1997年のロマンス少年。 | ロマブログ

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日本大学芸術学部に1997年から存在する映像サークル「ロマンス少年」のブログ。

何故僕が僕なりにこのロマンス少年というサークルに力を注ぎたいと思ったか。

それには3つ理由があって。


一つ目は、僕らの先輩三年生の代が凄く楽しそうに自由な物作りをしていたから、僕も自由なことをやりたいなぁと思って。


二つ目は、ロマンス少年というサークルをブランディングの練習の場として使えたら自分のためにもなると思って。


三つ目は、ロマンス少年を作った人たちが最高に楽しそうな、はちゃめちゃなエピソードを持っていたから、憧れを抱いて。


そして、今回書くことは三つ目に関係すること。


ロマンス少年が出来たのは12年前の1997年。

その頃の話を僕はたまたま設立メンバーの方にメールで聞くことが出来ました。


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確かロマンス少年が立ち上がったのが97年の春だったように思います。
中心人物は現在フジファブリックやMO'SOME TONE BENDER、曽我部恵一などの
PVを手がけた須藤中也(ググればそれなりにヒットします)です。
当初は一応映像サークル扱いでサークル活動のアウトプット環境としてクラブ部門がありました。
が、しかしこれといって明確な活動内容があった訳でなく
面白い事はなんでもやろう的なノリだった様に思います。
とりあえず面白きゃなんでもあり良い意味でも悪い意味でも大馬鹿サークルでした。

件の浅野忠信バンドですが、とりあえずロマ少と言うサークルの認知度を上げるべく
パンチの効いたイベントをと言う事で芸祭に召喚しました。
とにかく良く分からん実態のサークルな物で実行委員会には煙たがられ
やっとの思いで小講堂を借りた記憶があります。
浅野さん側との交渉ったって「取っ払い」の意味も分からない学生ですから
熱意だけで押し通した感じです。
当日は浅野さん自ら機材車を運転して来られたんですが
最近、須藤が浅野さんの事務所と仕事をした際に
「浅野が自分で運転して現場に行ったのはあの時だけだ」と皮肉を言われたそうです(笑)
ライブはちん○が出たりして凄い事になってましたね。
その後小講堂が使えなくなったとかならなかったとか。
とにかく頭が悪い連中が集まったサークルでした(笑)


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このエピソードは、ロマンス少年のWEBサイトにヒストリーとして残してあります。

何故残したいと思ったか。それは単純な理由で、このお話に感動したから。


残して、ロマってどんなサークル?って聞かれたときに、映像サークルとか、そういうことを言うんじゃなくて、このエピソードを話して、こんなサークルって答えられるようにしたいと思ったんです。


映像だろうが、平面だろうが、音楽だろうが、とにもかくにもどんなやり方でも良いから、このエピソードのようなスピリットで物に取り組む・取り組むべきことを探している人たちが集まってる、ロマンス少年がそんなサークルになれば、凄く良いだろうなぁ、楽しいだろうなぁと。


だから僕は、芸祭上映会のときに制作したポストカードの裏面には、サークルの説明ではなく、このエピソードを載せました。それでわかってくれ!そんな気持ちだったんです。


とにもかくにもこのエピソードを知ったときの僕の感動といったらなくて、その話はかつて日芸に入る前に抱いていた理想の日芸の姿そのまんまだったわけです。そして、僕は、須藤さんという人に会いたいなぁと思い、連絡をしました。それは数ヶ月前の話です。


大分時間がたっていたので返信がくるとはもう思ってもいなかったのですが、ついに連絡が通じ、今度お会い出来ることになりました。


12月20日にお会いしてきます。

ロマンス少年を立ち上げた人です。

どんなお話が聞けるでしょうか、実に楽しみであります。


お会いしたら、その話はここに記したり、26日の忘年会で話したりしたいと思います。

皆さんも是非とも楽しみにしていて下さい!