スピリチュアルというのは、昔より世間一般に浸透してますが、未だアンチや否定派は多い印象です。
X(ツイッター)でも、スピリチュアルの批判をしてる投稿は少なくないです。
陰謀論と一緒に持ち出されて批判されたり。
「スピリチュアルは人を惑わす良くないもの」
「スピリチュアル信者や陰謀論信者は~」
「スピリチュアルは危険」
こんな感じで否定や揶揄、批判に持ち出されたりします。
昔ほど偏見はなく一般的に認知されてはいますが、ネガティブなイメージを持つ人は未だ少なくないようです。
また、いわゆるアンチもいます。
スピリチュアルが好きだし信じてるけど、他の人のスピ否定や批判の意見を見ると落ち込んだり、嫌な気持ちになってしまう・・・
こんな風に感じるスピリチュアル好きな人も珍しくないかもしれません。
個人的に思うことを書いてみます。
スピリチュアル否定や批判を目にしても好きなのは変わらないかどうか
スピリチュアル否定や批判、危険視する意見を見聞きして、揺らいでしまい疑いや不安恐れが出てきた場合。
そういうこともあると思います。
常に自分軸でいられればいいですが、この情報社会やネット社会では、嫌でも雑音が耳に入ってしまいやすいので。
なので揺らいだり、疑いや恐れが出てくるのはよくあることだと思います。
もしそれで、疑いや不安恐れの方が強くなり、スピリチュアルから離れたくなったとして。
それも自由だと思います。
否定や批判の意見を見聞きして嫌になったり離れたということは、本当に好きではなかったということです。
これはスピリチュアルに限らず、人など、他のことにも言えます。
自分の好きな人が悪く言われて、そちらの方を信じるなら、その程度だったということです。
本当の意味でその人が好きではなかったということです。
例えば恋愛で悩んでいるとして、友達などに相談して「そんな人やめた方がいい」と言われて、それに従うのは本当に好きな人ではなかったということです。
いくらその時はハマって夢中だったとしても。
その人が本気で好きなのでなく、「恋愛」が好きだったということです。
スピリチュアルも、誰かの否定や批判をする意見を見聞きしたとして。
それでも好きなのは変わらないかどうか?
自分はどうしたいのか?
大事なのはそちらです。
そういう意見を見聞きして、一時的に不安や恐れが出たとしても。
好きなのはやっぱり変わらない、と思えるのであれば、あなたは本当にスピリチュアルが好きだということです。
そして、そういう人(本当に好きな人)でないと、いわゆるなんちゃってスピリチュアルやふわふわスピリチュアル(自主的なく他力本願ですがるなど)になってしまう場合もあるようにも感じます。
スピリチュアルを悪く言われて、嫌になって離れたのであれば、ある意味それがその人にとって正解や必然なのかもしれません。
スピリチュアルは世間一般がイメージするような、他力本願で依存する世界ではないので。