一つの症状をとっても、病気をとっても、その人の人生のテーマが含まれているのを感じます。

 

 

 

考えから述べられる言葉や、現われている事象に注目することはさほど重要ではなくて、その人にとっての意味、の方が大事だと思います。

 

 

 

カラダの症状には、テーマがある。

 

 

 

それは、クライアントに触れていても出てくるのですが、自分と向き合っていてもでてきます。

 

 

 

私がこわばる一つの意味が、昨日出てきました。

 

 

 

落ち着かない胸のあたりを感じていくと、小さな頃の自分が、押し入れに入って泣いている映像が脳裏に浮かびました。実際にあった場面でした。

 

 

 

公文の宿題が嫌でやりたくなかった頃の記憶です。そのほかにも、押入れで泣いて、疲れて寝むってしまった記憶が蘇ってきました。

 

 

 

私は小学生低学年から高学年にかけて、公文を習っていましたが、夜遅くまで残っていたのですよね。計算が合わないときには、やり直しばかりでしたから。

 

 

 

何回やっても、計算が合わなくて(笑 

 

 

 

そして、夜暗くなって、独りになるまで残って、とぼとぼ帰っていた記憶があります。

 

 

その自分の中の、小さな自分を感じていくと、、。

 

 

 

「苦手なことを苦手なこととして、認められなかった。苦手なことをやりつづけるしかなかった。」

 

 

 

という意味がありました。水泳、公文、習字、英会話、塾など、自分からやりたいと思ってやったことは、高校まではなかったなあと気づきました。

 

 

 

それが、苦手なことを無理に課している今の自分、現実にも現れていました。

 

 

 

寝ている間に、緊張している(笑 そりゃ起きても緊張するでしょ。

 

 

 

カラダが柔らかくならない理由は、カラダの遣い方だけが、原因となっているわけではありません。

 

 

感情、精神、思考、信念などなど、その人のテーマが裏にあります。

 

 

 

時間はかかりましたが、落ち着かない感覚を感じ切って、小さな自分が見えると、すっとカラダが軽くなり、落ち着きが戻りました。

 

 

 

感覚は感じ切る。

 

 

 

そうすれば、前に進める。

 

 

私たちは過去の出来事に反応し続けています。

 

 

もう、そこにはないはずのものに、過去と同じように反応し続けます。

 

 

しかし、過去をないものにするのではなく、過去を現在に認めてあげることで手放すことができます。

 

 

過去の私も、私。その自分を今、受け止めてあげます。

 

 

 

素の自分を出せないでいる。

 

 

 

素の自分を忘れてしまっている。

 

 

 

こうしたことが起こっているのです。

 

 

 

過去必要だったもので、現在に必要なくなったものは、感じ切って、手放していけばいい。

 

 

 

自分が、自分に強いてきたものは、手放していけばいい。

 

 

 

そうして、自分ではないものを剥いでいって、自分の素に戻っていくのだと思います。

 

 

 

さてさて、まだまだ硬さは残っていますよ。次は何がでてきてくれるのかな。