被害者意識は無意識ではメリットがある
被害者意識は、スピリチュアルの実践において何かと阻んでくる厄介な意識です。
ですが手放すことは思うより難しく、苦戦を強いられることになります。
なぜやめることがなかなかできないのか?
つい被害者意識になってしまうのか?
自分が被害者側になってしまう現実化をなぜしてしまいやすいのかについて今回は書いてみます。
被害者でいると堂々としていられる 自信が持てる
それは「被害者側でいると、堂々としていられるから」です。
自分が被害者になることで、被害者だと自信が持てるということです。
「被害者になって、堂々としていられるってどういうこと?」と疑問を感じるかもしれません。
一見相反するかのようですよね。
どういうことかというと、「自分は被害者で同情されるべき立場だ」「自分は被害者なんだから悪くない」と堂々と思うことができるということです。
自分を堂々と正当化することができるということです。
なぜなら「自分は何も悪いことをしてないのに理不尽に害を受けた被害者だから」です。
交通事故などでも、被害者側が擁護され賠償金を支払ってもらえます。
なぜなら事故を起こした人によって被害を受けているからです。
被害者側は擁護される立場であり、いわば正しい側の方です。
加害した側(故意でなく事故であっても)が非や過失があり、間違っている側だったり謝罪しないといけない側です。
被害者=正当、正しい
加害者=不当 非がある
かなり単純に当てはめるとこうなります。
被害者になることで無意識では自己正当化ができ、自信が持てる
スピリチュアルの概念や教えでは「自分に起きることは自分の責任」という考えです。
なのでどれだけ理不尽に思えても、被害者側になる体験も自分が関わっている以上、自分が現実化したことであり、またどう感じるかも自分が選んで感じているので、自分の責任となります。
ここがネックになるところで多くの人が落とし込むことに苦労します。
被害者意識と言うのはあまりにも当たり前すぎて長年の癖になっているからです。
そして・・・
なぜか被害者側になる現実を引き寄せてしまいやすいという場合。
「被害者になることで堂々とできるから」という無意識でのメリットがあることも多いです。
「自分は被害者なんだ」ということに疑いなく自信を持つことができます。
それは「自己正当化できる」ということでもあります。
二大エゴによく挙げられるのは「罪悪感」「羞恥心」です。
「自分は正しい」「自分は正当だ」と堂々と思えると、罪悪感や羞恥心を感じずに済み、気が楽になります。
罪悪感や羞恥心を感じることを回避する方法として「他人に罪悪感または羞恥心を転嫁する(相手に感じさせる)」方法もあります。
これは外向的な方法で、エネルギーバンパイアやモラハラをする人などが好んで使うやり方です。
ですが他人想いの人や優しい人はそれをしたくないので、「自分が被害者側になることで自己正当化する」方法を取るようになります。
真逆のようでありながら、深いところではエゴの欲求が同じだったりするということです。
そのエゴの欲求とは「自己正当化することで罪悪感または羞恥心を感じることを回避して、自分の心を自己防衛したい、プライドを保ちたい」です。
被害者側になった時、傷つけられてプライドが傷つくでしょうが深いところでは「被害者の自分は正当で相手が間違っている」と堂々としていられ、プライドを保つことができるわけです。
そして、無意識ではそんなメリットがあるので、自分でなぜかわからないし望んでないとしても、被害者側になる出来事や事象を引き寄せてしまいやすいということです。
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