初対面の人と話していて「人見知りですか?」と言われることがある
自分から話しかけているのに、なぜか人見知りだと言われてしまう
こういう話をたまに聞くことがあります。
初対面なのに、人見知りだと揶揄や批判的に言われてしまうことが何度かあり、悩んだり気にする人は少なくないのかもしれません。
人から言われると、自分は人見知りなんだと思い、劣等感になったりセルフイメージが下がることも少なくないでしょう。
今回はこのことについて書いてみます。
スピリチュアル的概念では、それも自分の内側が現象化している、となります(汗)
自分で人見知りと気にして否定しているから、他人を通してそれを映している(人見知りだと否定される)わけです。
自分の内側が外側の現実に反映されるというのが、スピリチュアルの基本原理です。
ですが、それで終わってしまうのもアレなので、相手側がなぜそう言うかも書いてみることにします。
日本人は基本的にシャイな国民性で人見知りは多い
人見知りはどちらかというと否定的な悪いイメージを持つ人が多いです。
なので、人見知りと言われると気にして劣等感を感じるのも、仕方ないかもしれません。
日本人は欧米人に比べて、基本的にはシャイな国民性かなと感じます。
初対面から壁がなく、誰にでもオープンハートという人はそんなに多くないかなと。
空気を読むことや協調性を重んじ、他人との距離感に気を遣う人の方が多数で、初対面では馴れ馴れしいより遠慮して人見知り傾向があるようです。
それが日本人の美徳でもあるかなと思います。
なので、人見知りというのは日本人には珍しくもなく、よくあることです。
確かに、特に人見知りな性格だからというのもあるかもしれません。
ですが、人見知りは日本人はわりと多い性質です。
わざわざ「人見知りですか?」と相手に指摘するようなことでもないように感じます。
「人見知りですか?」はマウントを取っている
「人見知りですか?」と言う心理は…
マウンティングの一種なのかなと、個人的考えでは感じます。
もちろん全てに当てはまるわけではないです。
他意がない場合も当然あるでしょうし。
もしそう言われて他意(揶揄や否定など)があるように感じる場合。
相手はマウントを取りたいのかもしれません。
人見知りというのはやや否定的ニュアンスがあり、初対面で言う言葉としては、失礼に取られかねないです。
そう言われて気にしたり傷つく人もいるでしょうし。
初対面で相手に人見知りだと、相手の気持ちを考慮せずに言う人は、コミュニケーション能力があまり高くなく不器用な人なのかなと感じます。
その人もコミュニケーションに何かしら劣等感を感じていたり、自信のなさが潜在的にあるのかもしれません。
自分に問題があるのでなく「相手が人見知りだから」と相手に問題があると思いたいので
「人見知りですか?」と先に相手に指摘し、相手に問題があると思わせたいのかなと。
そうすると相手は自分に問題があると思ってくれるので、自己正当化できるからです。
人見知りというのは、その相手に対して人見知りしている状態ともいえます。
また、人見知りですか?とマウントを取ることで自分が上に立て、心理的に優位に立ちたい心理もあるかもしれません。
特に初対面で「人見知りですか?」と指摘するのは、わりと不器用な人なのかなという印象があります。
不器用で、誤解されることもある人なのかもしれません。
または天然な人なのかもしれません。
ただ、スピリチュアルの基本原理としては「自分の内側が外側の現実に反映される」です。
やはり、自分が人見知りなことを否定して自分が揶揄しているから、外側に現れています。
または自分が「人見知りという性質」を(他人に対しても)非難や差別しているからです。
日本人は人見知り傾向な人が多いので、劣等感からか人見知りという性質に対して否定的で厳しい気もします。
人見知りヒエラルキーをつけたり、人見知りが人見知りを揶揄や非難して、隠れた自虐も入っている気もします。
人見知りなところがある人が人見知りという性質を差別して、貶めているわけです。
私も人見知り自虐を昔はよくやりがちでした。
今も人見知りな性質への劣等感はまだあります。
人見知りは人見知りに厳しいし、人見知りを自虐したがりますよね(笑)
日本人の集合意識のブロックでもあるのでしょう。
※ちなみに、誤解されがちですが「人見知り」はブロックではありません。
人見知りは性質です。
人見知りという性質に本来は良い悪いはないです。
人見知りという性質がブロックではなく、「人見知りは悪い」「人見知りは恥ずかしいことだ」など否定的観念や思い込みがブロックです。