『おうち』という雰囲気からはほど遠い私のアパートなのに、タイトルがラブリーだ。
だけど、やってることはまるでおうちカフェさながらなのだから、つけちゃったもん勝ちってことにしよう。

$エッセイスト料理家ROMAKOの『好きな人と好きなモノを好きな時に好きなだけ食べる』-おうちカフェ


私がこうやってシーンを当てはめて料理をするほとんどの理由は、鍛錬という練習で修行だ。
ブログのタイトルは私のポリシーだけれど、料理家という肩書きを自らつけた手前怠ることはできないのはごもっともだし、
料理をきちんと仕上げたかったら、その食材を知らないといけないと思う。
だから、素材に向合い続けるしか解決と上達の道はないと思っている。
・・・と、っとっと・・・おや?
これは恋を発展させ幸せを継続をさせるのに似てる。
自分が恋した相手を知らないと、相手も自分も幸せにできないと思うからだ。
誰かと深く関わっていこうとすればするほど、面倒くさがらずに冷めずに引かずに止めずにそれらを知ることに時を費やす。
相手のとどまることのない、見たことも聞いたこともないボコボコ沸く発見を紡いで紡いで、
おぼろげなものをただひたすら形にしようと繰り返しごとが繰り返されて、やっと功を奏す。
相手のことを知った気になった途端、破錠と不幸が襲いかかる。
本当に、まるで食材と同じだ。
知った気になって、ちょっと手順を怠れば溶けなかったり溶け過ぎたり、膨らまなかったり硬くなったり。
同じレシピを何度も何度も繰り返し料理しても、その度に新しい発見がある。
その上この繰り返しの中で起こるいろんなことが、私にとってストレスを発散して解消してくれるし、
これほどまでのクリエイティブなことはない。

やっぱり、ラブリーなのはタイトルだけらしい。