1 『幻の旅路』より ジャン・ピェールと歩く  | 『幻の旅路』大湾節子のブログ

1 『幻の旅路』より ジャン・ピェールと歩く 

『ジャン・ピェールと昼下がりのローマの町を歩く』

1978年5月20日 
ローマ
  
スペイン広場の階段をおりると、道の両側は有名な高級ブランド店がずらりと並んでいる。

ほんの少し前まで買い物客で賑(にぎ)わっていた店もいまはシャッターがおろされ、店内の照明が消えてがらんとしている。

昼下がり、ローマの町は先ほどまでの喧騒(けんそう)が嘘のようにしーんと静まり返り、建物の細長い影が人影のない道路に明暗(めいあん)の境をはっきりと写して、正面のテベレ川まで続いている。
  
昨日ぶらりと立ち寄った店で、水彩画の複製(ふくせい)を一枚購入した。

この絵のオリジナルを展示しているローマ美術館へは歩いていける距離だ、と店の人が教えてくれたが、私の足で歩いてみるとかなりある。

地図を広げて道を確かめていたら、少し先に青年が立ち止まってやはり地図を見ている。
先ほどから私の前になり後ろになりして歩いていた青年だ。
美術館の行き方を尋ねると、自分も絵が好きだから一緒に行こうといってくれた。

めざす美術館は曲がりくねった路地の一角にひっそりと建っていた。
建物も小さく、観ている人も殆どいない。

この町では他にも名所旧跡が沢山あって、観光客はそちらの方に足が向いてしまうのだろう。
館内にはイタリア写実派や印象派の風景画が展示されていた。

私の買った複製のエットル・ルースラー・フランツ(Ettore Roesler Franz)のオリジナルの作品はすぐ見つかった。

抑(おさ)えた色調の緑や茶色でローマの町の生活風景が描かれている。
気に入ったので、彼の作品の複製をもう一枚買った。

絵が好きだといった青年は、ジャン・ピェールという二十四歳の生粋(きっすい)のパリっ子で、さすがに絵に詳しく、フランスとイタリアの宗教画の違いを色々と教えてくれる。

彼によると、イタリアの美術や文化は宗教に結びついていて人間性が乏(とぼ)しい。
イタリアの大聖堂にいくと、装飾がけばけばしくて心が安まらない。

それに比べて、フランスの大聖堂は色調も装飾ももっと抑(おさ)えていて、なかに飾られている絵画もしっとりしていて、ずっといいという。
その日の午後はジャン・ピェールと一緒にローマの町を歩き回る。

遺跡から遺跡へと実際歩いてみると、この町はとても大きい。
古代ローマの人々は馬以外には他の交通手段もなく、すべて徒歩でこの広い町を往き来していたはずだが、すごい距離だ。

これだけの巨大な建築物をいくつも残しているということは、昔のローマの庶民や奴隷(どれい)は朝から晩まで、そして一生支配者にこき使われていたのではないだろうか。

力のある者ほど大きな物、不滅(ふめつ)な物に憧(あこが)れるが、巨大な遺跡の中に立つと、逆に人間の小ささが強調される。

形のある物は時と共に変形し、いつかは塵芥(じんかい)と化(か)してしまう。
遺跡を見ると巨大な物を作った者への賞賛(しょうさん)より、すべて過去になり変形してしまった物への虚(むな)しさを感じる。
  
夕方、町中の公園に行く。
埃っぽい手入れされていない公園の中を、ファッション雑誌に載っているような洒落た服装の男女がデイトをしている。

若い女性はいまにも折れそうな踵(かかと)の細いハイヒールを履いている。
どこを見ても長い歴史を感じるローマの町で、それぞれ「いま」という時を生きているのだ。
  
結局ジャン・ピェールとは夜中の十二時近くまで話し込んだ。
彼は映画が好きでシナリオを書いている。
最近のアメリカ映画はまったく興味がなく、日本のアキラ・クロサワ、ミゾグチ、オズといった往年(おうねん)の巨匠(きょしょう)の大ファンだという。
(*注1)

別に私が日本人だから気を使って日本文化が好きだと言っているわけではなく、古い歴史や文化のある国で生まれ育った者は、他の歴史のある国の文化も高く評価するらしい。

彼は多弁(たべん)ではないが、柔らかいフランス訛(なま)りの英語でアメリカの物質文化を批判する。

未完成だが自分が何であるか、はっきり認識していて、それを頑固(がんこ)に押し通す芯(しん)のある青年に見えた。
彼と話をしていて少しも疲れず、それどころか共通の話題が次々に見つかる。

いつまでも話していたいが、明日は早朝に出発しなくてはならない。
次回会った時に今日の話の続きをしようと言って別れる。

その後、彼には毎年パリで再会し、二人の話はそれから何年も続いた。
 
それから28年後(2006年)、彼は既に結婚して十四歳の息子が一人いた。
生活は大変だが、自分の好きなことだからと相変わらずシナリオを書いていた。

(*注1)
ブログテーマ:映画 世界の映画監督
『世界の巨匠 映画』(2012—03—04)参照

『幻の旅路』第1章 1978年、第一回目の旅(P55—57)より引用 一部ブログ用