2月9日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1967年 - 東南アジア南部に位置するインドネシアの国会が、スカルノ大統領の解任を決議する。
1969年 - アメリカのボーイング社(世界最大の航空宇宙機器開発メーカー)が開発した大型旅客機ボーイング747(ジャンボジェット)が初飛行。ボーイング747は、航空機による安価な大量輸送を実現し、それまで一般庶民にとって高嶺の花であった航空旅行(特に、国外への旅行)を可能にした画期的な機体で、アメリカや日本、アラブ首長国連邦等、世界各国の政府首脳専用機や、アメリカ航空宇宙局(NASA)のスペースシャトル輸送機等にも転用されている。多くの改良を重ねながら、現在でも生産が続けられているロングセラーの旅客機で、現在も最新型が生産中である。また、ボーイング社の民間航空機部門唯一の4発ワイドボディ旅客機(客室1階に通路が2本ある機体)でもある。ボーイング747は、旅客機として設計されながら、当時の物流の主流であったコンテナを、横2列で積めるような胴体直径とし、それらを前方から積下ろしすることを考慮して、敢えて機首部分を2層構造とし、操縦席、及び乗員収用部をアッパーデッキに置くという、特異な形状の機体となる。これは、超音速旅客機の就役の際には、貨物機に改修することを見越し、アメリカ空軍の次期戦略輸送機計画時の原設計を、そのまま残したものである。ボーイング747は、一度に多くの旅客を運ぶ超大型機であるため、安全確保のためには、当時の最新鋭の技術や新機軸が投入され、超大型機にも係わらず、従来と同じ飛行場で運用できるように設計されている。着陸直後に、主翼上面に大きな板が6枚立つ。これがスポイラーと呼ばれる装置で、主翼が発生する揚力を低下させることで、車輪ブレーキの効果を高め、加えて空気抵抗によるブレーキ効果を生み、着陸後の滑走距離を短縮する。また、強力な高揚力装置(飛行機の揚力[板や翼等の物体に働く力の内、流れの方向に垂直な成分]を増大させるための装置)を採用し、離着陸時の速度を下げることを可能としており、巨大な機体の割に、従来機と同等の離着陸速度と滑走距離を得ている。ただ、ボーイング747が離着陸するには、最低でも2,500m必要で、安全に余裕を持たせるため、3,000m以上あることが望ましい。客室の幅や全長が飛躍的に広がったことを受け、日本国内線専用に開発され、日本航空がローンチカスタマー(航空機の新規開発の後ろ盾となる航空会社)となったSR-100型では、最大500席を超える座席数を設けることが可能となり、実際に全日空が500席以上を設定している。後に、日本航空のみが導入した-300SR型や-100B/SUD型、日本航空と全日空のみが導入した-400D型では、2階客室部分が延長され、約550席程度と、さらに多くの客席を設けることが可能となっている。1970年1月に初就航した後、初期に注文を行なっていた各航空会社にも次々に納入される。当時多くの航空会社にとっては、ボーイング747は市場規模に対して大き過ぎて、座席全てを埋める程の乗客は無かったことから、各航空会社は「空席多数で飛ばすぐらいなら、少しぐらい運賃を下げても席を埋めた方が良い」と考え、各種の割引制度を設け、集客に励むようになる。その結果、エコノミークラスの運賃が団体割引により大きく低下し、一般庶民が気軽に国外旅行に行けるようになる。現在では、4分の1程度以上のシートが埋まれば採算に合うと言われている。また、長い間7ボーイング47に匹敵する旅客機が無く、さらに、将来の本命とされた超音速旅客機も、種々の理由で実用化できなかったため、長い間国際路線の花形、航空会社の顔(フラグシップ)として世界の空に君臨することとなる。  
1971年 - アメリカ合衆国のアポロ計画(人類初の月への有人宇宙飛行計画)における8度目の有人宇宙飛行、アポロ14号が地球に帰還。アポロ14号は、史上3度目となる月面着陸を行なっており、「H計画」と呼ばれる、正確な月面着陸と2日間に亘る月面滞在を成遂げ、その間に船外活動等を行なう飛行は、これが最後のものとなる。  
1972年 - イギリスのミュージシャン・シンガーソングライターであり、世界屈指のマルチプレイヤーでもあるポール・マッカートニーらが結成したバンド『ウイングス』が初公演。『ウイングス』は、1981年の解散までに、7枚のオリジナル・アルバムと、1枚のライヴ・アルバムを発表している。 
1975年 - ソビエト連邦が行なった有人宇宙飛行、ソユーズ17号が地球に帰還。宇宙滞在時間の最長記録を29日間に更新する。
1980年 - 元尾道市長夫妻殺害事件: 広島県尾道市の前市長、佐藤勲(当時55歳)が、市内の自宅で妻(当時45歳)と共に殺害される。 
1982年 - 日本航空350便墜落事故(日航羽田沖墜落事故、日航逆噴射事故)。福岡空港から東京国際空港(羽田空港)へ向かっていた日本航空350便DC-8-61型機が、東京国際空港(羽田空港)への着陸進入中、滑走路直前の浅い海面に機首から墜落。乗客166名、乗員8名の計174名の内、乗客・乗員24名が死亡、149名が重軽傷を負う。その後の司法当局の捜査で、機長の心神喪失により、故意に引起こされた事故と判明する。機長は、事故当日の日本航空350便の乗務中には、「敵に捕まって残忍な方法で殺されるよりも、自分から先に死んだ方がマシだ」という妄想を抱くに至り、しばらく恐怖に震えた後に現実に戻る、という精神状態にあり、東京国際空港(羽田空港)への着陸降下の際、手動操作に切替えて操縦桿を押込み、エンジンを逆噴射させる。副操縦士と航空機関士は、機長の異常操作に気付いたが、日本航空350便は姿勢制御できず、東京湾に墜落する。法律により、機長は事故の発生時には、乗客の救助を率先して行なうよう義務付けられているが、日本航空350便の機長はそれらの職責を放棄し、乗客に紛れて脱出する。当初、機長死亡という誤報が流れていたが、その後、真っ先にボートで救出される機長の姿が報道され、厳しい批判を浴びる。その後、機長が精神疾患の1つ、統合失調症であることが判明すると、そのような機長に乗務させていた日本航空の姿勢が、安全軽視として厳しく批判されている。 
1986年 - ハレー彗星が1910年11月30日以来最接近。ハレー彗星は、約76年周期で地球に接近する短周期彗星で、公転周期は75.3年。多くの周期彗星の中で最初に知られた彗星であり、古来より多くの文献に記録されている。前回は1986年に回帰し、次回は2061年夏に出現すると考えられている。 
1987年 - 2年前に民営化した日本の通信事業最大手、日本電信電話(NTT)株が株式公開。約2ヶ月後には、史上最高値の318万円まで高騰する。 
1991年 - 福井県三方郡美浜町丹生にある関西電力美浜原子力発電所で、蒸気発生器細管破断により、原子炉(2号機)が自動停止する事故が発生する。 
1991年 - バルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の中で最も南の国で、北東ヨーロッパに位置するリトアニアで、「独立を巡るリトアニアの国民投票」が実施され、賛成票が9割を上回る。 
1994年 - 元労働省婦人少年局長の高橋久子が、史上初の女性最高裁判事に就任する。 
1996年 - 原子番号92のウランよりも重い元素、超ウラン元素の1つ、コペルニシウム(原子番号112、元素記号 Cn)の発生が、ドイツで初めて確認される。
2001年 - えひめ丸事故。太平洋中央部の洋上にあるアメリカ合衆国ハワイ州のオアフ島沖で、愛媛県立宇和島水産高等学校の実習船『えひめ丸』がアメリカ海軍の原子力潜水艦『グリーンヴィル』と衝突して沈没、乗員35名の内、『えひめ丸』に取残された教員5名、生徒4名が死亡し、衝突の際に海上に投出された26名は救出されたが、その内の1名が鎖骨骨折の重傷、11名が軽傷を負う。(現地時間、日本時間では翌日)。 
2009年 - 中央電視台電視文化センター火災。中国の首都北京にある中国中央電視台の電視文化センタービルで火災が発生。消防士1名が死亡し、7名が負傷する。
2014年 - 2014年東京都知事選挙の投開票が行なわれ、舛添要一が当選する。   
2018年 - 2018年平昌オリンピック(第23回オリンピック冬季競技大会)の開会式が開催される。
2022年 - 島根県出雲市大社町日御碕秋台原山に位置する、建設当初から日本一の灯塔の高さを誇る大型の石造洋式灯台、出雲日御碕灯台(塔高43.65m)が、国の重要指定文化財に指定される。出雲日御碕灯台は、日本人の設計・施工により、1903年4月1日に初点灯し、00余年の風雪に耐えている。