怪しい本、、17%

テーマ:



みなさま、おはようございます。
さて、先日からちょいちょい引き合いに出しています
怪しい本、について。







その名は!
のちほど。






Kindleで読んでるんで、
今どのへんかな、というのが
イマイチわかりづらいのですが、
まだ全体の17%くらいのようです。





この本は、
バイオダイナミクスの先生が
ちょうどクラスの講義をしている期間のときに
読んでいて、クラスの中で紹介してくれたんですが、

僕たちがやっている施術のとき、
先生が手の中で感じていることが
科学的に説明されていて、
それがほぼ一致していて、
興奮気味に、紹介されたんですね。


。。


まだ17%しか読んでないので、
なんともいえないですが、
少しづつ本題に近づいてきて、
でも、いつまで前置きやねん、、
という感じで読み進めていますが、
ぼちぼちエッセンスが出てき始めています。
(これから期待通りに話はでてくるのかなあ。。)


その(17%の)中でも
僕の体感や考え方と似ているところは
ぼちぼち出てきています。


そのことについて、
少し書いてみようと思ったのですが、
うまくいくかな、、。


。。



幾つかのリサーチや、研究や、実験などが
紹介されていたりします。
それは、科学と言ってもアウトサイドで誰も信じないような内容ですが、
たとえば、催眠状態に意識を移行した被験者が遠隔地の様子を見てくる、とか
臨死体験者の見た世界とか、
植物が周辺環境や人の意図に反応している様子を電気的に検知しているとか、
人の脳の松果体(伝統的にスピリチュアルな世界では、第三の目にあたる)には眼球にある光を検知する細胞と同じものがあり、何らかの光子を松果体で捉えて映像を見るという機能を果たしている可能性がある、とか、その松果体はフッ素を取り込むことで石灰化してしまい、機能しなくなるので、そうすると(この松果体は全身を統括するホルモンを多数だしているので)体の機能や精神にも影響を与えてしまう。なので、歯磨き粉に含まれるフッ素とかは注意したほうがいいよ、とか。
、、えー、マユツバ。という感じがほとんど。


普段ならこういった本は読み進めたりしないんですが、
なにせ先生がいうてるし。
(とくに、その先生は理論や理屈は本当はどうでもよくって、この世界に現実に働くかどうか、
という視点しか持っていないので。)


その中での(17%しか読み進んでいない)今のところの論点は、
まとめるとこんな感じかな。



・われわれは(動物、植物も含めて)意識のエネルギーフィールド『ソースフィールド』を共有している。
・その世界(フィールド)は、この現実の世界と並行して存在している。この現実の世界に作用する。
・・それは、電気的/電磁場的ではない。
・・それは、時間と距離がない。
・・それは、意図的ではなく、感情的ではなく、純粋な意識。純粋で透明なエネルギー。無限の情報を保持している。



。。





。。



??


ようわからんか。
よくわからん?



で、僕がバイオダイナミクスの学びや施術から感じ取っていること、
その世界観として生きている世界をちょっと対比するように書いてみると
、、。


『ソースフィールド』とは、感情や想いや都合や理論など、
人間の世界のルールや個人のルールや都合は関係がない、
純粋なエネルギーフィールド、つまり、透明で、何もない。
状態。そこに、クリスタルクリアな無限の情報がある。
そして、それは、この”現実の世界”の土台でもあり、影響を及ぼしている。

しかし、

それは、人間の世界や目に見えてわかりやすかったり感情的に動かされるような、
直線的な原因と結果の一対一の対応する世界ではない。
こうしてあげたから、こうなる、という世界ではない。

その『ソースフィールド』がどのように作用するのか、
それは純粋なエネルギー、純粋で何も混ざり気のない意識だと、いうことは、
特定の意図や目的はない、こうなればこうなる、はない。
デモ、そこには叡智があり、人知の範囲を超えた知性がある。愛がある。

それが働くとき、奇跡が起こる。そういう情報の蓄積されたフィールド。

(意味わかるかな?つづけると、、)


たとえば、祈り。


ダライ・ラマが祈っている
インドのガンガーで人々が祈っている
あの人が祈っている。
たくさんの人が祈っている。

それは、祈り
向かう先のない、祈り。
想いのない、祈り。
ねと〜っとした想いの混じり気のない、純粋な意識。

そういう、祈り。


それは作用するのか?


個人の想いや欲のための
祈りや念ではない。


それは、意味があるのか?
作用するのか?

現実的に、実際に
動いて、働きかけないと
意味がない、
というようにも見えるでしょう。
マンメイド(人間の)世界からしたら。


こうしたから、こうなる。
ここを押したから、ここが反応する、
という
人間の世界、目に見えてわかりやすい
”現実”の世界の法則。
”当たり前”ですよね。


。。


でも、私の普段やっている
バイオダイナミクスの世界では、
超繊細な世界では、

ちょっと別のことを経験しているのです。


。。


みなさんも、聞いたことあるかもしれませんが、
ある国のある地方の(日本らしい)サルが
食べる前に芋を洗うということをし始めた。
それが、その地方の猿の群れに広まり、
ある一定数に達すると、
別の何千マイルも離れた島の猿にも見られるようになった。
伝わる手段もないのになぜ?(と、ここで僕なんかは、何かしらの飛行機とかの貨物にサルがまぎれてたとか何とかあるいはその地方のサルが学べるような映像とか何とかが運ばれていったのちゃうの?とはおもうんですが、まあ、そういうことにしておこう。)

この怪しい本でも似たような実験が書かれていて、
それは、ある古代の文字を、何も知らない一般人のグループに学習してもらうという実験。
より大衆的であった使われる頻度の高い単語ほど、現代の何も知らない一般人の学習効果が高かった、とか。


何か意識のフィールドのようなものがあり、
そことつながることで
実際に作用することはあるのかもしれない。という仮定。


それが本当かどうかは知らん。




でも、そうすると
セッションの作用の仕方が変わる、
ということは事実です。


それは、どういう事実か?


普段のマンメイドの世界、
つまり、理論や理屈、相手の感情やルール、
ここをこうして欲しいとか、ここが痛いとか、
ここが苦しいとか、そういうところに
焦点を当てて、なんとか(個人の力で)
私の能力でやろうとしたとき、
いろんな違いが出てきます。


・疲労感、混乱、頭をぐるぐる回る思考の渦、うまくいかない、感情の渦、なんか切り離されていて、意味のないことをやっている感覚、ただ肉を押している感じ。なんじゃこりゃ。焦りの空気、、。部屋の様子。空気感、雰囲気。。現実に体の変化はなかなか起こらない。


一方、バイオダイナミクスの世界でやるとき、
そこでは、私の個人を手放します。
ハートのつながり、天と地に含まれるミドライン、
その感覚に、現実の身体感覚に身を置きます。
すると、「わかる」という感覚がやってきます。
自分がやっているのではない、もっと純粋な意識、でも、それも自分であり、自分のハートを通して存在している。


・わかる、疲れない、癒される、自分も元気になる、次に何するべきか見える、流れが感じられる、場の空気感、粒子感、繊細さ、静けさ、、無意識の領域、、。


結果も変わります。クオリティが違います。
(同じ日と同じ場面は二度と来ないので比較はできませんが、、。)
ロルフィングの10シリーズの感覚でいうと、
理論で10回やっても到達しない状態に、
3〜4回でさらに統合された状態にまで到達する。
まじで。

何か『変容』が起こっている。

ただ一方で、相手の感情や想いに応えるという立ち位置ではやってはいませんので、
ときには、受け手の満足を得られないこともあります。
これはもーしゃーない。


。。



『ソースフィールド』でやるときって、
マンメイドの評価や感情は得られません。
(得られる時ももちろんありますが。カンケーない世界ですから。)


どのように働くのか、その特徴は。
・本人も気がつかない領域。
・個人に向かうのではなく、全体のフィールドへ。
・いつ達成されるのか、いつ働くのかわからない。(直線的ではない)
・マンメイドを超えた世界、個人の知らない領域で働く。
・一対一のリニア(直線的な)原因と結果はみえない。
・誰かに評価されるということもない。
・人知を超えている。
・無限の純粋な情報があり、奇跡が起こり得る。


。。


あら、ちょっと話がぶっ飛んできたな、、。


では、マンメイドの世界や
理論や理屈や感情、
肉体を軽視しているのか?というと、
そうではない。



ソースフィールドの世界、
バイオダイナミクスの世界、
ハートと天と地とミッドラインの身体感覚。



そういうものから働きかけるとき、
立ち位置をそこに持って行って働きかけるとき、
その流れの中で、肉体や感情などを扱うこともありますし、
理論や理屈を呼び起こされることもあります。

理論や理屈も
必要です。



でも、その立ち位置が
どこにあるのかが、
クオリティを決定づけるようです。



たとえば、
わかりやすいところでいうと、
どこの立ち位置でやるかで、
感覚が全く変わります。


部屋の中にいて、
自然の中にいることを
いくら考えて思考して思い巡らせても
身体感覚には何も引き起こされてこない、
もやもやしたままでしょう。


でも、実際に、
現実の外に出て、
静かな自然の中に柔らかに佇んでいるとき、
夕日や、静かな小川の流れを聞いているとき
想像を超えた、現実の身体感覚が起きてくるでしょう。

それくらいの、
現実の身体感覚の差が、
つまりは、結果や起こる出来事の差が
でてきますよ。





**




なんか長々と書いてきましたが、
本当にこれ書いていいのかな?
と思いながら、ちゃんと
書きたいこと書けてるかな、
なんかモヤモヤしてないかな、とか
思いながらも。。




で、結局

ハートでやるということ、
ハートでいるということ、という地点から始めるということ。

そこから始めるとき、
同じマンメイドの世界で対処していく事柄でさえ、
なにか、変わってくると思うんです。


あるとき、セッション中にふと思ったこと、
からくり人形、日本古来の。
服としての布をはずすと、
超精密で丁寧な、造り。

そういった、本物の仕事
って、見えないところにすごい美しさがあったりするじゃないですか?

その立ち位置で、
この世を、選択していくと、
あるいは、仕事をしていくと、
人と相対していくとき、





何が起こるのでしょうか?






********





さっきまでああだったのに、
いまこうで、
さっきまであの感情に、
あの解決策が、、
今は真逆、で別の感情にゆれている、

いつも、ゆれていて、
定まらない。


感情に、世界に、理屈に、
こうこうこう、ああ、

ゆれて、ゆれて、
どっちにも
両極に揺れて、

いつもわからない、
なにがただしいのか
常に移り変わる。


立ち位置がマンメイド、

あるいは、アストラルのとき、

堂々巡りで、

いつも揺らいでいて、

、、。

同じことの永遠の繰り返し。

そこに、答えはなく、

救いもなく、

誰かに吸われ続け、

助けと見えるものにすがり続ける。

そして、吸われ続けて繰り返す。



「宗教があったなら、それは
助けになっただろう、無宗教の私には羨ましいと思う。
そこまで信じられるものがあったなら。」

旅の途中で出会った人は、
そういっていた。


ハートの世界、ソースフィールドの世界、

バイオダイナミクスの世界。
それでこのマンメイドの
原因と結果の世界、
操作とお金の世界で
生き抜けるかは自信ないですが、



バイオダイナミクスの世界、
そこに立っているときに、
感じている世界と見えているもの、

神聖な何者かと
繋がっている感覚の
真実は、



なくては、
この世を生き抜くことは、
むずかしい。















それは、
別名、
「愛」というのかもしれない。








※「愛」とは感情のある「愛情」ではありません。感情ではない、何もない透明な性質。
これですね。