ただしく思い出してみる。
バルセロナ到着予定日に列車がアビニヨン近くで立往生してしまい、到着が一日遅れた。

もし予定通り行っていたら、昨日の朝には既にバルセロナを発ってしまっていたから、今日の出来事は何もなかったことになる。

つまり、マークとも出会わなかったし、素晴しい音楽会にも行けなかったし、こうして不思議な巡(めぐ)り合わせで四人が語り合うこともなかった。

言いかえれば、良いことも悪いことも、私の過去に起こった出来事がたった一つ欠けていても、この四人出会いは決してなかったのだ。
 
私が一瞬感慨にふけっていたら、他の三人も私と同じことを考えていたらしい。

マークが、
「人生って不思議だね。
普通なら絶対に会おうとしても会えない四人が、ここに集まってこうして話しているのだから」と言い出す。

無口なマイケルも、
「僕も全く同じことを考えていた。人生って面白いな」
と、頷(うなず)いている。

「広大な宇宙の中で何か特別な力が働いて、私たち人間に糸をつけて自由に操(あや)っているのではないかしら。
まるで何十年も前からちゃんと計画があって、一秒の狂いもなしに私たち四人を世界の各地からこのテーブルに呼び寄せたのではないかしら」
と、私がやや大袈裟に表現すると、
みんなも、
「僕たちもそう感じていた」
と相づちを打つ。
 
四人共すっかり興奮して、小さなテーブルの上をスペイン語、ドイツ語、それに英語と三か国語が飛び交う。
使っている言葉は違っても、みんな同じ思いだ。

ポコおじさんが何か私たちに一生懸命伝えようとしているのを、マークが悪戦苦闘して訳している。

「おじさんの言っているダンテの神の音楽って何のことだろう」
「ああ、イタリアのダンテが書いた『神曲』のことじゃない」
題名だけは聞いたことがあるが読んだことはない。

「ポコおじさんは、人生、つまりこの世はダンテの『神曲』のテーマと同じだというんだ」
思いがけず、ポコおじさんから難しい題名が出てき驚いてしまう。
彼は中々のインテリで博識だったのだ。
私たち三人は、おじさんの言っていることが半分分かったような気がして頷いた。

ふとその瞬間、心の奥底で深く感じることがあった。
私が長年求めていたものは、地球のある一点で、こうして私たち生きている者同士が、いまこの世に生きているという感動を一緒に分かち合う瞬間ではないかと。

第4章 1981年、第4回の旅 P288-291より